朝陽に出会うとなぜ心が安らぐのだろうと、ときどき考えます。その程度は季節によるとしても、ガラス越しでもそうでもなくても陽を浴びると、焚き火に手をかざすときのように暖かさを感じます。
その暖かみがただちに心に伝わり落ち着きを感じるのでしょう。物理的にも精神的にも人は暖かさに癒される生き物なんですね、きっと。
そのずっと以前から存在していた太陽は、人類がこの世に生を受けてから気の遠くなるほど長い間、照り続け、安らぎを提供し続けています。
人類にとって、漆黒の空が地平線から少しずつ薄くなり、そして太陽がゆっくりと顔を出し徐々に辺りをオレンジ色に染める朝を迎えることは、とても大きな喜びであったのではないかと思います。
文明が進み技術が進歩した今でも、その感覚は変わりませんが、当時は新しい朝が来ることへの渇望や、明るくなることで活動できる喜び、また狩り(仕事)をして空腹を満たす満足など、太陽への感謝の気持ちは筆舌に尽くせないものがあったのではないかと想像もします。
大型爬虫類への恐怖が引き継がれ、トカゲに出会うとドキッとする人がいるように、陽の光への憧憬が遺伝子レベルで蓄積され、無意識のなかに安心を覚えるのかもしれません。
今では、太陽の光を浴びるとメラトニン(眠気物質)が減少したり、ビタミンDを活性化するだけではなく、セロトニンが活性化し幸福を味わえること、そしてストレスをなくすことで遺伝子情報を保つDNAを保護するテロメアを短くするのを抑制し寿命を延ばす効果もあると科学的に証明されているようです。陽光は間違いなく身心によい影響を与えるんですね。
どのような理由があるにしても、太陽の光を浴びる機会を多数つくることはとても幸せになることであり、力が出ることなのは間違いがありません。
なぜ存在するのか分からない広い宇宙、太陽系の地球に生まれ、こうした機会を得ることができることをとても感謝をしています。
太陽の光を浴びたい一心で私は早起きを厭わないのかもしれないと考えることもあります。
とは言え、コロナで出張が激減したことを免罪符に実際には怠惰が勝って、思い通りにはいかない昨今です。いつかまた平和な時代が訪れ出かける機会が増えて、生かされている身としてエネルギーを得て使命を果たせるよう、早起きできることを心から祈っています。