よい病院、よくない病院の見分け方[石井友二]

マネジメントの巧拙が、病院の良し悪しを決めます。多くの病院コンサルティングの成果をお伝えし、自院の運営に役立たせていただくことを目指します。職員がやりがいをもって働ける環境づくりも、もう一つの目的です

日本を捨てたものではないと思えるようになるために

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 最近思うことは、いくつかの国を訪問して、人間は皆同じということです。
国や文化が異なる、あるいは経済が異なると、異なる思いをもった人間であるかのうように思いがちです。

 なぜこの議論をするのかというと、日本のホスピタリティについて取りざたされることが多くあり、日本が優れているというように言われるからです。

 しかし、たとえばリッツカールトンについてホスピタリティが語られますし、デズニーの対応、そして昔と違ってきたマクドナルド、など、意外と海外の文化を持った会社の接遇や顧客に対するメンタリティが、我々の教科書になっていたりするのはどうしてでしょう。

 日本のわびさび的なものや古風な旅館におけるもてなしも話題にはなりますが、思想や理念、そして組織としてのホスピタリティを評価されているのは海外の会社であったりします。ノードストロームの考え方やサービスがベンチマークの対象として評判になったこともありますが、これももちろん日本のデパートではありません。
 
 アジアの国に行き、彼らと話をしても、皆礼儀正しいし、気遣いができる。そして一定の教育を受けた人がそうしているのではなく、電車に乗り合わせた工員と思しき人が荷物をもった私に席を譲ってくれたり、タクシーの運転手が暖かい応対をしてくれる、あるいは荷物を10mも運んでくれようとする場面に何回も遭遇しています。

 中華レストランのウェイトレスが帰りがけに私にコードを着せてくれることや(地元の人は驚いていましたが)、丁寧に困っている私を助けてくれる人などたくさんの優しさをもらっています。
 逆に日本に留学したり日本にながくいた人が気遣いもできず、傍若無人に振る舞うのはどうしてでしょうか。

 アジアでは日式のサービス導入が売りになっているようです。いらっしゃいませ~えと顔も見ず挨拶をしたり、膝をついてオーダーをとることが目的であったり、笑顔で接したり、お辞儀をすることが日式であるのであれば、それはナンセンスだと思います。

 すぐ見透かされるし、珍しさは飽きられます。技術としての日式であれば、すぐに真似できる。香港のラーメン店やケーキのお店、日本食レストラン、上海の和食レストラン等々どこに行ってもあっというまに形をつくれることが判っています。

 私たちは、形ではなく、心から人間の本来もっている魂や精神を引き出すことができる思想や考え方、思いや慈愛を他の国々のそれらをもつ人々と共有する必要があります。本当の日本人がもつ優しさや大きさ、そして温かさが見つかったとき、それを日式として喧伝することができる。そう考えます。

 いま、日本人はどう行動しているのでしょうか。経済環境や将来に対する不安、そして夢をもてない未来の国に、既に慣れて何も感じていないのか、あるいは感じているけれども現状から脱却できないか、あるいは理解していてなんとかしようとしているのか。

 さまざまではあると思います。日本社会は儒教の社会。仲間だけで内向きに座り、他に背を向ける車座社会といわれています。身内や血縁地縁は大切にするが他は排除。といった考え方を深層でもっているかぎり、閉鎖的な文化を変えることはできません。
 
 閉じこもり危機を危機とも思わない。妙な余裕をもって懸命に生きることもしない人もいる。

 ホスピタリティの話から随分と逸脱しているようにみえますが、結局は、勘違いせず、我々はもっと自分達の何かをつくりあげていかなければ、内にいて気が付かず、外にでて他に影響を与えることもできず、このままを享受していくしかないのだとの結論です。

 私たちは優れた過去をもっています。世界に大きい影響も与えてきたし、いまもそうした部分はたくさ
んある。その上で、さらに次に何をしていくのか。皆で考えてみる必要がありそうです。

写真は財務省の経常収支のデータです。2011度日本は貿易収支は赤字になりました…。日本を救うのは、国民の活力です。