今日は滋賀での仕事のため新幹線で移動をしている。
日曜日であるからか、乗客はとても少ない。
雪のため、20分遅延しているというアナウンスを聞き、少し憂鬱になりながら車窓を眺めていると、富士山が突然と視野に入る。
富士山をみると、すぐに霊峰富士という言葉が浮かぶ。
霊峰とは神仏などが祭ってある山。信仰の対象として、神聖視されている山(広辞泉)ということだが、日本人の心にこれほど深く感銘を与える山はない。
私たちの命は短くそしてはかない。
流れる時間を手のひらにのせ、慈しむように時を愛で、大切にしようという思いでいると、富士山をとてもうらやましく思う。
長い間日本のいきざまを見続けてきた。日本人の目標になり、癒しになり、心の支えになりながら、これからも幾星霜、時をみつめていくことだろう。
何も言うことはできないけれども、すべての出来事を知悉し、そして何もかも飲み込む度量をもちながら、これからも生き続けていくことができるのだ。
しかし、ふと思う。
確かに私たちに与えられた時間は短い。けれども一人ひとりの意志さえあれば、何かを残し、多くの成果を残し社会に貢献することができるのだ。
多くの思いをもった人々により日本の歴史はつくられてきた。善きも悪しきも時代をつくった人々は日本を憂い、何かを創造するために闘ってきたのではないか。政財界を動かした国士や経営者、思想や哲学をつくりあげてきた偉人達、彼らの努力に触れると身が引き締まる。
また名も知れぬ、心をもつ人々が、日々の生活のなかで徳を積み、善行を行うことで、日本経済や文化が育まれてきた時代が続いたのだと思う。
日本はいま亡国の危機に瀕している。
この状況に気が付き、危機感をもつ者がどれだけいるのかは分からない。
ただ、いま自分が何をすべきかを熟考し、覚悟を決めて行動している人々は、いる…。
私の周りにも、たくさんの志をもち自らの情熱を確実な行動に昇華させ、懸命に生きている友がいる。先輩がいる。仲間がいる。
私たち一人一人が変革することで、成し遂げようとすることは、必ず成し遂げることができるのだ。
私たちが動かなければ何も変わらないし変われない。
富士山はその存在を通じて、私たちにそれを訴え続けているのではないか。
私たちの心にあり、日本のために、国民一人ひとりが豊かな暮らしを享受できるように、私たちの傍にいて、私たちにそうなることを促しているのだと思う。富士はやはり偉大である。
ほんの少しの間、車窓の富士を眺め、次に進む勇気をもらうことができた…。