よい病院、よくない病院の見分け方[石井友二]

マネジメントの巧拙が、病院の良し悪しを決めます。多くの病院コンサルティングの成果をお伝えし、自院の運営に役立たせていただくことを目指します。職員がやりがいをもって働ける環境づくりも、もう一つの目的です

社員にとって受容できる夢のあるビジョン

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 ビジョンとは、経営者にとっては戦略の方向、社員にとれば実現したらよいと思える未来だと私は理解しています。

 

 ただ、ビジョンがあるからといって社員がすべてそれに惹かれて入社するとは限りません。

 

 入社するときにビジョンに共鳴して、また会社のビジョンが自分の夢であり仕事により自分の夢を叶えたいという思いをもって、入社する社員もいるでしょう。

 

 私はビジョンというよりは、選択肢もあまりなく監査法人に入社しましたし、また銀行に入行するときにも自分がやりたいことができるので応募し入社させてもらったという経緯があります。

 

 はっきり言って二つの組織のビジョンがどのようなものであったのかは知らないままに仕事を始めた記憶があります。

 

もちろん、前回の記事でも触れましたが、監査法人のおかげでさまざまな業種の経営を知り、銀行では信託銀行特有の風土に支えられた多くの聡明な上司や仲間に啓発され、とてもやりがいのあるコンサルティング業務ができたので幸せでした。

 

監査法人の仕事は当時においては、会計監査や付随するアドバイザリーに限定されていましたし、銀行においても銀行業のなかにおける仕事でしたので、仕事の価値を感じながらも未来にわたり意味のある何かをつくりあげていこうというビジョンがなかったのではないかとも思います。

 

私には、職業人としての使命感はありましたが、ビジョンがあったからといって仕事への動機が変化したとは考えていません。

 

仕事に勢いや創造性はあったものの制約された自由度の中で未来というより少し先を見ながらも、その時点での仕事を懸命にしていたのかもしれないという気がしています。

 

新しい何かをつくりあげる、ビジネスモデルを創造する、いままでにない価値をつくりあげる、といった業種であれば、別の経験ができたのかもしれないと思うと、もっとビジョンの有用性について理解していればという後悔もあります。

 

そうはいっても、当時はオールドエコノミーが成長期にある時代であったことは事実で、ビジョンの在り方や捉え方も当時はそれでよかったのかもしれません(誤解のないようにいえば当時もビジョナリーなマネジメントをした多くの企業があったことは間違いのない事実だと思いますが)。

 

いずれにしても、自分のやりたいことと会社がこうしたいというものが、目の前の仕事レベルではなく、未来を示すところで一致し、その状況の実現可能性が高いリソースをもつ企業があれば、やりがいのある仕事ができる組織なんだろうと容易に想像できます。

 

もちろん、その時点では資源がないとしても、それをつくりだそうとするトップがいて、それに呼応するように多くの社員が仕事をしている企業があれば、同じです。

 

私はその恩恵にあずかれませんでしたが、夢のあるビジョンがもつパワーを想像すると、やはりビジョンは大切だと強く思います。

 

もしそれが、夢のない未来のない事業で、やる気を失わせることのスパイラルに入るようなネガティブンな環境であれば、きっと社員は力を発揮できないのだろうと考えるのです。

 

未来を想い、ビジョンを明確に打ち出し、政策に昇華させ、具体的な日々の業務に落とし込むことができるトップマネジメントの存在があれば、どのような業種でも、どのような業態でも、きっと夢をもった仕事を社員に提供できるのでしょう。

 

幹部を動かす社員の力も必要かもしれませんが、リーダーの力量、意欲、覚悟があれば、よい企業文化が形成され、高い成果を挙げることができると思います。

 

心底から湧き上がるビジョンをもてるリーダーが数多く出現することを望んでいます。