よい病院、よくない病院の見分け方[石井友二]

マネジメントの巧拙が、病院の良し悪しを決めます。多くの病院コンサルティングの成果をお伝えし、自院の運営に役立たせていただくことを目指します。職員がやりがいをもって働ける環境づくりも、もう一つの目的です

達成感を求めて

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人が本気で行動を起こす動機
は、自分が嬉しいことと、誰かに喜んでもらうことの2つだと思います。

 

誰でも、自分がやりたいこと、やらなければならないことをやれた、やり切ったときに「嬉しい」という感情を持ちます。これは物事を成し遂げた時の達成感からくる喜びです。

 

また、やりたいことややらなければならないことを通じて誰かが喜び、それを表現してくれたとき、やりがいを感じます。これも達成感の一部ですね。

 

前者は主観評価の達成感、後者は客観評価の達成感です。

 

達成感には主観評価が必要で、本来は客観評価は要件ではありません。誰から評価されなくても自分が何かを成し遂げて達成感を得れば嬉しいからです。

 

なので客観評価が高くても主観評価が低ければ、喜べはしますが物足りません。客観評価と高次元での主観評価が合致すれば最高に嬉しいのは明らかです。

 

ということで主観評価と客観評価のランク測定をすると、

 

タイプ1

A高主観評価・高客観評価

B高主観評価・低客観評価

C低主観評価・高客観評価

D低主観評価・低客観評価

 

となります。

 

しかし、社会での見方は、

タイプ2

A高主観評価・高客観評価

B低主観評価・高客観評価

C高主観評価・低客観評価

D低主観評価・低客観評価

となります。

タイプ1のBとCが入れ替わっていますね。どうしても客観評価が重視されてしまいます。

 

例としては少し無理がありますが、タイプ2で、主観評価を市場成長率率、客観評価を市場占有率として、事業状態を把握するボストンコンサルティングのPPM(プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント)を当てはめてみると、

 

A高成長率・高占有率(スター・花形)

→継続投資・シェア確保

B低成長率・高占有率(金の生る木)

→問題児・花形に資金を回す

C高成長率・低占有率(問題児)

→積極的な投資が必要

D低成長率・低占有率(負け犬)

→撤退

となります。

 

タイプ2の高主観評価と高客観評価は誰がみてもスター、低主観評価と低客観評価は負け犬(厳しい!)となり、また、低主観評価と高客観評価は金の生る木(=力を抜けて効率的)、高主観評価と低客観評価は、独りよがりな問題児です。

 

怖いほど見事に印象が符合しますね。説明は必要ですが、タイプ2のイメージが湧きますね。

 

話を元に戻します。

社会では、期待からの客観評価が勝ることが多く、どうしても客観評価を得ようとするために、主観評価を犠牲にすることがあります。

 

本当はこうしたいけど、こちらのほうが受けがよいので、自分としては不甲斐ないけど、そうしよう、といった具合です。社会人としてはいたしかたないこともありますね。

 

ただ、自分が力を出し切っていないけれども評価されてしまうこともあり得ます。先程の低主観評価・高客観評価ですよね。

 

たとえその時点で評価されても取組を止めず、他人からの評価を超えてさの納得するまでやり切れれば素敵です。益々成長曲線の上方に身を置くことができます。

 

そうはいっても主観評価にはもともと思い込みがあり、独りよがり、誤解や錯誤があります。

 

「自分は達成した」、「成し遂げた」という内容のレベルが低かったり、十分ではないのに慢心してしまうこともあるでしょう。他人から見たら「えーっ!」ということもあります。

 

私ごとですが、10年前に作成した企画書を見返すと、たぶんそのときは自信満々で達成感を得たはずなのに、冷や汗がでるレベルの代物だったりします。

 

知識や経験、知恵がないのに自己満足してしまうのは恐ろしいことです。

 

なので、タイプ1を採用しながらも、主観的評価の妥当性を外部のそのことに長けた人達に評価してもらうことが大切です。真の主観評価、そして達成感を得るために、常に自分の価値が何処にあるのかを俯瞰します。

 

主観的評価がなければ達成感を得られないとしても、客観評価を拠り所に不足するところを発見し次の成長のために役立たせるのです。素直に学び続けることが大切なんですね。

 

なお、達成感は目標を達成することのなかから生まれますが、目標は自分の人生の目的(アイデンティティ=自分は[こういう]自分である)から落とし込まれたものなので、目的に向って進んでいるときにも得られる感情があります。

 

これができて嬉しい。でも次にはこれを行い成長しようという目標設定ができるのも、自分はこんなことに精通したい、こんな自分でありたいという目的があるからです。

 

目指す目的は一生達成できないかもしれませんが、目的を達成するために日々の努力があり、そのプロセスで達成感を得て前に進む。そのように生きていること自体から得られる満足があります。

 

この目標の次にこの目標、と次の目標を設定する時点での充足感や満足があることも忘れてはなりません。達成感は満足の連続の上に成り立ち、達成感が次の満足をつくる、といった構図です。

 

したがって、達成感を得続けるためには、「自分は何者で何を目指しているのか」を常に考える必要があります。目標だけではなく、目的をもつことが達成感の源泉だとしなければなりません。

 

なお、こうなりたいという背景には「思いや信念」が必要です。これがないと情熱や執念が生まれないからです。思いや信念をつくること、なかなか難しいですね。

 

大きな話になりました。

 

目的を達成するために次の目標を立て達成し、次々に目標を達成しながら満足し、目的を目指す行いで得られる達成感を補う気持ちとして、他人から喜んでもらうことについて考えます。

 

喜んでもらう=(主観評価に対する)客観評価と説明しましたが、実は別の文脈でも喜んでもらうことができます。 

 

 自立したうえで、

  • 皆に元気を与える言動をする、
  • 相手の立場にも立ち行動する、
  • 他人のために何かをすることを厭わない 
  • 笑顔で「ありがとう」を言い合える関係を周囲につくりあげ、
  • 相互に表裏なく付き合える関係をつくること

が該当します。

 

これは人間性の問題です。ここで挙げたように意図して行動することも大事ですが、自分を繕いながらの言動にはいつか綻びができてしまいます。意識せず自然ににその行為が行える自分でなければなりません。

 

もしも、そうできない自分がいるのであれば、日頃から課題を発見し、修正しつつ、いつかは「こうありたいと思う自分になれる」よう努力しなければなりません。

 

笑顔で「ありがとう」を言ってもらうことで小さな達成感を得て、笑顔で「ありがとう」と言うことで相手の小さな達成感を生む。

 

そうした対応ができる自分になりつつあることに満足しながら、次の達成感を得るために行動する、というながれをつくることも今回の議論の対象になります。

 

なお、別途、達成感の共有というテーマがあります。組織での目標をメンバーが共有し、それを達成したことで得られる喜びはひとしおで、自分だけの孤独な達成感にも増して嬉しく満足できるものだ、ということについても検討が必要です。

 

各人が自立しつつ相互依存関係のなかで目的を達成しようと行動するように、組織もビジョンのために構成員が同じ方向性をもち行動し続けることで成果を挙げるため、組織構成員における達成感の共有が必要だからです。

 

自分の目的と組織の目的を合致させ、自分の目標達成が組織の目標達成につながるよう仕組みをつくるリーダーこそが、組織目標や目的を達成できると考えています。

 

気持ちを通じ合えるメンバーで自分達のためにも組織のためにも何かを成し遂げたという経験を積み上げてきた組織や社員が強い理由は、達成感の共有があるからだ、ということを忘れてはなりません。

 

経験から上記を行うためには、いくつかの条件が必要になり、なかなか難しいことではありますが、コミットメント(約束)を基礎としたマネジメントが徹底して行われなければなりません。

 

以上、人が達成感を得るためには、

  • 自立した個人(目標と目的の追求)
  • 他人と個人の関係性
  • 組織(チーム)と個人

の3のフェーズのあることが確認できました。

 

それぞれ重要なテーマなので自分の言動を見直す機会にするとともに、これからもしっかり研究し、掘下げていきたいと考えています。

 

 

 

なんとなくから、ちゃんとへの時代

 

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 漠然とした不安がときどき脳裏を過る、明確な不安がある、押しつぶされるほどの不安を抱えている等、不安の程度の差はあるとしても、今私たちが置かれている状況に、不安のない人はいないと思います。

 

 ただ、一方で不安があるからこそ、それを原動力として「未来への希望」をもち、次に進もうという人も多いと思います。

 

 希望には将来に対する期待という意味があるので、「未来への希望」は重複表現になりますが、現状への忌避感が強いなか、敢えて「未来への」と書きました。

 

 これからの不安と未来への希望をどのようにバランスさせていくか、また期待が不安を凌駕するよう考える必要があります。

 

 現状やこれから先にある不安と、未来は絶対にこうなることが望ましい、すなわち未来に対する期待を考えるとき、不等式でいえば不安>期待から、不安<期待に変えていかなければなりません。

 

 コロナに抗い、不安を小さくできる人も、それぞれの事情により問題解決できず、不安を小さくできない人がいるとしても、「期待」をできるだけ大きくするよう行動しなければならないのです。

 

 ここで留意するのは、ただ「こうなって欲しいという期待」を持ちましょう、という文脈で説明していないことです。

 

 将来に対する期待は、自分の行動変革でしか成し遂げられないと、しっかり認識する必要があるのです。

 

 コロナ下で身近に困っている人がいれば支援するし、また機会を得て地域での必要な活動への貢献を行うのはとても尊いことです。

 

 しかし、同時に自分が将来のためにいま何をすべきなのかを考える時期が来たのも事実です。

 

 コロナを不安のなかでやり過ごすのではなく、また、乗り越えようとしてモグラ叩きをするだけではなく、 

  • コロナを機に自分の何を変えればよいのか、
  • コロナの後にどのような人生を歩んでいくのか

を考え行動しなければならないのです。

 

 ここにすなわち、

  • いまのうちに足元を固める
  • コロナ明けのための準備を怠らない

の二点について徹底する必要があります。

 

「なんとなく」行っていたことを「ちゃんと」やることで、この二点をクリヤーします。

 

 ここで「なんとなく」は、言動にはっきりとした目的がないさまをいいます。

 

 もともとの目的はあったのに、それをいつのまにか忘れ、曖昧なことにも気付かず物事を進めてしまったり、そのことに気付いていても、さまざまな理由により是正できずに過ごしてしまう、というのが的確かもしれません。

 

 振り返ると、そうして「なんとなく」日々を過ごしていることが思い起こされます。

 

 一生懸命やっているけれど、エッジのところで何かを「なあなあ」にしていることがあるのです。

 

 まあ仕方がないな、とか、しょうがないと、ある意味無難にことを荒立てずにいこうといった気持ちもどこかにあるのかもしれませんね。

 

 しかし、全ての景色が一変した時代、そうした対応では今を乗り越えられないことは明らかです。

 

  • 課題と考えるすべてを洗い出し、
  • 優先順位をつけ、
  • 一つひとつ解決

していかなければなりません。

 

 ちゃんとやる必要があるのです。

 

 「ちゃんと」は、微塵も乱れなく整っているさまをいいます。ちゃんとには、結果が十分であることや、すばやく動作するという意味もあります。

 

 今こそ、しっかりとやるべきことをやる、という意識で行動しなければなりません。

 

 そして、コロナ明けに何をするかを決め、ちゃんと準備をします。

 

 もちろん、課題を解決し足元を固めることは次に進むステップの一つですが、改めて「未来の希望」づくりに果敢にチャレンジするのです。

 

 何をしたいのか、どうなりたいのかは一人ひとり異なりますが、コロナ後にはこんなことをしたい、こんな自分になるとの思いを拠り所に、「なんとなく」、おぼろげに未来を描くのではなく、「ちゃんと」計画し自ら期待に応える日々を創り上げていくのです。

 

 やりたいこと、やらなければならないことへの思いや信念、執着があるかどうかを自分の胸に聴いてみる必要があります。

 

 不安を抱えながらなんとなく時間を浪費してしまうのか、ちゃんと対応し成果を挙げて成長するのか、どちらを採用するのかは自分次第だということを再認識しなければならないと覚悟しています。

 

 なお、心理学では、期待行動は不安を解消する唯一の方法であると説明します。

 

 ちゃんとするための行動は、不安を小さくすることで、不安<期待から、その差をさらに大きくすることに繋がるんですね。

 

 なんとなくから、ちゃんとへの時代を迎えた今、行なうべきことを整理できたと考えています。

生産性を高める

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 生産性とは、生産力の度合をいいます。

 

 企業は、経営資源を投入して成果を得ることを生業(なりわい)としています。

 

 ヒト、時間、情報、カネ、モノの経営資源一定にて、成果を高めることを生産性向上といいますが、各企業は生産性をどのように高めていくのかに注力してきました。

 

 生産性向上を分り易く言うと、一人の人が8時間で10の仕事をしていたときに、8時間で20の仕事をできるようになること、ですよね。生産性は2倍になっています。

 

 このケースでは10の仕事を4時間でできるので、1時間当りの人件費は半分になっていることが分ります。これを、私は単位当たりコストの削減といっています。

 

 生産性を向上するためには、

  • 仕事の仕組みを見直すことと、
  • 個人の技術技能向上を図ること

 

が必要です。

 

 上記のケースでは、生産性を向上させるためにコストをかけて仕組みを変え、また設備投資を行う、社員の教育への支出を行う、ということがあれば、そのまま全体のコストが50%引き下げられている訳ではありません。

 しかし、全体のコストは大きく下がっている筈です。

 

 各企業は生産性向上により成果を得て、「単位当たりコストの削減」を行い利益を出し、さらなる生産性向上を目指して日々工夫や創造を行い発展してきたのですね。

 

 集中購買や大量購入、仕様変更や節約による「コスト絶対額の削減」の効果とともに、生産性を向上させ「単位当たりコスト削減」の効果を得ることが企業の成功要件ということができます。

 

 ここで分ることは質の向上です。

 

 仕事の仕組みの見直しや個人の技術技能向上が図られることで、間違いなく仕事の質は向上します。生産性を上げることは仕事の質向上の結果です。

 

 仕事の質を高めたいという思いが、改善や改革を生み、生産性向上を成し遂げてきた企業が社員や顧客から評価を得て成功した、ということのほうがすっきりしています。

 

 経済学者のデムセッツは、高効率で低コストの企業がシェアを伸ばした、という研究成果を発表していますが、まさに高い質を求め生産性向上を図ってきた企業が成功していることを証明しています。

 

 なお、効率化はコストを下げて経営資源投入量を下げることです。また、生産性が高いというのは、より少ない資源でより多くの成果を出すこと。なので効率化は生産性を高めるための方法であるという位置付けです。

 

 デムセッツの研究は、高効率→生産性向上→質の向上→単位当たりコスト削減というフローのなかで、顧客から評価される製商品・サービスを提供できる企業が成功した、と表現できるのではないかと考えています。

 

 同様に、一個人も生産性を向上させた人が成功していることに気付きます。

 

 個人も企業も経営資源(人の場合は人生資源?)はヒト、時間、情報、カネ、モノですよね。

 

 人生のなかで、個人が人生資源をどのように生み、どのように活用し成果を挙げるのか、社会人となれば余計に考え行動しなければなりません。

 

 私は、個人の成功は主観的な自己実現であり達成感を得ること考えています。

 

 客観的に評価されることへの欲求は、マズローの尊厳の欲求を引き合いに出すまでもなく重要ですが、主観的満足が伴わなければ満足できない筈です。

 

 なお、経済性の満足は結果の一部であり要件ではないため、企業とは違いますね。

 

 さて、個人が生産性を上げて質を高め、目的を達成するために必要なことも、やはり、

  • 仕事の仕組みを見直すことと、
  • 個人の技術技能向上を図ること

ですよね。

  

 この2つをクリヤーするためには、

  • やりたいこと、やらなければならないことを目標化し、
  • 自分の行動様式を見直し、
  • タイムマネメントを行い、
  • 日々のやり方を変える、
  • ITを使う、
  • 自分の能力を高める

 などをテーマとして行動します。

  • どうしたら質を上げ、
  • 単位当たりコストを引き下げ、
  • 時間を付加価値業務に振り向けられるのかを考え、
  • 行動することで、

  生活の質は明らかに挙がります。

 

 もちろん組織の視点からも能動的に自己変革を行う社員の存在は有益ですし、求められる人材像であると思います。

 

 生活そのものにおいて、ASCSとPDCA、PDR(Prep→Do→Review)、OODA(Observe→Orient→Decide→Action)など、どのようなフレームワークでもよいので、成果を挙げるための自分なりの管理方法を工夫し、より高い成果を生む活動を行えるようにすると良いですね。

 

 ところで、本日、昼食時にクライアントの社長から「何も咲かない冬の日は下へ下へと根を伸ばせ、やがて大きな花が咲く」という有名な格言を教えてもらいました。

 

 コロナの今、私たちは、

  • 今のうちに足元を固める
  • コロナ明けのための準備を怠らない

  ことを肝に銘じ活動していますが、まさにそのことを明確にした話ですね。

 

 やりたいこと、やらなければならないことを行うために、個人として社会人として、生産性をどのように高めていくのか、日々の生活を振り返る機会になりました。

 

 生産性向上=質の向上を成長のメルクマールに活動していきたいものです。

 

清々しく生きる方法

 

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 厳しい環境を迎え、ほんの少しだけ重い気持ちになることがあります。

 

 すぐに思い直し、今やるべきこと、次のために準備すべきことに取り掛かりますが、そんなときに心が餓(かつ)えているのは、清々しさです。

 

 「清々(すがすが)しい」

 

 いい響きですね。清々しいの意味は、爽やかで気持ちがいいこと、です。

 

 それぞれ清々しい、と感じることには違いがあるとしても、言葉を耳にしたとたんに、人は何かの情景を思い浮かべるでしょう。

 

 私が「清々しい」という言葉で想い起こすのは、ここ最近は訪れていない軽井沢の山や高原の風景です。

 

 早朝、ホテルのドアを開け、二、三歩進み、朝の冷気と緑の香りや鳥のさえずりに身体を包まれて、自然のなかにゆったりと身を任せます。

 

 両腕をそらし、胸いっぱいの深呼吸をして、鼻腔から心地よい酸素を肺胞の隅々まで取り込むと、何とも言えない至福の感覚に浸れます。

 

 それが清々しいのイメージです。

 

 なお、清々しいの本来の意味は、活力とエネルギーを与えるさま、だそうです。

 

 清々しく人生を生きられたらどんなに幸せなのかと、考えます。

 

「清々しい生き方」には、思いつくままに、いろいろな角度からみると、

 

  • 明るく笑顔、
  • いつも元気、
  • 計画的かつ
  • 積極的に行動する、
  • はきはきした言葉遣いができる、
  • 思い切りがよい、
  • 人の意見を聴いて、自分の考えとのバランスがとれる、
  • 相手の思い通りの成果を挙げる、
  • 要領がよい、仕事が早い、

 という感じがあります。

 

 一緒に仕事をしていても気持ちいいし、清々しいな、という印象です。

 

 こちらの意図を汲み取り、手際よくさくさくと仕事が進む人と仕事をしたときに、受ける気持ちなのかもしれません。

 

 つまり、生きるときの清々しさというのは、

  • 表情
  • 態度
  • 姿勢
  • 能力

といった要素により成立しているんですね。

 

 仕事ができる人がすべて清々しいわけではありませんが、上記でいう特性をもった人で、仕事ができる人が清々しい人なのだと思います。

 

 できる人だけど、一緒に仕事はしたくないと言われるのだけは嫌ですよね。

 

 清々しい人は、もともとの性格の違いもあるとは思いますが、ずっと計画的に努力してきたので鍛えられ仕事に精通していて、相手の立場に立ってうまく進める方法も身に付けている、

 

 どのように行動すればよいかが分かり、それが習慣になるとともに、そんな生き方が気に入っているので自然に成果が挙がる。自信もあるから臆することなく堂々と爽やかに生きられる。

 

 そんな感じですね。

 

 組織の昇級・昇格・昇進を決める人事考課制度では、情意考課における規律、協調、積極、責任の各項目と、能力考課である資格で評価される仕事に、求められる能力を備えること、業績考課において、目標達成を行い業績を挙げることを考課の対象としています。

 

 こうして考えると、組織は意図せず、爽やかな、清々しい従業員を求めてたのですね。 

 

 清々しい人が多くいる組織は成果を挙げやすく、成功する確率が高いのも合点がいきます。

 

 自分の仕事であった出来事を、ずっと振返ると、さまざまな場面で、いろいろはありながらうまくいっている人は清々しく、また成功している組織には、必ず清々しいリーダーや従業員がいたことに気付きます。

 

 ところで、コビィの名著「7つの習慣」では、成功するために必要な行動として、以下の7つを上げています。

 

  1. 主体性を発揮する
  2. 終りを思い描いて行動する
  3. 最優先事項を優先する
  4. ウィンウィンを考える
  5. 理解に徹して理解される
  6. シナジーを創り出す
  7. 刃を研ぐ

 

 コビィは、成功するための人格主義を主張します。

 

 真の成功は、技術だけではなく原理原則を押さえた人格により成し遂げられる。

 

 上記の7つを習慣により行動すること、そして、そのなかで自分はどのような人で、どのような考え方を持っているのかを周辺に伝えることが必要としています。

 

 ここで、7つの習慣により生きる人は、清々しい人の要素を網羅していることが分ります。

 

 置き換えてみると、

 

  1. 主体性を発揮する→積極的に行動する
  2. 終りを思い描いて行動する→計画的かつ
  3. 最優先事項を優先する→要領がよい
  4. ウィンウィンを考える→相手の思い通りの成果を挙げる
  5. 理解に徹して理解される→人の意見を聴いて、自分の考えとのバランスがとれる
  6. シナジーを創り出す→5の結果
  7. 刃を研ぐ→仕事が早い

 

 いかがですか? 私があげた順番通りではないにしても、ほぼ符号するので自分でも驚いています。

 

 さまざまな性格の人がいるとしても、自分の決めたことを成し遂げるためには、ここでいう「清々しく生きる」ということが、一つのキーワードになってくるのですね。

 

 自分のやりたいこと、やらなければならないことに懸命になり、清々しく生きることが、自分の人生を思い通りに生きる方法である、ということができます。

 

 今までを自分を振り返り、

  • 清々しさとは何か、
  • 自分のどこに清々しくないところがあるのか、
  • それはなぜなのか、
  • どうすれば課題を解決できるのか、
  • どのように行動すればよいのか

 

を考える。そして、

 

  • いつまでに清々しい自分になるのか

 

を決めて、何があっても右往左往せず、冬は必ず春となると信じ、春や夏のための備えをしっかりと行うこと。

 

 不退の決意をもって未来の自分づくりに励まなければならないと、考えています。

 

自分との約束(Commitment)を守る

   

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 約束は守りましょう、というのは小さい時から教えられた、他人との間で果たさなければならない、もっとも重要な事柄です。

 

   守れそうもない約束はしない、ということも同時に心に深く刻みつけられています。

 

   友達との約束であれば、たとえ約束を破ることが多いとしても、性格が許されないほど破たんしていない限り、「あいつはそういう奴だからな」という諦念と少しの優しさのなかで何とかやり過ごすことができます。

 

 しかし、社会に出るとそうはいきません。

 

 時間を守れない、期日を守れないなど約束を守れないことが何度もあると、信頼されなくなくし、信用を失います。

 

 怖いのは明示的に約束する、ということがなくても仕事のなかで、約束が自動的に行われてしまうことです。

 

 就業自体は契約により成立しますが、与えられた役割、仕事において、社員の義務としての心理的契約(約束)が附帯しているからです。

 

 これをやってくれる筈だという期待と、やらなければならないという義務が暗黙知としての約束になります。

 

 規則やルールの遵守はもとより、常識的に行動することや上司からの指示や命令には、これをやって当たり前、できなければ社会人としての決まり事を守れない、約束違反ということになるのです。

 

 さらにまずいことに、その結果、仲間や部下にも仕事ができない(約束を守れない)ことを見透かされると、仲間には容赦なく置いていかれるし、部下からは疎んじられるという羽目に陥ります。

 

 嫌な上司から見放されることも大きな痛手ですが、さらに仲間や部下から相手にされなくなることのほうがどれだけ惨めなことか。

 

 なので、意識下ではきちっと約束は守ろうという思いで行動していたとしても、実は無意識のうちには、顧客は言うに及ばず、上司も含めた他者との人間関係を成立させようとして、約束を懸命に守ろうとしているのだと思います。

 

 それなのに、どうでしょう。自分との約束は結構簡単に反故にしたりします。

 

 計画を立て、これをやろう、あれをやるぞと決めたのに、「あーあ、またできなかったよ」とやり過ごすことになるのです。

 

 自分以外に誰も咎めない、バカにされない、誰も面従腹背しない、自分もすぐ許して忘れるといった状況にあるため、自分との約束が一番破り易いことに気付きます。

 

 自分しか知らない約束は破りまくれるのです。始めはあった後ろめたさも徐々に麻痺し、そのうち後悔のカケラもなくなる。そうやって人生は刻々と過ぎていくのです…。

 

 多かれ少なかれ、思い当たる節がある読者は少なくないのではないでしょうか。残念なことに、私にはそんなことがあります。

 

 自分との約束を厳守することに注力しなければなりません。

 

 やりたいこと、やらなければならないことへの

  1. 思いをもち、
  2. 信念に昇華して、
  3. 必要な技術や
  4. 人間力を身に着け、
  5. 他者とコミュニケーションをとりつつ

成果を挙げること。

 

 それが、達成感を得て自分が成長する方法だとすれば、その背景には自分との約束を果たす前提があります。

 

 どのようなことでもよい「決めたことは必ずやる」という姿勢が成功の要諦です。

 

 決めたことができない、約束を守れないというのは思いや信念がない、執着できていない証左だということに辿り着きます。

 

 強い思いを持ち、小さなことでもやり通すことの積み重ねが、本当にやりたいことを成し遂げることにつながると信じ、自分に嘘をついてはいけないと反省しなければなりません。

 

 成し遂げたいことへの思いや信念の強さに、自分の約束を守る意志の強さが影響を受けるとすれば、自分の成し遂げたいことを、再度明確にすることから始めなければなりません。

 

 自分との約束を守る強い意志をどのようにつくり維持するのか、考えることが必要なんですね。

  

 ところで、Commitment(コミットメント)には、単に、当事者の間で取り決める「約束」というだけではなく公約、責任、言質といった意味があります。promise(プロミス)よりも強い言葉であり、社会人に対してはコミットメントが求められるケースが多いですよね。

 

 自分で決めたことについても、相手や組織との約束に付随する責任以上の強い責任をもつことが求められるとすれば、自分の約束もプロミスではなく、コミットメントの重みをもたせなければなりません。

 

 組織や社会で約束を守るように、自分との約束を強い意志をもって守る。

 

 それらを通じて達成感を得続けて成長してこそ、組織や社会で成果を挙げられる自分になれると信じ、執着をもって日々をクリヤーしていきたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

改善マインドと生きる

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 改善とは、創意工夫の取組みを行い、新しい何かをつくり出すこと。今のやり方をより好ましい・望ましいものへ改めることをいいます。

 

 もっとうまく、もっとはやく、もっと安く(合理的に)への取組みと考えると、身近ですね。

 

 改善により、ムリ、ムダ、ムラをとることができます。

 

 ここで、ムリは、負荷が能力を上回っている状態をいいます。また、ムダは、逆に負荷が能力を下回っている状態です。

 

 そして、ムラはムリとムダの両方が混在しており、それが時間ごとに表れる状態をいいます。ムダとムリがなくなれば、ムラは発生しないですね。

 

 どのようにムリ、ムダを解決するのかを考えます。

 

 ムリの克服のためには能力を高め、ムダの克服のためには負荷を上げ、負荷と能力のバランスを取ります。

 

 自分の絶え間ない成長を前提にすると、負荷を下げることはありえません。

 

 また同じ位置にい続けることを後退とすれば、負荷を上げるなかで、(発揮)能力が負荷をクリヤーできるよう対応することが本来です。

 

 能力がどう発揮されるかを分析し、目標達成のために行動しなければなりません。

 

 能力の発揮=個人技術技能(能力)+仕組みです。

 

 能力はあるけれど、それを阻害する仕組みがあれば能力は発揮されません。逆に能力が最大限活かされる仕組みがあれば、能力が発揮されて成果が挙がりますよね。

 

 もうお分かりのように改善により、一義的に効果があるのは仕組みの領域です。

 

 能力を活かし、うまく、はやく、安くできる仕組みをどのようにつくるのかが改善なんですね。なので、必要な能力が備わっていなければ仕組みの改善だけでは成果が得づらいことは明らかです。

 

 能力向上のための一部、学習や育成の仕組み改善は俎上に乗りますが、個人の技術技能(能力)を向上するための全体的な仕組みや、能力向上のための取組みについては別途の議論をしなければなりません。

 

 少し、横道に逸れましたが触れておかなければならない事項でした。

 

 さて、人類は何かの発明やイノベーションを起こし、文明をつくりあげてきました。

 

 しかし、そこに至る前に、日々の創意工夫が行われ、大きな変革の礎になってきたことはいうまでもありません。人な何かにつけて新しいものをつくりたい、現状を見直して、よりうまく、より早く、より合理的に(安く)していきたいと考え、行動してきたのです。

 

 創意工夫は本来、人の生き方に本源的に備わった能力であるのかもしれません。

 

 私たちは日頃、組織において業務改善を進めるため、制度を整備し、従業員に

・何のために改善を行うのかの理由を示し、

・方法を提示し、

・評価を行い、

・フードバックや

・報奨を提供して

制度の運用を図ります。

 

 そこで、業務(仕事)を見直し、

  1. 標準化することで、業務を正確かつ迅速に行ったりコスト削減を行います。

また、

  1. 不必要な業務を止めたり
  2. 簡素化することや、
  3. システム導入で手間を省いたり、
  4. 他部署と分けていた仕事を整理し、集中化したり
  5. 移管しながら

自部署の業務を効果的に行えるように取り組むのです。

 

 これらは日常であり、制度がなくても仕事上常態化されていなければなりません。

 

 しかし、日々の慌ただしさのなかで、なかなか思い通りに改善が行われない現状もあり、制度整備や運用を進めます。

 

 制度があることで、

  1. 他人の改善をみて、自分のアイデアを生む
  2. 何かを改善することで、達成感を得る
  3. 自分の改善が仕事に活かされ、満足できる
  4. 評価されることで、尊厳の欲求を満たされる
  5. 報奨を受けることも嬉しい

といった効果を得ることができます。

 

 人が本能的もしくは本能的にもつ、「よりよく生きたい」という欲求を満足してもらえるよう制度の運用は欠かせないと考えています。

 

 制度をきっかけとして改善の必要性に覚醒し、そして仕事をより楽しめる環境づくりを行うことは組織の機能であり、役割です。

 

 人は、心底に改善マインドをもっていることを思い出す必要があります。

 

 まずは、その時点で必要とされる能力を高めながら、人として日々の生活のなかで、小さくてもよい、身の回りにある不都合をみつけ、自然な改善活動を行いよりよい人生を生きる。

 

 そしてその姿勢をもちつつ、組織の一員として業務改善による成果を挙げ、自分や組織ひいては社会に影響を与える。

 

 それが社会人としての本来のあり方である、と考えています。

 

 厳しい時代にあってより良く生きるため、心のなかに潜んでいる改善マインドを今こそ呼び起こし、積極的な改善への取組みを日々行っていきたいものですね。

次の時代を生きるために、いま

 

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 コロナにより、いうまでもなく国民の意識は大きく変化しています。

 

 人の思いが大きく変化しているなか、組織だけが変わらない事は許されません。組織が変われないとしたら、それは組織が衰退していると同義です。


 組織は顧客や社員の現状を掌握し、常に市場・顧客に合わせて自己変革し続けるという活動を行う必要があります。

 

 コロナの影響をもろに受けている飲食関連や小売り、観光、運輸業等での組織変革が盛んに行われているとしても、あまり影響を受けていない企業でも今のうちに(渦中では当然のこととして)コロナ後に何をすればよいのかについて、しっかりと考えなければなりません。

 

 巷間囁かれるように、アフターコロナの世界は、コロナがなかった世界には戻れないと考えています。

 

 人々の行動が変容したなかで、彼らが学んだことは多いからです。

 

 仕事の仕方や環境、生活の在り方や他者との関係づくり、行動様式や消費行動など、多くの事柄が、以前とは異なってくるでしょう。

 

 ここで組織が行うべきことは、組織体質づくりです。

 

 どのような環境変化にも、柔軟に対応できる社員や組織をつくることが重要です。

 

 単なるBCPプランの策定、実行ではなく、現状を分析し、将来を予測した事業ドメインの設定や、企画開発力強化、事があったときに迅速に変化できる体制づくり、そのために必要な人材確保や育成が急務です。

 

 そこで、(トップマネジメントは自己変革を行いやすいとしても)、変わるべき対象は中間管理職です。


 中間管理職とは、原則として部長や課長など組織の中間に配置された管理職(ミドルマネジメント)をいいます。

 

 中間管理職の役割は、組織の方針や戦略を現場に落とし込み、訓練された部下の動機を喚起して成果を挙げるために活動することです。

 

 中間管理職は部署をすべて、もしくは一部の運営を任された役割をもっています。

 

 日々の仕事をルーチンとして行い、スタッフと同じ仕事、もしくは管理的な仕事を懸命に行い一日が過ぎるといった仕事ぶりであったとしても、目標達成への強い執着がなく、日々達成されているかどうか検証しない中間管理職は、役割を果たしているとはいえません。

 

 自らが最大の責任をもち組織で決まった部署目標を達成すること、さらに常に先を見て、新しい問題を発見し、課題化し、解決していくことがミッションです。 

 

 そのプロセスにおいて自らが、そして部下が柔軟に行動できるようになります。

 

 組織や自部署がどうあるべきかの未来を考え、目を皿のようにして新しい問題を発見、解決に向けて行動する姿勢や行動をとらなければなりません。


 今まで行ってきた活動を、やらされている感で対応しているとしたら、何も変えられません。


 主体的に中間管理職のミッションを果たすため、自分の役割を再確認するとともに不足するところをみつけ、自己変革を行うとともに、部下の育成を日々行う必要があります。

 

 そもそも、現場は日々の業務に懸命で、追加的な業務を受容れてもらうことはもともと煩わしいという意識をもっています。  

 

 中間管理職がミッションの達成に範を示しつつ、手間はかかりますが個人面談をしっかり行い、本人の意欲を高めコミットメント(約束)を得られるよう努力しなければ、組織は動きません。

 

 どのようにすれば、行うべきことを組織に浸透させられるのかを考え、すべての部下が行うべきことを受容できるようにしていく必要があるのです。

 

 組織の意志により、部署において明確な目標を設定し、目標管理の意味や目標をもって組織が一体として動くことの重要性を認識し、合目的的な活動を定着させる動きをしなければなりません。

 

 役割を果たせるよう、自ら

 

  • 人生の目標として、自分は 何を成し遂げたいのか、
  • 社会人として、どのようなリーダーになりたいのか、
  • 人として、自分はどのような人間か、
  • リーダーとして、自分はどのようなリーダーか、
  • 人生の目標とのギャップがあれば、個人として何をしなければならないか、
  • リーダーとしての目標のギャップがあれば、リーダーとして何をしなければならないか

を考える必要があります。

 

 そして、

  1. 個人として、いつまでに課題を達成しギャップを埋めるのか、
  2. リーダーとしてのギャップをどのように埋めるのか、
  3. (1と2を)5W2H(なぜ、何を、いつ、誰が、どこで、どうやって、いくらで)に落とし込み
  4. 行動につなげなければならない

のです。

 

 読者が、経営陣にいるのか、中間管理職なのか、社員として活動しているのか、立場の違いはありますが、ここでの趣旨は自己変革による環境適合です。もっといえば、環境を凌駕しどのように次の時代を生きるのかというテーマだと考えています。

 

 それぞれの立場で、記事の趣旨を活かしていただけることを期待しています。