よい病院、よくない病院の見分け方[石井友二]

マネジメントの巧拙が、病院の良し悪しを決めます。多くの病院コンサルティングの成果をお伝えし、自院の運営に役立たせていただくことを目指します。職員がやりがいをもって働ける環境づくりも、もう一つの目的です

別れと変革

私には、過去にいくつもの別れがありました。親戚や友人、仕事仲間、顧客の方々です。

自然の摂理による別れは、自分もそうなることが定めである以上、後悔を引きずりながらも、仕方がないと割りきれる時が来ますが、他の別れのなかには、誤解や勘違い、そして意図しないすれ違いで、そうなったケースがあり、とても辛い思いが残ることがあります。

いまでも、自分の不甲斐なさを悔いることがあり、ときどき悲しい気持ちになります。

もう、20年も昔のことですが、その事実を再度確認をしておきたい。そのために、敢えて勇気をもって、ここに書き記すことにしたいと思います。

まず、個別背景については煩雑になるので触れないとして、決別せざるを得なかった理由は次のものです。
▽傲慢
▽根拠なき正義感
▽能力不足
人間性欠如

監査法人を離れ、銀行に入行した後、しばらく経って、さまざまな業種の経営コンサルティングをしているときでした。
 相手が少しでも、私と意見が会わないと「私の話を分かっていただけないのであれば、結構です」とプレゼンの席をたち、資料をまとめて会社をさっさと後にすることがよくありました。コンサルティング部で、自信をもって仕事をしていたときでした。

後から追いかけてきた支店の営業担当者は「石井さんは本部で、この会社にはもう二度と来ないからいいけど。私にとっては取引先ですよ」と言われても意に介さなかった時期でした。

確かに、このころは一生で一番働いたかもしれない時代で、遊びもあったとは思いますが、来る日も来る日も朝帰り。通勤時間がもったいないと、皆で借りた賃貸マンションに寝泊まりして仕事をしているメンバー達もいました。

倒れて2週間休んだことや、毎日キョーレオビンを競いあって何粒も飲んでいたこと、銀行で朝を迎えたことも数えきれません。

それ以降、正義のないと思われる仕事からは手を引いたり、成果をあげることに対して不誠実なトップがいれば、仕事を止める、いくら説明しても理解してもらえない先は、離れるなど我儘をしたこともあります。

また、一方で期待する成果をあげられないこともあり、今から思えば余りにも酷い、悔いの残る仕事をしていたものだと思います。

力のない私を当時、上司や仲間、部下そしてたくさんのクライアントが、支えてくれたために、当初なんとか生きてこられたのだと思います。
そのときに決別した何人もの経営者には、本当に失礼な、申し訳ない対応をしたと思っています。
 
 いずれにしても、未熟で力のない私でも、それから多くの経験を積み、医療や介護の業界に入らせていただいてもう十数年が経過しています。このプロセスでも銀行時代の間違いを犯していないとは言えません。
 
 さすがに今の時期であれば、そうした間違いはないと思いますが(そうであってほしいと願います)、まだまだ未熟であり成長し続けていかなければならない部分が限りなく、無限にあると自覚をしています。
 
 人生には別れと出会いがあるとよく言われます。それが人間の常なのでしょう。
 一つのところにとどまることがなければ余計にそうしたことが言えると思います。仕事柄たくさんの方々に出会い、多くの方々の支援をいただき、今やらなければならないと思う仕事はできています。
 
 ただ、本当に思い描く仕事ができていないことも事実であり、なんとか、それに近づいていきたい。
そのためには継続的な自己変革が必要です。
 
  別れを糧とした変革があり、その変革の連続のなかにこそ、目標とする何かがあるのだと思っています。
 別れと変革、そして新しい出会い。生き続けてるかぎり、利他の意識で日々精進し、進化していきたい。そういま考えています。