花の美しさは理由なく心に沁みる。緑の木々の風に揺れる心地よいざわめきや、小川がサラサラ流れる音を耳にするなど、自然に触れると安心するのと同じ原理だと私は思う。
人類が生きてきた歴史が集積されている遺伝子レベルの話だとしか思えない。
ただ、ふと、うっすらした記憶が蘇る。
私の小さいとき、家の庭には父親が日曜大工でつくった形ばかりの池と、近くにもみじの木があり、そしてその周りをいまでは見たことのない香りの強いツツジが数本父により植られていた。父親のイメージはこのツツジとともにある。
当時流行りの漫画家くずれの父親の器用さといったら、それは比類ないものであり、小学館の図鑑を書いたり、本の挿絵を書くことを生業としていた父親は、私にとって魔法使いのような作品をつくる存在だった。
小学校の頃、私はそこそこの絵を書いてはいたが、父親にねだって夏休みの宿題である図工や絵を書いてもらうことがあった。作品を持っていくと、たちどころにバレて先生からげんこつをくらうのであった。
たとえば、 父は陽だまりのなかコツコツと紙で建物や駅を加工し、得意の絵を背景に書いて、今でいうジオラマをつくったことがあった。
実際に山やトンネルを通る、やはり段ボールを切ってつくった山手線(と記憶している)を、小さな電池を使ったモーターを利用して動かすところをみて、大げさではあるが神の世界を感じたものだった。
そんな父親が実は本郷の商家で生まれ育ったと知ったのは、随分後のことだ。伯父の放蕩により本郷が没落しなくても、二男であり商売には向かない父は家をでていただろうと思う。
物静かな怒ったことのない父親は繊細で、いつも笑顔で接してくれたが、結核で肺を一部摘出していたこともあり私が中学のときに早世した…。
母からは頬をたたかれたことはあるが、父からは手を上げられたことがなく、男は叱らないものというのはそのときからの私の生き方の一部になった。
父親の厳しさを知らずに、しかし又優しさだけを知って、父との関係を終わった時期であった。
花を見ると無性に落ち着くのは、そんな昔が無意識のうちに思い出されるからかもしれなかった…。