よい病院、よくない病院の見分け方[石井友二]

マネジメントの巧拙が、病院の良し悪しを決めます。多くの病院コンサルティングの成果をお伝えし、自院の運営に役立たせていただくことを目指します。職員がやりがいをもって働ける環境づくりも、もう一つの目的です

人生は戦場なのか

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安斉かれんの「人生は戦場だ」という曲を聴きました。果たして本当に人生は戦場なのか、というテーマで考えてみることにしました。

 

戦場である、ということは戦闘を行う場所であるということですね。確かに思い起こせば、皆さんもそうであるように私も今までに様々な闘いをしてきた気がします。

 

しかし、これらの闘いは自分がどう生きるていくのか、ということに関するものであり、突き詰めて言えば、誰と闘うのでもなく自分自身との闘いでした。なのでここでいう闘いは誰かと闘う戦争とはまったく異次元のものですね。

 

ただ、自分が置かれた場所で常に自分に勝つことを目指すのであれば、生きているかぎり闘い続けることになります。きっと生まれてから最期を迎えるまで人生は闘いの連続なのかもしれません。

 

そうはいっても、何をしてもうまくいく、すなわち毎日普通に生きているなかですべてが思い通りになる順風満帆に過ごせる人には、人生の闘いはないのかもしれません。

 

自分に勝つことが常態であり勝つための障害を感じないので闘うという意識がない人です。そういう優れた人も多分たくさんいるのでしょう。

 

でも意思の弱い、力のない私はそんな風にはいきません。

 

何かをしようと決めるときも、決めた後も、それを実行するために自分と闘う必要がありました。これからもずっとそうだと思います。

 

しかし、常に闘い続けることは難しいことです。疲れて休息をとりたいことも、しばらくは穏やかに過ごしたいときもあります。体調を崩し倒れて、そうせざるを得ないこともあったし、休む時間を大切にしなければならないときもありました。

 

だからといって「闘う」の反意語は「弛緩」ではありません。闘いは緊張を伴うものばかりではないからです。

 

自分の楽しみのために習慣をつくり日々何かを習得することも、ある意味「闘い」です。意識しないままに好きだから自分を律し時間をつくり、余裕を生み出し楽しむ。何かを続けることも闘いですが、この闘いは、緊張して自分と闘うこととは異なるからです。

 

そうはいっても自分を律することなく、意識せず、時間にながされ「やりたいこと」ができない状況があるとすれば、社会の波に翻弄され、自分との闘いに敗れたのであり、ある意味弛緩していたから闘いに負けた、ということなのかもしれません。

 

こうして考えると、何もしないときもあるし弛緩を目標にして自分が自分に勝たなければならないこともあります。そして弛緩してはならない緊張を伴う自分との闘いもあるなど、人は緊張と弛緩の間を行き来しながら、気を抜かずいつも自分と向き合っていなければならないことが分ります。

 

ただ一つ言えることは、何のために自分と闘うのかという目標は自分で決められることができる、ということです。誰かの意見や強い要請はあるかもしれませんが、最後は自分が決める事柄です。

 

闘うのをいつでも止められるし、いつからでも闘いに参加することができます。メリハリをつけた生き方でも、闘い続けてやり切り満足して迎えるのも自分の思い通りなのです。

 

人生を戦場と思うか、人生を楽園と決めるのかも自分次第であり、選択の自由があります。

 

ただ、人生を戦場と思おうが楽園と思おうが、結果はすべて自分が享受します。そこには責任があります。自己責任です。当たり前ですが、他の誰のせいでもない自分の責任で人生を生きなければならないのですね。

 

たとえば、自分に勝つために多くの人達からの支援が必要であり、力を身に付けてできるだけ多くの人のために時間を使うのが有益だという考えがあるとき、多く人に会い啓蒙や啓発を受け、また彼らに役に立つよう行動しようとする選択を行うことも、そうしたことを面倒くさいと思い誰とも会わないと決めることも自由です。

 

もともと人は相互依存関係のなかで生きていることを、そうではないと考えて独自の道を行くことへの選択も自分の責任において自由でいられるのです。

 

いずれにしても、人生は戦場でも楽園でもあるし、そこに身を置くかどうかも自分次第。もっといえば戦場も楽園もなく、自分がいる場所をどう感じるのか。明らかなのは自立した自分と闘うか、闘わないかでしかない、ということなのかもしれません。

 

「人生は戦場だ」とは言い切れない、という結論です。

 

よくよく見ると「人生は戦場だ」という曲の歌詞には、「人生は戦場だ、そう感じることもある」と書かれていました。素晴らしい!

 

シェークスピアはハムレットのなかで、「人生は選択の連続である(Life is a series of choices.)」といいました。その通りです。

 

闘うことも闘わないこともすべて自由。選択の結果として今の自分がある、ということなんですね。

 

私も、これから先、何を目指し何を成し遂げたいのかについて再確認するとともに、誰の責任でもない自分の責任として、決めた通りに行動できる自分づくりに励んでいきたいと考えています。