名は知りませんが、あまりにもよい香りがして思わず頬をよせてしまうほどです。感動ものです。
この家には、他にも華麗な白いツツジがたくさん咲いていて、ここを毎日通りたくなる気持ちになります。綺麗な花は、なぜこんなに香るのだろうと思います。
綺麗なだけで十分であるのに、さらに人を魅了する香りをもっている。秀でたものがさらに秀でるようなもの。
ふと昔を思いだしました。確かになんでもできる万能のクラスメートは必ず教室に一人はいたものです。彼らはなんで勉強もでき、スポーツもできるのだろうと、とてもうらやましく思っていた記憶があります。
しかし、今振り返ると結局は、スポーツ万能で天才的に勉強ができる友人たちは、皆、それなりの人生を歩んでいるものの、そうではなかった私たちとともに同じような人生を歩んでおり、突出して日本を動かす何かをしているわけではないことに気が付きます。
人間は公平に機会を与えられ、ながいあいだには、よかったりよくなかったりしながら、時を過ごしていくものだということがわかります。
確かに綺麗な花は、強い香りをもって、あたりを睥睨しながら咲き誇ることはあっても、また季節が移れば勢いをなくし、何もなかったかのようにそこにいる。しかし時期が来ればまた咲き誇り…ととても人生に似ているのものだと思ったりします。
自分に咲き誇る時期があったか、これからあるかどうかは判りませんが、淡々としかし、情熱をもって地道に生きることが大切なのだと考える機会になりました。
もちろん達観するのにはまだ早い。しかし、だからといって一時の結果に拘泥せず、思いや哲学、そして目的をもって命を全うする生き方が、人間には合っているし、それが実は大変で素晴らしいことなのだと思います。
着実にそして堅実に、定めたことに執着して、結果として思いを達成することが人生…。そんなふうにこれからを過ごしていこうと、この木をみて感じたのでした。
いまこの家の横の路を通ると、すっかり花を落としたこの木に出会います。今はただの緑を湛えた木になっていて何の感動もありません。しかし、この木はまた咲き誇るときをきっと迎えます。それでよいのだという思いが風となり、すっと私の横を通りすぎた気がしました。