よい病院、よくない病院の見分け方[石井友二]

マネジメントの巧拙が、病院の良し悪しを決めます。多くの病院コンサルティングの成果をお伝えし、自院の運営に役立たせていただくことを目指します。職員がやりがいをもって働ける環境づくりも、もう一つの目的です

宇宙の心に抱かれて生きる

2009年に書いた記事です。さまざまな事が起こっている今、古くて新しい感覚があります。

 

「夜遅くニコラスケイジ主演のノウイングという映画を見ました。地球の運命は決まっていて、それを人間は阻止できない。死ぬことは避けるのではなく受け入れる。

 

そもそも地球は誰がつくったのか、なぜ存在するのか、いつまで存在し続けるのかを意識しないで皆は生きている。しかし確実に最後はやってくる。

ただ、それは宇宙でいえば小さな出来事、「これは終わりではなく始まりだ」的なことをニコラスケイジの神父である父親はいう…。ニコラスケイジが、I am knowing(アイムノウイング)という映画です。

基本的に、人間は誰がつくったのか。どこからきたのかを問うものです。もちろん地球上に生物や人類が誕生し、それが進化して現在にいたっているのは理解できますが、宇宙はだれがつくったのか。宇宙はなぜあるのか。はじはどのようになっているのか。他に天体があり、どのような生物が生息しているのか…。などなどわからないことばかりで、考えが及ばない世界です。

そもそもすべてを分かろうとすることが無意味なのだとあるとき気が付きました。結局は人は、宇宙の心に抱かれて生かされているのです。

 

生かされているのであれば活きなければならない。であれば、何をするのか。享楽や利己に走るのではなく、自分を犠牲にしても何かを残すことが使命なのだということがそれです。

聖人ではないので、自分をすべて犠牲にして他者のために生きると心から言えるはずもなく、結局は俗人的で、しかしそうではないところに近づくことが目標になったのはいつからか、とときどき思います。

活かされるためには、懸命に働くことが必要だという結論は揺るぎのないものであると納得しています。   

 

ただ、ときどき仲間で「何のために懸命に働くのか」という議論になります。答えは多様でとりとめもありませんが、「生きる価値を見出すため」という答えが帰ってくる人も多く、少し安心した記憶があります。

宇宙から見た地球は清く、美しく、透き通った色をしているようです。何かを地球の上から見れないためいつも少しでも上から見てみたいと思います。

 

映画館を出て、エレベーターを待つ窓から見ると、随分と街が進化し、大きく、そして思った以上にきれいであることがわかります。宇宙の心はもてないけれども、ビルからみる景色の大きさ程度の心は、努力してなんとか持ちたいと感じました(傲慢な感じですが…)。最期までこんな葛藤の中で生きていくのが人間なのかも、と納得できた帰り道でした」。

 

この記事を書いてから既に13年も経過していますが、まだまだ満足できる自分でない事を思い知らされます。きっと最期まで到達出来ない永遠の努力目標なのかもしれませんね。