花粉症の私は、いくら目薬をさしても、しばらくするとまた我慢できないかゆみが襲ってきて、我慢できなくなることがあります。眼やにが出て、ものをよくみえなくなることがあります。朝などは、目がかすみ、あるいは目が明かないほど、被害を受けていることもあるのです。
ものをしっかり見ることの障害になることは、このほかにもたくさんあります。
思いこみや、固執、あるいは無目的な人生…。みなものがよくみえなくなる原因です。
何かをそのままのかたちでみることができる。そして真実のなかに求めるものを知り、次の行動に進む。ものをよくみるということは、人が生きていくための必須事項であると思います。もちろん、これは目でみることだけではなく、心でみることも含まれています。
というよりも後者がより大切であるのかもしれません。
自分は真実がみえているのだろうか。かたちに心を乱されていることはないか。何かを見極める研ぎ澄まされた心をもっているのか。求めるものをもっているのか。反芻してみる必要があります。
目的を決め、自分の役割や使命を思い、心が魅かれるものを受容し、確認したのちそのために生きる。これが人生であるとすれば、やはりものを見る目を養わなければならないのです。
色眼鏡でみることなく、フィルターを通してみるのではなく、自分の目で、心で確かめる。常に良く見える状況に自分をつくりあげていくことが期待されます。
このモニュメントは札幌大丸の前にあります。この前に立つと、いかに限られた範囲でしかものがみえないのかがわかります。これは心の壁なのかもしれません。心の壁をとりさり、よくみるために心を動かし、何かを常に見続けること。
人生を後悔しないためには、まずは自分が変わることが必要であるという結論に至るのです。