真っ青な空の下、うだるような蒸し暑さのなかに、セミの声聞いたり、木陰で微風を感じるとき夏を感じます。ときどきの夕立が空気を洗い流してくれることもあり、この季節は、心爽やかに通り過ぎていきます。
そんな夏の思い出は格別で、春や秋、冬の思い出もあるものの、夏に勝る季節はありません。明るく開放的で気持ちのよい季節にできた思い出は、後に強く残る記憶が多い気がします。
一年のなかで、もっとも長い休みが付いて回ることで、夏は他の時期よりも思い出をつくる機会が多いという理由もあるかもしれません。
ところで夏には祭りがあります。「夏=祭り」というイメージです。夏の思い出には、どこかに子供のころ浴衣で行った縁日でのできごとや、友達と遊んだ神社での一コマ、あるいは元気な神輿を担ぐ人々との風景があることに気が付きます。
夏祭りには勢いがあり、しかし、もの哀しい。そんな印象が私にはあります。
始まるまでは楽しみでドキドキするけれども、祭りが終わってみると、気が抜けたような空気が辺りに漂うことがあるからです。
「よかったね~」といった祭りの後で湧き上がる感動は、祭りの瞬間のそれよりも弱弱しく、そして次の意欲につながりません。
祭りは生活のなかの付加的なものなので、許されるとしても、日々の生活のなかでも、あまり何かに力を入れすぎたり、期待したりすると、それが終ったときに同じような状況になることがあります。
もちろん、常に何かに情熱をもち、一つひとつの出来事を楽しむことは大切です。しかし、何かはじめるまでは元気がよく、ひと段落すると脱力するような、一つ一つに執着しすぎる生き方では、起伏のある気持ちが生まれてバランスのよい生き方ができません。
自分のビジョンや目標を明確にして着実に何かを進め、日々の出来事や短期的な成果の良し悪しにはこだわらず、一喜一憂せず、何があっても信念に基づく大きな思いをもって、信じる道を生きることができる精神と気力をもち生きていかなければならないと考えています。
祭りは祭りで、純粋に楽しいし盛り上がるとしても、しっかりと自分の足元を見つめ力をつけた者だけが、「人生」という大きなイベントを、価値のあるものにしていけるのではないかと思うのです。
難しいことですし、その境地にはなかなか辿りつけないとは思いますが、着実に人生でなすべきことに思いを馳せ計画を立て、地道にあることを究めていくこと、力をつけ泰然自若として、自信をもち前に進んでいける、どっしりとした人間になること、
そして、人生に起こったすべてのことの一つひとつを思い出として最期に愛でることができる生き方をしていきたいと、今強く思っています。