東京ニューシティ管弦楽団の指揮者である内藤先生との対談を行いました。
東京ニューシティ管弦楽団は音楽監督・常任指揮者に内藤彰を擁し、1990年に設立されました。これまで着実に定期演奏会が行われ、その他にも名曲コンサート、オペラやバレエ、さらには都内の学校を対象とした音楽鑑賞教室のほか、ポピュラー・ミュージックなどの分野にも活動の場を広げてきました。 2006年4月には首席指揮者として曽我大介を迎え、また同年6月には社団法人日本オーケストラ連盟に準会員として加盟し、オーケストラとしてのさらなる飛躍を目指しています(紹介文より)。
内藤先生は上海の公演から日本にお帰りになったばかりでしたが、お疲れの様子もなく、音楽についてのいろいろな話をしていただきました。私達の会社が医療と音楽というジャンルにおいて、こらから新しい活動をしていきたい、とのお話をさせていただきました。
また、人は意識せずとも音楽の旋律のなかで、心地よさを得ることができるといわれていますが、
音楽は、単に癒されるだけではなく、音楽を聴くものの感性により、自分を振り返り心を透明にする力があること。
そして、自分について言えば、いつもそれまでを振り返り、これからどうするのかについてクラッシックの旋律に導かれるように、心を決めることができること。
そしてクラッシックを聴いたあとでは、すべての身体に溜まった檻(おり)が音のシャワーにより洗いながされ、さらさらした気持になることができること。
などをお話しました。
先生は、楽譜に忠実に歴史を踏襲し、その時代の音楽を提供していくことがいまのオケではできていない。何かオリジナリティを出そうとして、例えば不協和音といったものを作り出している。たまに、そうした和音のなかにも感じるものがあるが…。自分は、時代にながれるのではなく、伝統と歴史の重みを大事にして音作りをしていく。という話をされ、よい音楽をつくるために細部の音にまで拘っていらっしゃることがよくわかりました。
聴く側の感性を感じながら演奏をすることもあり、背中で反応を敏感に感じながらタクトを振ることもあるという説明をされました。
医療と音楽、感性についてはさらにいろいろな角度からお話をいただきました。
いずれにしても、我々は常に相手を感じ、相手の立場に立って物事を運ぶ面と、どうしてもこれだけは譲れないという強い思いとのはざまで落しどころを探す毎日だからこそ、感性を磨いていく必要があると思っています。
知識だけではなく、それをつくりだす人達と感じあえることが成果をあげる近道であると強く認識しています。音楽はそうした自分を見つめ直す、道場のような空間であるのかもしれません。
音を聴き、感じとり、反芻し、見つめ直す。テーマを絞った思考のなかで、音が大きなうねりとなってそうした自己闘争を後押しする。音と思考とが一体となったとき、無=透明になった自分を感じることができます。ただ、そのときにまったくの透明ではなく、ある意志をもった透明とでもいうべき空気に身を置いていることが判ります。
雑念から開放され、音と決意や覚悟が心と身体全体を支配する瞬間です。この状態を私は透明といっているのかもしれません。
この瞬間、この時間、この空間、この生命に戻りたくて、自分は音楽を聴きにいくような気がしています。これからも、医療の仕事をしていくうえで欠くことのできない体験を積み重ねていきます。
音楽を聴くことで無意識に癒され、そして勇気づけられる、積極的に生きることができるための音楽。それを当社は地域住民にニューシティが提供できるよう支援させていただきたいと考えています。
内藤先生には、この感覚すべは説明していませんが、また次回、ゆっくりと音をつくる側からの思いをお聞きしたときにお話してみたいと思います。
PS.11月21日(水)19時からは、東京芸術劇場大ホールで、内藤彰指揮、ピアノ宮谷理香でベートーヴェンの皇帝と、ブルックナー交響曲第3番(ワグナー交響曲)が演奏されます。