よい病院、よくない病院の見分け方[石井友二]

マネジメントの巧拙が、病院の良し悪しを決めます。多くの病院コンサルティングの成果をお伝えし、自院の運営に役立たせていただくことを目指します。職員がやりがいをもって働ける環境づくりも、もう一つの目的です

コミュニケーションのポテンシャル

 

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コミュニケーションとは、自分の思いや意見を、言語や非言語を通じて相手に伝えることをいいます。

 

 非言語で、行なうコミュニケーションをノンバーバルコミュニケーション(NVC)といいます。表情や目の輝き、視線や身振り手振りがそれらに該当します。仕事上のコミュニケーションは言語と非言語の複合されたものです。さすがに非言語のコミュニケーションだけでは仕事はできないですよね。

  

 ただ、通常の(内容を伴った)言語によるバーバルコミュニケーション(VC)が成立することを前提として、NVCの定義をもう少し拡大して考えてみると、NVCが如何に大切なのかが分かります。

 

 たとえば、気遣いや思いやり一部がそれです。

 

 気遣いは文字通り相手に気を遣うこと、失礼のないように、あれこれと気にかけることです。言語での対応が必要ですが、言葉だけではなく態度や礼儀作法の一部としても気遣いを捉えることができます。

 

 相手の話を聞く姿勢や態度、席への案内の仕方、的確な受け答えのための間づくりなどが、形式ではなく、相手を尊重した頷きや、目の暖かさとともに提示されることがあれば、相手は心を開き、信頼を寄せてくれます。

 

 思いやりは、気遣いを含むより大きな概念ですが、相手の心情や立場な立つ行動や、心を配ること、相手の都合を斟酌した行いをいいます。

 相手の良いところを好きになり、相手と時間を過ごすときに全身をつかい、相手をおもんばかる行動をとることが、その内容になると思います。

 

 これらも広義のNVCと捉える必要があります。そもそも礼儀作法も思いやりも、思いや考えがなければ成立しないし、コミュニケーションのなかで発言されなければ意味がありません。

 

 仕事を進めるにあたり、これらのNVCはVCを引き立て、相手からの信頼を得て心を開いてもらい、双方にとって最適な関係をつくり出します。

 

 部下と上司のコミュニケーションに報告、連絡、相談という切り口がありますが、上司、部下双方に立場に応じたNVCがあれば、双方に信頼と責任感が生まれ、報連相は自然に行われるようになるし、成果も上がりやすくなると考えています。

 

 報連相というVCが成立しないのは、双方か相手のどちらかに信頼がないことに起因することが多いとすれば、そこにはここでいうNVCも生まれていないという結論です。

 

 気遣いや思いやりの視点をもちNVCを行える意識があれば信頼が生まれて、VCがうまく進み成果が挙がる、というロジックですね(もちろん、仕事を成し遂げるスキルがあってのことですが、スキルもコミュニケーションが活発になることで高められるという一面もあります)。

 

 コミュニケーションと仕事に対する姿勢や態度は区分されて考えられがちですが、後者は、コミュニケーションを通じて評価されることが多いことを考えると、NVCの意味を十分に理解することの必要性が分かります。

 

 人は一人では生きられません。人が相互に助け合いながら社会が形成されています。

 

 常に思いをもち、やりたいこと、やらなければならないことを意識し、自分を堅持しながら相手の立場に立った行いをすることが、人生を充実させる要諦です。

 

 コミュニケーションについて、より深く考え、そのポテンシャル(潜在能力)を理解したうえで仕事を捉え、より自分らしく生きるためにNVCの本質に迫ること。

 とても大きなテーマだと私は考えています。

 

自立と不安の交点

 

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 自立は、他からの独立であり離別です。

 

  自らの思いをもち、その達成のために時間を割く、努力を怠らない、常に何かをより良く変えようと主体的に動く。という活動の延長線上に自立は生まれます。

  他と同一であれば、自立はありえません。他との一体となるところから自動的に自立は生まれないからです。

 

 自立したうえで、他と協調しながら一体化をめざすのであれば、依存関係は生まれないし、想いを一にすることができた分、強い繋がりが生まれている可能性もあります。

  単に自立だけした人と自立したうえで他と協調する人、両者は同じように見えますが、まったく異なるものだと思います。

 

 なお、社会において自立することが良いのかという議論もあります。

 

 個が一定のまとまりのなかにあり、そのことが安心を生み、新しい何かを始める力になったり、また相互関係のなかで、現状の何かをうまくやっていくためのエネルギーを生み出すことがよくあるからです。

 

 チームの大切さといわれるときに、この部分が協調されることがあります。

 

  しかし、これとて前述したように個々が自立し、価値を生み出す素地を常に維持する、あるいは創出するエナジーをもっているからこそ成り立つ仮説であり、個をもたないものが沢山存在しても価値創造は行われづらいのではないかと考えます。

 

  組織に群れているだけではとてもチームとしての力を創り出す源泉となることはできません。やはり、個で自立し力を養いつつ、自分の考えをもち、組織とベクトルを併せ、協力しながら組織や個が求めているものを創造するという図式がしっくりきます。

 

 但し、既存の何かを護るためには、着実に行うべきルーチンを行う要請もあり、すべての組織活動が創造的に行われる必要があるものではありません。

 着実に何かを成し遂げるスキルをもつ個というものも大切な資源であり、尊ぶべき存在であることは間違いがありません。

 

 もちろん創造を続けていく者にはそうしたスキルが欠落しているということではなく、逆にそうしたスキルを基礎としたうえでの自立、そして創造性の発現であるとは考えています。

 

 何れにしても、自立し群れず、創造し、自己そして組織の維持発展に尽くす職員がいかに渇望されていることか。

 

 自立しなければならない不安と、自立から得られる安心、自立してしまうことの不安が錯綜するなかで、自分をどのように造り上げていくのかが問われる時代になったのだと考えています。

 

 なお、医療は専門職により行われるため、病院は自立した職員が比較的多く存在している筈ですが、組織やお互いがそれを阻害しているケースが散見されます。

  病院は、一人ひとりの特性を認めた上で、彼らのやりたいことを明確にして、その達成を支援する形で個の自立を促す必要があります。

 個が確立されて始めて全体が成立することの今を伝え、自立のための様々な取り組みを徹底的に行う必要があります。

 でも、どの組織も同じことが言えますね。

 

 厳しいコロナの時代を迎え、個人個人に求められることは何かを、再度考えてみることが必要です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

会話による成長を促す

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人は、自分であれこれ考え、行うことを決定し行動します。しかし、自分だけで考えるのではなく、多くの他人に思いを披露し、自分の考えを整理することが大切です。披露し議論するなかで、思いもよらないことに気付かされたり、新しい情報やアイデアをもらうことができるからです。

 

意見を聴かれる側も、自分の意見を述べるときに、自分の考えを整理して伝えることの訓練や、意見を述べながら新しい発想や着想を得ることができるので、投げかけられた会話に乗ることは有益です。時間の許す範囲で、会話に参加し、自分を高めることに積極的になれる人は、能力を高められるのです。

 

 

逆にいえば、他人と会話を行うとき、原則として目的のない会話をすることは双方にとり時間のムダであり、意味を持ちません。何等かの意図をもち、またアジェンダ(提案内容=議題)があり、短時間で目的を達成することをもって会話が縦横無尽に行われることで、暗黙知が暗黙知を生むという成果を得られます。

 

組織運営上も、こうした個人知の進化が役に立たない訳はありません。なお、お互いのことを理解したり、会話に入る前の準備として、さあ、これから会話をして有効な時間を過ごそうね、という助走になる「最近どう」とか、「こんなことがあったよ」とかの挨拶の延長線上の会話は必要です。いきなりテーマに入ることも、仕事上ではよくあることですが、まずは一言二言の打ち解ける会話があると、ぎすぎすしないですね。

 

 ということで、会話を活用し価値をつくりあげていくためには、以下の条件が必要と考えています。

 

  1. 相互を信頼する
  2. 常に相手の立場に立ち考える
  3. 知識や自分の経験を踏まえ仮説を立てて意見をいう
  4. 自分なりのフレームワークをもつ
  5. 整理する
  6. 実行する方法や役割を決める
  7. 期日を決める

 

 そもそも仕事のうえで、ある人は会話の目的を達成できなそうな人には話をしません。会話をする時点で、会話の対象とする人を、ある事柄については信頼していると言えます。

 

会話が成立しない人に自分の考えを披露することもありますが、それは会話を求めるのではなく、行動を喚起して欲しいから、ということが多いようです。「こういう考えなので、これを協力してね」。「これを達成していこう」、といった具合です。

 

 なお、会話の対象とされた相手も、相手に対し会話で応えようという意思や意欲がなければ会話が成り立ちません。会話ができるというのは、この相手なら時間を割いてもよいという思いが前提にあります。これも信頼の範ちゅうに入ります。

 

となると、会話が行える主体と客体においては相互に信頼していることが前提になっている、といえます(ただ、仕事のできない上司の無駄話に付き合わなければならない事もあるので、例外はありそうですが、このテーマは奥が深いので、今回はここでの検討を捨象します)。

 

 次の相手の立場に立つ、ことは会話を行うときに必要不可欠です。相手の意見を咀嚼し、自分なりの考えを述べるためには、相手と同じ状況をイメージして、自分が相手であったらどうなんだろう、という思考がなければ適切な答えを返せる筈はありません。思いやりだけではなく想像力や日頃の好奇心がモノを言う領域です。これができないとちぐはぐした意見しか提示できず、会話を継続する障害になります。

 

 さらに、自分の経験から意見を言わず、何をベースに意見をいうのか、ということになります。相手の立場に立ち、自分だったらこうする、こう考える、こんな行動をとるだろうという思いは経験(や知識)からしか生まれません。なので、この条件も自明の理かもしれません。

 

 仕事をしていくうえで、さまざまな経験を積む、知識を得ることがいかに大切なのか。常に合目的的に行動し積極的に経験を積もう、知識を身に着けよう、感性を磨こうと努力しなければ、会話の相手に選ばれないということを思い知らされます。「相手にとって本当に必要とされる自分なのか」を常に考え研鑽すべきです。

 

 そして自分なりの仮説やフレームワークをもつことです。仮説は、「あることを合理的に説明するために仮に立てる説」であり、フレームワークは何かに対峙したときの「考え方の順序や整理の方法」をいっています。自分なりの枠組みをもっていれば、それに合わせて仮説を立て会話を進め、やり取りを行うことができます。

 

 思いつくままにフレームワークを列挙すると、到達点は何か、現状はどうか、ギャップは何か、どのように解決するのか、それはどのように計画すればよいのか(ASCS)とかKGI→KFS→PD→KPIといった手順により、どのように課題をブレイクダウンするのかというアプローチ、Why、How、Whatという順番で考え、またロジックツリーで整理をすることもあるでしょう。漏れなくダブりなく(MECE=Mutually Exclusive, Collectively Exhaustive)といった考えもありキリがありませんが、自分のフレームワークをいくつか使い、問題の所在や考えをまとめていくことは有効です。

 

そして整理です。今日のアジェンダのためには3つのことが必要。それはこれとこれとこれ。その理由はこう。それぞれ、詳細を示し、こんな行動に落とし込めるよね。といった対応です。最後に、「いつまでに誰にこうしてもらうと成果があがるね」、というところまでいくと実効性が担保され会話が終ります。

 

会話の目的を常に主体、客体が理解し、会話から相互に何かを得ようとするのであれば、時間は10分でも、5分でも論理的で合理的な会話ができると考えています。

 

 ところで、ネットで「分散された場所での仕事(会話)を進めていくなかで、テレワークを成功させるためには何が必要か」という議論に対しこんなコメントがありました。「ポイントは人間同士のコミュニケーションにあるようだ。Googleのような優秀な人材が集うテクノロジー企業においても、対面もしくはそれに近い形で、良好な人間関係を意図して作って行かなくては円滑に仕事を進める事ができない」(出典:ジョイキャリア)

 

会話を円滑に行うためには、上記で示した条件は当然身に着けることを前提として、結局は「良好な人間関係をつくる」という条件が一番大切なのかもしれません。

 

リーダーは率先して良好な人間関係をつくり、常に会話により自分を高められるよう、まずは、仕事ができ、かつ人間力があり、相手から求められる社会人になれるよう範を示し、上記でいう会話を通じ成長できるよう職員を指導していかなければなりません。

いま、やるべきこと

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当たり前のことですが、仕事の本質は価値を生むことだ、とつくづく思います。なので仕事とは、決まったことを淡々と行うだけではなく、「誰かの困っていることを問題とし、その課題を明確にして、一つひとつ解決していくこと」と定義できます。

 

 

ここで「困っていること」とは、ある主体が「こうしたいのに、思い通りにいかないこと」なので、何か行っていることの障害を除いたり、何かをよりよくしていくことや、まだ行っていないものの、これからこうしたいと考えていることを行うことを言います。

 

すなわち、今ある出来事をよりうまく、はやく、安く(=合理的に)行うだけではなく、未来に向かってどう変えていくのかという課題も含まれているんですね。

 

課題を明確にして解決することが大事、という意味からは、現状の課題解決にしても、未来への取り組みであっても価値に相違はありません。

 

ただ、未来への取り組みには夢があり、また未来への取り組みは現状の課題解決にも大きく貢献することが通常です。

 

したがって、現状をもっとうまく、はやく、安くしていく課題解決プロセスで、いままで誰もやったことのない、新しい(と自分では思う)、何かをつくり出すこと(価値創造)を意識した活動を行うのはとても魅力的ですね。

 

と、これから自分がやりたいことを念頭においたコメントをしたうえで、そのために何をすればよいのかを考えてみたいと思います。

 

「誰かの困っていることを問題とし、その課題を明確にして、一つひとつ解決していく」ことで価値をつくり出すためには、自分が何かに長けていなければならないことが分かります。

 

長けていること(=得意なもの)をつくり、課題解決を行えるように訓練し、力をつけていく必要があります。

 

ただ、長けているかどうかは自分の判断ではなく、客観性が必要です。いくらこれが得意、優れているなと自分で思っても、独りよがりでは意味がありません。他に同じことに長けている人は巨万(ごまん)といる可能性があるからです。

 

価値は自分ではなく他人が決める、他に同じことをしている人がいれば、自分の成果は価値を認められない。余程の力がなければならないことになります。

 

それにしても、この巨万という文字は凄いですね。すごくたくさんいるという力強さがあり、文字を見た瞬間に凹みます。

 

「自分のやっていることは多くの人がやっている→大したことはない→今まで何をしてきたんだろう」というようにネガティブになるのです。

 

ここしばらく自分の行なってきたことを反芻すると、客観的にどうなのかという壁にどうしてもぶつかってしまい、少し落ち込んでいました。

 

しかし、「常に前向きに」という姿勢が心の片隅にちょっとだけ残っていたので(笑)、再スタートです。

 

本当に自分がやりたいことが、自分の好きなこと、長けていることにつながっていくとえているので、何をやりたいのか、スキなのかをしっかりと振り返り、やるべきことに取り組もうと思います。

 

さて、本論に戻ります。客観的にどうかは自分ではどうしようもありません。結果です。

もちろん、自分の周りにいる同じ領域の優れた人を尊敬し、目標の一つとはするものの、彼らと比較してどうかということではなく、やるべきことへの目標を設定し、自分に勝ち続けることが大切です。

 

比較優位ではなく、自分のオリジナリティによる絶対優位を身に着けるために自分は自分として努力し続けていくことしかない、という結論です(なんということはない気付きですが、本当に難しい事です)。

 

そこで、あれこれ考えていても始まらないので、アイデア→実験→フィードバックといった思考で対応することにしました。 

 

やりたいことを思い、それが仕事にどのような価値を生むのかを意識し、考えたことをまずは実行する。実験してみてダメならよく検証を行い、ダメな理由を分析したうえで、次に進む。

 

こうしたデザイン思考を繰り返す間に、経験を積み、知見を得て、知恵を身に着け、徐々に力がついてきます。(振り返ると、そうはしてきているつもりでしたが、フィードバックが弱かったかもしれません)。

 

自分がこれから何を行えばよいのかは、明らかです。新しい価値創造のために、やりたいことができるよう、今まで以上に懸命に日々行動すること。

 

多くの仲間や関係する方々に支えられ、未来への取り組みを、更に日々コツコツ積み重ねながら活動していきたいと思います。

 

意志の強さと阻害要因

 

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 人は思いにより行動します。思いなく、ただ行動する人はいません。

 

 無意識のうちに行動する無意識行動も、以前にある思いから生まれた意識行動が無意識行動に転換されたものであることを考えれば、慣習化された行動には元々思いがあったと捉えることができるからです。

 

 ここで、意識行動にしても無意識行動であっても、行動しようとする者がその行動を阻まれることがあります。何かを邪魔する阻害要因は、内的要因と外的要因に区分されます。

 

 内的要因は当初の思いを否定する思いや、思いはあるけれど物理的に身体が動かないといったものです。

 自分の中に当初の思いを疑問に思ったり、違うのではないかと否定すること、また思いはあるのに他の事象により精神的、肉体的な障害により行動が抑制される状態になるという事例です。

 

 外的要因は、自分の他に影響を受けるもので、時間、他人、環境、緊急性、重要性により当初の思いが二の次になる、といった事例を挙げることができます。

 

 こうして考えると、これら阻害要因を避けて思いを持ち続け行動につなげて、成果を挙げることがいかに難しいことが分かります。

 思いを常に持ち、その思いを阻害する要因をつくらない、要因があっても、それを凌駕する強さをつくりあげる、といった生き方が必要です。

 

 しかし、思いを阻害する要因をつくらないことは、それほど簡単ではありません。自分の思い以上に魅力的なことがあったり、誘惑が多いこと、また社会人であれば自分勝手に生きられないことも大きく影響するからです。

 

 例え思い通りに生きられる強さがあったとしても、外的要因は自分のためだけではないことも多く「強さをもつ」次元ではない、同じテーブルでは考えられない事柄が多くあります。

 なので、障害を乗り越え、異次元の事柄を常に抱えながら、いつも自分の思い通りに生きられる人は、相当な力のある人ということができます。

 

 もちろん、そうした人を目指し、自分が決めた、やりたいこと、やらなければならないことへの強い思いをもち、心身を鍛錬し、多くの事柄をさばきながら、阻害要因をクリアーしていくことこそが、最高レベルの生き方であることは間違いありません。

 

 人は、メインの思いをもちつつ多くの思いをもち、またその思いもその都度変化させながら、生きていく生き物ではあると思います。

 

 挫折を繰り返しながらも、その時々で、これをやろうと決めたことを常に実行し、強い意志をもち成果を挙げて達成感を得られるよう生きていきたいと、いつも考えています。

 

禁断の上長評価項目、ご紹介します

 

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 360度評価を行うべきだとよく言われます。360度評価は、通常の上司からの評価に加え、同僚や部下からも、評価対象者の人事評価を行う多面評価のことをいいます。

 

 確かに現場では、この上司には評価されたくない、という社員、職員が訴えてくることがあります。

 

 そもそも上司の評価者訓練を行うとしても評価の前に注意を促す程度の訓練であることが多く、余り意味がないなという印象はあります。

 また、評価者訓練は評価の仕方を確認するものであり、上司が上司の役割を果たしているのかを確認するものではありません。

 

 なので、評価する側についても一度評価を行い、評価側の日常行動における課題を出しておくことが必要なのかもしれません。

 

 今回は、そんな背景の中、我々が開発した「部下が上長を評価する」上長評価システム(Superior evaluation system=SES)をお伝えします。

 

    普段評価されている上司を部下から評価するときに、どのように評価すればよいのかを明らかにしています。

 

 上司というのは、ある個人にとって自分より上の役職者ですが、上長はもう少し広い範囲の職位の上の人、といいった意味からすれば、ほぼ同じ概念です。

 しかし、自分の直属ではない上司まで評価するとしたときには上長と呼ぶ方が適切であり、ここでは範囲が広い上長を使います。

 この評価は、上長が仕事を行うにあたり、どうあるべきかということを示すものであり、部下にとってみればこんな上司や、上長であって欲しいという意味をもっています。

 

 なかなかこの評価項目を使えないと考える組織が多いことから、禁断(ある行為をかたく禁ずる)というタイトルにしています。

 

 なぜなら、ほとんどの上長がこの評価項目=設問にイェスと答える活動をしていないので低い評価しか得られないから、この評価を使ってはならないと考えているのではと、推測されます。

 

 少なくとも、私が提案した大中小の病院では、これを隠れて行ってみるところはあるものの、なかなかオープンにしてできない病院が大半でした。

 

 これをやろうと決定した幹部も含め、明らかに厳しい要求をされていると考えてしまうからなのだと思います。

 私は、ここで問われる問題にイェスと言えない原因はひとり上長だけの責任ではなく、マネジメンとの問題もあると考えています。仕組みがない、中間管理職教育をしていないことがその理由です。

 

 組織自体がここにある上長像を描き、彼らがリーダーシップを発揮できるように環境整備をしていなければ、上長の属性に依存した管理をしなければなりません。なかなか、ここにある項目を「地」でクリアーできる人は少ないのではないかと思います。

 

 さて、評価は50の設問からなっています。それでは設問がどのようなものか見ていきましょう。

 

 1.方針

・組織の方針や目標を理解しているか

・そのうえで部署の方針や目標を設定しているか

・部署の方針や目標を理解できるように部下に説明しているか

・説明した内容を部下が実行できるよう支援しているか

・方針達成や目標達成のため部下と話し合う機会を多くもっているか

 

2.環境整備

・部下が行動しやすいよう環境づくりをおこなっているか

・部下の失敗を自分の責任と捉えフォローをしてくれるか

・部下の成功を自分のことのように喜べる風土をつくりあげているか

・部下の時間を大切にし、計画的な指示を出しているか

・部下の時間を大切にし、適切な行動が行えるよう支援しているか

 

3.コミュニケーション

・部下の意見に対し肯定的に耳を傾けているか

・部下の意見に対してアドバイスをするか

・部下の意見に対するアドバイスは適切か

・感情を出して叱責せず、冷静に話し合うことができているか

・部下の意見を評価し、ときには採用する度量をもっているか

 

4.指導力

・コミットメントに基づく部下の期待を考慮して、彼らが行動しやすいように具体的に充分指導するか

・部下の行動に対しアドバイスをするか

・部下の行動に対するアドバイスは適切か

・部下の成長課題を発見しその達成に対しアドバイスをしているか

・課題達成のためのアドバイスは適切で、期待される成果を誘導しているか

 

5.教育

・仕事の多くを部下の育成に使っていると感じられるか

・部下に仕事のなかで勉強の機会を計画的に提供できているか

・部下の知識や経験の到達点を設定しているか

・部下の到達点に到達するための教育の機会を提供しているか

・教育の機会の提供は公平にすべての部下に与えられているか

 

6.評価

・仕事の成果を求めるが次につながるプロセスをも評価しているか

・部下の取扱いは分け隔てなく公平公正に行われているか

・部下に対する評価は公平公正であるか

・裏方で成果をあげている者を評価しているか

・部下を正しく評価し立場も理解して指導をしているか

 

7.態度

・部下の話をよく聞くか

・外部との取引に対し誠意をもってこれを行っているか

・自己の上司に対して正しい報告をしているか

・自ら課題を持ち、前向きに行動し成果を挙げ範を示しているか

・一方的な押し付けをせず、納得できるように指示をしているか

 

8.姿勢

・責任感はあるか

・仕事に対する情熱をもっているか

・仕事に対する使命感をもっているか

・仕事に真剣に取り組んでいるか

・生活態度は安定しているか

 

9.規律

・部下に間違いがあれば、それを納得のもとに瞬時に指摘できるか

・仕事のプロセスにおいて厳格なコンプライアンスを求めているか

・外部との取引において不正はないか

・信賞必罰についてよく理解しているか

・仕事のプロセスにおいて違反があったときに丁寧に指摘し修正を促しているか

 

10.人間性

・誰に対しても誠意をもって接しているか

・人として尊敬できるか

・仕事の仕方について尊敬できるか

・横柄ではなく常に適切な態度で接することができるか

・言葉遣いは乱雑ではなく丁寧か

 

 これらは、各項目別に

1まったくできていない

2できていない

3ふつう

4できている

5よくできている

 

で部下から、スコア化され、レーダーチャートと共にどこに課題があるのかをチェックされます。

 

 もちろん上長も自己評価を行うので、そのギャップがどう出るのかにより、上長の指導対象となる事項が明確になるというつくりになっています。

 

 各項目をよくご覧になって下さい。個々の解説はしませんが、上長として求められる項目で満ち溢れていると考えています。

 200にわたるチェック項目から推敲して、50に絞りましたが、仮に私が評価されたら、結構できていないことがあるだろうなと思ったりします。

 ただ、優れた組織においては当たり前のように行われていることであることも事実です。

 

 これらの設問に皆高いスコアがでるように、何をしていけばよいのかを考えなければなりません。

 

 組織のマネジメント力やマネジメントシステムの良し悪しが問われることになります。

やりたいことと、やらなければならないこと

 

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仕事において「自分が何をやりたいのか、良くわからない」、という人は少ないと思います。

 

 何が好きなのか、何な興味があるのかを胸に手を当てて考えればすぐに答えを出すことができます。

 

 今できているかどうかは別として漠然としてでも、また曖昧でも、何かがそこにあると思います。

 

 もし、そのに何もないのであれば、早急にそれを探していかなければなりません。

 やりたいことがなくても、十分に幸せだという人は、それでもいいと思います。

 

 でも、もし、やりたいことができた時のこの上ない喜びや達成感を味わいたいのであれば、血眼になって忘れ物を捜しに行く必要があるかもしれません。

 

 場合によれば、やりたいことそのものだけではなく、自分の気持ちや情熱など、それを生めない自分自身を振り返ることも大切ですね。

 

 なお、仕事には、やりたいことだけではなく、やらなければならないことがあります。

 やらなければならないことは、好きか嫌いか興味の有無にかかわらず、やらなければならないことをいいます。

 

 他からの要請に基づいて、もうひとつは見るに見かねて、やらなければならない、ということがあると思います。

 

 もちろん、やりたいことの思いが強く、これは私の使命だと、やらなければならないことにまで高めていくことがあります。これは力が出るし成果もあがりますね。

 

 しかし、そうした思いをもって、やりたいことを仕事にできる人はそれほど多くはないないかもしれません。

 

 本当にやりたいことは、なかなか仕事にしていくことはできないけれど、仕事で、どうしてもやらなければならないことから、やりたいことを見つけ、自分のやりたいことに擦り合わせながら力を身に着けていくことが正解なのかもしれません。

 そうして仕事を充実させている人はやはり幸せです。

 

 ただ、私たちは一人で生きているのではありません。何等かの社会や地域、組織に属して活きています。やらなければならないことのなかには、やりたくないこともあります。

 

 やりたいことだけをして、やりたくないことをしません、というのでは仕事はできませんし、組織や環境から受容れられません。

 

 嫌なことであっても興味がないことであっても、何かのために何かをしなければならないことがあるのです。

 

 自分のためだけに、やりたくないことをし続けるのは苦しいとしても、誰かのために何かをすることが本来もってうまれた人としての役割だと考えています。

 

  誰かのために何かをするなかで、相手のことを思い、考え、また組織のことを思い、考え、そして徐々に相手や組織の立場に立ってものごとを考えることができるようになります。

 

 いきなり、やりたくないけど、誰かのために仕事をしていこうと気負うのは荷が重すぎます。

 

 やらなければならないことから、やりたいことを見つけ、力をつけていくとともに、やりたくないことも含め、やらなければならないことを整理し、納得して仕事に取り掛かり、それらをクリヤーしていくことが必要です。

 

 そのことで、さまざまなことに触れ、積極的にそれを受け入れ取り組んで成果を挙げていく。その成果があれば、感謝されるし、自信もつきます。

 

 ここで書いたことは当たり前のことのようではありますが、私も含め、なかなか納得して何かをするということに慣れていない人も多いのだと最近思います。

 

 何でもかんでも首を突っ込むということは時間のないので仕事に馴染まないし、緊急性や重要性、そして困難性に基づき優先順位をつけ、また取捨選択をするのはいたしかたないでしょう。

 

 しかし、他の何か、いやなことでもやらなければならないことの受け入れ態勢をつくっておけば、学ぶこともたくさんあるし、自他ともに役に立つことができるという結論です。

 

 今日の話を整理すると、仕事の構造は次のようになります。

1.やりたいこと

2.やらなければならないこと

(1)他者の要請によりやる

①やりたいことを見つける②嫌なことでも積極的にやって役に立つ

(2)見るにみかねてやる

①やりたいことを見つける②嫌なことでも積極的にやって役に立つ

(3)やりたいことを高める

 

 やりたいことをできる自分をつくることや、やらなければならないことのなかでやりたいことを見つけて仕事をする。

 

 しかし、やりたくないけど、やらなければならないことについても、前向きに捉え、成長の肥やしにする、といったことを大切にして、日々の仕事に挑戦していきたいものです。