事務所にあるガーデンの花が咲き誇っています。季節は初夏なのでしょうが、春の面持ちです。心なしか、街は明るく、そして華やいでいます。
夏の暑さよりも、爽やかな風をつくりだす空気は、どちらかというとそよ風のように、身体が感じます。
頬に風を受けるというイメージではなく、身体全体が流れる空気を心地よく捉えている、そんな気候が続いています。朝起きて、カーテンを開けるときに、太陽の日差しが、それほど暑くもなく、しかしほんのりと暖かい季節は、心を豊かにします。
宇宙の凄さを感じることができる一瞬です。人は誰でも生きている今を、何げなく受け入れるときがあります。感じるものを感じ、何も頭に思い浮かべず、他に思考をもたない。このような無になる瞬間は、人間に与えられた、生きていることを実感できる宇宙からのご褒美だと私は思います。
けさ、新橋から銀座の事務所に歩いているとき、空を見上げると、完璧というわけではないけれども少しの流れ雲をたたえた青色が広がっていました。紺碧に育つ前のブルーというイメージです。私は思わず手を広げ、宇宙の気を取り込もうとしました。
気を感じようとすると、あるときはゴーという音が聞こえ、あるときは手の平がじりじりと感じ、空気が吸い込まれるように、ながれていくのを認識することができます。意識を集中すると、とてもセンシティブではありますが、手の平が身体全体となり、空気と宇宙を身近に置くことができます。
宇宙を知るという感覚は、無のなかで地球と自分が一体となっている、いや抱かれている心地よさがあります。ひさびさの気持ちでした…。
さまざまな欲望も見え隠れするなか、なんとか正しい軸をもとうともがいていて、自分と宇宙を行き来することができていなかったことを反省しました。
私たちは生かされている。生かされているのであれば、証と価値をつくりだすため生き抜く必要があるという思いがあります。このことについては以前、どこかで話しましたが、まさに、そうした気持ちを再確認することができる今朝の機会でもありました。
感性を研ぎ澄ますためには、自分のなかに埋没せず、一歩離れて客観的な視点で自らを見ていく必要があります。
新しい季節のなか、猪突猛進するのではなく、自然を知り、自然を愛で、そして無になり自分を感じてみることも意味があるということを知るのです。
春のような夏、少しだけ宇宙と自分を感じることができました。