無意識のうちに、楽しい人生を送りたいと望んでいることがあります。
今を楽しいと思っていない瞬間があるからでしょうか。いつも健康、環境、人間関係、仕事などのどこかに小さな心配ごとがあるからかもしれません。
ここで、楽しいとはいったいどのようなことをいうのかを考えてみることにしました。
まず、楽しくないことを列挙して、楽しいことの大きな阻害要因になっているのかを検討します。
で、心に占める割合は小さくないものの、私の健康をつまびらかにするのはお門違いなので、ここでは捨象するとして、まず環境の楽しくないことから始めます。
たとえば、新型コロナの問題は言うに及ばず、派生して日本経済のこれからや、クライアントの事業、海外に目を向けて香港や東シナ海での中国の覇権、イランや北朝鮮、ミャンマーの政局などが、心にいくつもの小さなササクレをつくっていることが分ります。
コロナに私一人で抗うこともできず、終息が遅れればクライアントの業績にも大きく影響するし、財政がひっ迫していて今後成長が見込めない日本経済の行方を想像すると、少し不安になります。
少子高齢化の日本で、今でさえ国民の可処分所得が30年前を下回る状況のなか、国は大盤振る舞いをせざるを得ず、来年以降、どれだけ社会保障費や税金の負担が増えるのだろうと考えると心細くなるのです。
海外に目を向ければ、香港とりわけASEANは仕事のフィールドの一つであり、コロナで被ったロスは小さくありません。さらに中国やイランと米国の対立や北朝鮮問題など一触即発の状況を考えると、きな臭さが視界を覆つくしてしまうイメージがあります。
しかし、私は環境や日本経済の行方に仕事として対峙している官僚や政治家ではなく、これらの問題に毎日毎日思い悩むことはありません。心配しても変わらないと諦め、大きな楽しくないことではないと思い直します。
さらに、気持ちの凹凸はあるものの、人間関係にも気を揉むほどの大きな問題はなさそうです。
仕事はどうでしょうか。
日々の仕事にストレスはありますが「やりたいこと」そして派生する「やらなければならばならないこと」はできています。
多くの人がそうであるように、課題を解決すると一つひとつ完結する仕事をしているので、誰かに喜んでもらえばストレスを凌駕する達成感を得られるので幸せです。
漠然とした不安は有りつつも、こうして消去法で消していくと自分の置かれている状況が少しずつ見えてきます。
ここで、以前『マーティン・セリグマンは、「オプティミスト(楽観主義者)はなぜ成功するのか」という著書で、悲観主義者はうまくいかない。なので、困った状況、思い込み、結果を書き出し、それに反論し、元気付けることで楽観主義者に転向できる。ネガティブな思い込みが、実はただの解釈でしか過ぎないことが分かるからだ』と紹介したのを思い出しました。
今回偶然にそのプロセスを経ていたことに、この文章を書きながら愕きました。
ただ、悲観主義者から脱却する手順の、「元気付ける」ことが残っています。
さて、ポジティブ心理学による学習性楽観主意を主張したセリングマンは子供を悲観主義から守るというテーマをもっていました。なので「元気付ける」のは、元気付ける誰かから、元気付けられる誰かに対する行為だと分かります。
となると、「大丈夫だよ、そんなに心配しなくても。そこそこ楽しいじゃん!」と、元気にしてくれるのは誰なのでしょう。十分大人な私には、元気付けてくれる人はいないのです。おーーーい!
なので、ストーリー全体を理解し、自分が自分を鼓舞し元気付けなければならないな、と納得です。
頑張っている友人や仲間、クライアントの経営者の多くが、(たぶん)オプティミストなので、その姿を思い浮かべて心のワクチンにするのが有効だ、という気持ちに辿りつきました。
んーーん。よし、だんだん元気になってきたぞー!(単純ですね)
環境や仕事のストレスはあるものの、誰でも、心のどこかに隠れている楽観主義を手探りで見つけ出し、光を当ててその存在を確かめながら愛でるのが大切と悟ります。
宇宙に生かされ暮らしていけることに感謝し、日々、いくばくかの楽しさを感じながら、これからもポジティブ派に属することで前に進んで行こうと思います。