花を見るとなぜ心が休まるのか、いつも不思議に思います。
花にはさまざまな形があり、そして色があります。咲く時期や、咲いている期間も異なり、一様ではありません。比較的暖かいときに花が咲くのも自然の摂理としても、冬でも花をさかせる植物もあります。
ただ、熱帯地域では大輪の、そして原色の花が咲くのは面白いですよね。南国の食用の魚にも黄色の縞が入っていて奇妙ですが、不思議ですね。
そうしてみると、花はエネルギーの在りかと不可分であり、エネルギーがある場所のほうが、花も力に満ちていると仮説を立てることができます。
しかし、咲き誇るように元気な花ではないし、大輪でもないけれども、道端にそっと咲いて目立たず、静かに風に揺れている花も日本的でよいと思います。おしとやかな花です。
エネルギーをもっていないように見えても、条件の悪いところでしっかり根を張る花もあります。「この小さな、こんなところに咲いて、頑張って咲いているんだなあ」、と力強さを感じることもありますよね。
結局は、花を愛でる人の思いにより、花は生きもするし、そうではなくなるのかとも思います。
人が繊細な気持ちをもち、優しさを抱いて花をいたわれるのか、また人生のなかでその花との間に思い出をもっているのかどうかに、花の美しさは依存するのかもしれません。
花を見るとき、その花と一緒にあった出来事を思い出し感傷に浸る。「あのときバラの花をもらったな」とか、「傷心のとき、ツツジの甘い香りに癒された」など、花が媒介になり心を豊かにしてくれることもあります。
花自体の美しさを感じることや、花を通じて過去を想い出し反芻するなかで、その花の存在を深めていくことで花はより一層愛でられ、そして大切にされるのだと思います。
いずれにしても、花は人の心に何かをもたらす存在だと整理できます。
私たちは、花を通じて自分の気持ちを確かめ、深め、高め、季節を思い癒され安らぐことができるんですね。人が人らしく、そして本来人が生まれ持つ心の豊かさを覚醒されることに気が付きます。
これからも、さまざまな花たちを見て、触れて、香りを楽しみながら、花をいたわり、慈しみ、愛でていく。また、花たちの背景に生まれた「たくさんの思い出を胸に、いつもその気持ちを忘れずに、多くの生き物や人間、そして社会と付き合い、温かい、しかし力強い人となることを目指しつつ生きていきたいと思います。
とはいうものの、あれこれ考えず花の美しさに感動するだけで充分だと思うのが本心です。疲れたときには自然のなかに身を置き、花に囲まれてゆっくり休む、そんな生活にずっと憧れています。