よい病院、よくない病院の見分け方[石井友二]

マネジメントの巧拙が、病院の良し悪しを決めます。多くの病院コンサルティングの成果をお伝えし、自院の運営に役立たせていただくことを目指します。職員がやりがいをもって働ける環境づくりも、もう一つの目的です

どこまでやれば満足できるのか

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人は社会人として何かを行なおうと決めて行動したとき、どこまでやれば満足できるのでしょうか。

 

決めたことが完璧にできれば最大の満足を得られますが、決めたことの幅があるときには決めたことの下限で満足してしまうことがあるし、決めたことが「〇〇ができるようになる」、といった定性的なものであれば自分でラインを引き、ここでいいやと満足してしまうこともありそうです。

 

もちろん決めたことが十分にできなくても、ここまで頑張ったんだからできなくてもいいや、と自己満足により決めたことへの取り組みを止めてしまうこともあります。

 

こうして考えると「満足」はとても主観的なものだと分かります。定量化された目標や資格取得のように目標が明確ではない限り、どこで満足するのかは本人の意識の置き場所次第なことが明らかです。

 

私は、「自分の思いを達成したときが自分の成功であり、そこには主観的な満足が必要」と考えてはいますが、一方で少なくとも第三者から一定水準の評価を得られないかぎり満足してはいけないとも理解しています。

 

ただ、すべての決定事項に「高い客観的評価」を強要し枷にしてしまうと、とても息苦しくなります。とりわけ、あれこれトライして自分のやりたいこと、やらなければならないことの見極めを行うプロセスにおいて常に完成形を求め行動するのでは、息が続きません。

 

試行錯誤のなかで、この目標はここまででも良いが、これはやり遂げていこう。そして誰からも認められる力を付けようと判断し、主観的満足と客観的評価に基づく承認による満足(以下客観的満足)のバランスをとり行動するのが自然です。

 

なお、私は社会人として自立し思い通りに生きるためには、ここでは詳しく説明しませんが、

  1. 正しい仕事の姿勢(Correct attitude)
  2. 適切な行い(Appropriate action)
  3. 必要とされる人(a person Needed)

のファクター(CSN=キャン)を身に付けなければならないと考えています。1と2を忘れずに3になることを目標に行動すること大事ですね。

 

ここで1と2を身につけた3の「必要とされる人」はまさに客観的満足の結果であり、自分がこれだと決めたものについては、信念をもち力を付けて、ゴールまで諦めないでチャレンジすることが大切だと分かります。

 

やらなければならないことからやりたいことを見つけたり、始めからやりたいことがあれば、そのなかからこれはというものを決め最大の満足が得られるよう果敢に挑戦しなければならない理由です。

 

ルーチン業務への取り組みを怠らず、創造的な優先順位の高い取り組みについては自分の高い満足を追い続け、これだけは負けないという得意分野(比較優位)をつくることが社会人としての役割です。

 

理想は、好きなことを懸命に続け達成感を得つつ自信を持ってさらにチャレンジしていたら力が付いた、気付くと人から認められ「必要とされる人」になれていた、という主観的満足=客観的満足の状態でしょう。

 

現状での取り組みは、それぞれどこに満足水準を置くのかを考え、その時点で自分の好きなことは何か、やりたいことは何かを整理しながら、並行してそれらを進めつつ、これだ、これを突き詰めていこうというものがでてきたときには途中で投げ出さず、また適当なところで満足せず何かをやり切ること。

 

結果としてCANを目指し、主観的満足=客観的満足の状況をつくれるよう行動することが社会人として自立し思い通りに生きるポイントだと分かります。

 

トライしたけれど中途半端で終わってしまうことが多いなか、満足水準を高みに引き上げてチャレンジしていきたいと改めて思いなおしています。