よい病院、よくない病院の見分け方[石井友二]

マネジメントの巧拙が、病院の良し悪しを決めます。多くの病院コンサルティングの成果をお伝えし、自院の運営に役立たせていただくことを目指します。職員がやりがいをもって働ける環境づくりも、もう一つの目的です

田園に身を置いて

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以前、東京交響楽団の演奏会で、田園を聞きました。ベートーベンの闘争的性格に終止符を打った交響曲であるといわれています。田園はとても有名な曲なので、その旋律は誰でも聴いた事があると思います。

 

パンフレットを見て第一楽章から第五楽章までのストーリを知り、より鮮明に曲のイメージをもてました。交響曲のストーリーは物語のようで、すべての事象には起承転結があるのを改めて確認することができました。

第一楽章は、田園に着き、その広がりのなかで気持ちのよい、そして快活な感情を表す。第二楽章は、小川がながれていてそのほとりの情景をほうふつとさせバスの音、そして風をバイオリンで表現。ほんとうに嵐にあった、そして雷がなっているるイメージを喚起する。

 

第三楽章は、田園の人がたくさん集まり、明るくそしてユーモラスな雰囲気を表現する。第四楽章は、雷雨と嵐がきた情景。ディンパニの音やコントラそのものをイメージしています(聞いていて臨場感がありまるで自分が嵐のなかにいるようにドキドキしました)そして、第五楽章は、羊飼いたちの歌。嵐がすぎてすがすがしい希望の音でサントリーホールは満たされていました。


ベートーベンの前のハイドン交響曲第三番ト長調、ドボルザークチェロ協奏曲ロ短調作品104(ジャン=ギアン・ケラス→アンコールで演奏したバッハがよかったので、CD買っちゃいました)の二曲にはストーリーはあるものの、どちらかというと純粋な音楽理論に構築された、旋律の構造をつくりあげるためのストーリーであるとの思いがあります。

対位法的技巧(音楽理論の一つであり、複数の旋律を、それぞれの独立性を保ちつつ互いによく調和させて重ね合わせる技法がほどこされている)…といった表現で説明がなされています。

 

ただ、例えストーリーを知らなくても、我々に音の気持ちよさを感覚で拾う作業を続けさせることで心が震えるよう音楽がつくられている、といった気がしました。

 

音楽の本来の聴き方としては、ストーリーを納得したうえで、ふむふむ、これが嵐だといったわかりやすさによる納得感ではなく、心が景色を感じられることが求められているのでしょう。

歴史や背景などを知り音楽を分かり易くすることはある意味必要ですが、そうしすぎると感動をする暇がありません。なるほどという部分での感激はあっても、そちらに意識が向きすぎると、心が打ち震えるような意図しない感動は薄れることがあります。

 

曲そのものの旋律や、心に伝わる音楽の鼓動、そして空気を伝わる波動に触れてこそ人は感動するのだと思います。

 

ところで医療はどうでしょうか、科学的な根拠、理論的な選択肢を説明する。そして説明することにのみ労力を割く。それはもしかしたらインフォームドコンセント(医療職と患者との十分な情報を得た上での合意)が義務だから。説明をすることで免責される、という思いが何処かに透けて見えることがあります。

 

一方、患者の立場に立ち、常にベストの仕事をする医療従事者が、分かり易くしっかり説明を行いながらも常に患者と心で接する。

 

そのことで患者は理論的には完全に分からないとしても納得し、医療側の思いや心が伝わり、接している、話しているだけで患者は感動し、自分は頑張らなければならない。早くよくなりたいと自らの生命力を呼び起こすことができるのだと考えています。
 
説明をすればよいのではない、理論的に分かってもらうだけで免罪符を得てはいけない。医療人としての思いをもって患者に接し、彼らの理解と前向きな気持ちを持ってもらうための綿密な仕組みやスキルを高めるトレーニング、そしてそのなかで育成される精神性、何とかしたいという思いにより、患者に自然に感動を与えることができるのです。

 

事実、現場では多くの医療従事者があらゆる場面でそうした思いを持って行動しています。患者に対し、複数の医療従事者が対位的技巧法にあったように「複数の旋律を、それぞれの独立性を保ちつつ互いによく調和させて重ね合わせ」チーム医療を以て活動しているのです。

 

彼らの思いの重さに叶うものはなく、医療従事者では無い私にこの話をする資格はありません。しかし、インフォームドコンセントについて考えることは、マネジメントのあり方の一つのテーマだとも思っています。

 

技術に裏付けられた、心の医療を行うことを阻害する要因を排除し、職員が力を発揮できる最適な環境をつくるための一助として支援をさせてもらう喜びがあります。

 

今日のコンサートのなかで、田園に身を置いて感動しながらふと考えたことでした。