よく蝉の一生を人生になぞらえることがあります。人は哺乳類のなかでは長命ですが、昆虫である蝉の一生はとても短いといわれています。
数年間地下で幼虫として成長したのち、外にでて最後の夏を迎え、そして死んでいく。
一匹一匹は華々しさはないけれども、自分達が訴えたいことを懸命に訴え、そして子孫を残し自らはこの世を去る。
我々からみれば空しい蝉生(せみせい←じんせい)ではないかと思います。
しかし、彼らは懸命に命をかけて最後の最後まで何かを訴え続けて死んでいくことに満足しているのではないかとときどき思います。
私の自宅のマンションの廊下にあおむけになり大往生している蝉の死骸がありました。
その姿は堂々としていて、何もかもやりきった満足感に満たされているようです。
彼が残してきた短い時間のなかの努力に敬意を払う人はいないかもしれないけれど、彼自信が達成感と満足を感じ、やりきってこの世を去るのであれば、それは彼にとり素晴らしいことであった筈です。
私も、こんな感じで最後を迎えられたらと思います。