よい病院、よくない病院の見分け方[石井友二]

マネジメントの巧拙が、病院の良し悪しを決めます。多くの病院コンサルティングの成果をお伝えし、自院の運営に役立たせていただくことを目指します。職員がやりがいをもって働ける環境づくりも、もう一つの目的です

5W1Hで立ち直る


これをやらなければという思いを強くもち、精緻であろうとなかろうと思いが計画化されて行動につながるときには、あーもうこんなに時間が経ったのかという気持ちになりますが、合目的的な生き方をしていないと時間のながれを早く感じないことに気付きます。

 

やらなければならないことは漠然といや、ときには鮮明になっていたとしても意思が弱く、その取組みを後回しにしてしまうときには、ダラダラ過ごす一日の時間を長く感じます。

 

やらなければならないことが鮮明であるにも関わらず、それらに手を付けなければ臍を噛むのは自分だとわかっていながら、心のどこかで理由を付けてやらなければならないことを後回しにしてしまうのです。

 

そうしてしまう理由には、

・やらなければならないことがやりたいことに昇華されていない、

・切羽つまっていない、どこかで諦めているといった事実や、

・やらなければならないことの価値をイメージできない、

・手法や到達点が不明瞭、

・やる気になれないことも含め体調が悪い、

といったこともあるかもしれません。このような状況を放置していれば、あたら人生を無駄にしてしまうことになることも分かっていながらも、現状から抜け出せないのは困りものです。

 

  1. やらなければならないことを列挙する
  2. 優先順位をつける
  3. 到達点を決める
  4. 期日を決める
  5. 手法を決める
  6. スランプであることを認識し体調管理を行う
  7. 無理やりでも自分が何かを行うための環境を整備する
  8. 何のためにそれをやらなければならないのかを再確認する
  9. 7を以て思いを信念に昇華する

といったプロセスを経る必要がありそうです。

 

ここまで書いてみると、これはまさに5W1Hの枠組みの説明だと分かります。なんのために(7.8.)、どこで(6.)、何を(1.2.)、いつまでに(3.4.)、誰が、どのように行うのか(5.6.)ということですよね。もちろん、自分一人でできないことも多く、誰に手伝ってもらうのかを決めることを認識すれば、「誰が」には自分と他者が含まれることはいうまでもありません。

 

さっそく上記に従い、まさに、この文章を書き終えたあと、ただちに自分を反芻し、やるべきことを列挙し、古くて新しい5W1Hに乗せ、慌てずに一つひとつの課題を解決できるよう、スタートを切っていきます。

 

今年になってから随分と時間は経過したものの、まだ1月なのは幸いでした。結局は、いつも同じことの繰り返しではありますが、何度でも原点に立ち返り、悔いのない生き方をしていこうと思います。

溝をつくらない取組み

コンサルティングを行っていると、クライアントのスタッフからリーダーの思いや考え方が理解できないことや、組織の進む方向と自分のやりたいことにギャップがあると、よく相談を受けます。

 

スタッフとリーダーとの間に溝があるのです。ここで「溝」とは仕事に対する考え方や思いの違いから生まれる違和感です。違和感があるのでモヤモヤしてスッキリしない。心底からやる気にならない状態です。その溝は浅いこともあるし深いこともあります。溝が少しずつ深くなり、ある領域を超えたときから人は組織で力を発揮できず、結果として成果をうまく挙げることができなくなります。

 

溝が生まれる原因が自分にあることも他者にあるときもあります。なのでここではリーダーだけに課題があるわけではありません。

 

ここで溝があると気付いた時に自分で溝を埋められる人と埋められない人がいます。自分の問題として、自分の考え方や姿勢を変えることで生まれた溝を埋めようと努力する人は優秀です。

 

彼らは常に感性を研ぎ澄まし課題を見つけ、自ら行動し相手の理解を得て溝を埋められる人達です。このような人は他者に溝をつくりだした原因があるときにも自ら動き他者に働きかけて溝を埋めることもできます。

 

しかしそのような人は多くはありません。自分か他者のどちらに原因があるかは別として、ほとんどの人は溝を解消できずに悶々とし、力を発揮できない状況を続けることになります。あるべき組織マネジメントにより現状を解決していかなければなりません。

 

溝が生まれる要因は、やりたいことができない、どこまで行けばよいのか分からない、どこに進んでいるのか分からない、組織がどのような状況に置かれているのか情報がなく不安、といったことに集約されますが、このような組織はたいてい情報開示がない、ガバナンスがうまくできていない状態にあるのが通常です。

 

組織の置かれている状況や考え方、進む方向、そして自分の力量、役割や意味を受容れて組織で動くときに、人は力を発揮できると感じます。

置かれている状況は、継続的情報開示(適時開示)により実施、考え方はパーパス、ビジョン、戦略を明らかにすることにより伝えていく。進む方向については事業計画、目標管理(MBO=management by objectives)、1on1により一人ひとりに徹底することが必要になります。

 

また、本人が自分のやりたいことを見つけ、仕事のなかにやりたいことの一部、全部ができることや、少なくとも「やらなければならないこと」のなかに「やりたいこと」を見いだせるよう組織が働きかける必要もあります。

 

自分のやりたいことは何かに気付いてもらえるようコミュニケーションをとれるリーダー育成や、しっかりと組織やお互いを知ることのできる1on1の仕組みづくりを行うことで彼らの思いをつくりあげる取り組みも必要です。

 

もちろん、彼らの力量を評価するシステムやMBOでの役割設定や目標達成のためのKPIのコントロールも求められます。

 

そして何よりも大切なのは本人が「やらなければならいこと」を受容すること

やりたいことを内包した「やらなければならいこと」を知るだけでもなく理解するだけでもない、この仕事は自分しかできない、自分がやるんだと受容れてもらえるよう取り組みを行っていくのです。

 

結局はどのような組織であれ、人が軸になり成果を挙げていきます。

当たり前のことではありますが組織に帰属する人が一人残らず組織の目指すものと自分のやりたいことを擦り合わせ、自らの成長に満足しながら組織目標を達成できるマネジメントが大切です。

 

成果が挙がるかどうかはリーダーがスタッフとの協働でしか組織の最適解は生まれないと考えているかどうかに依存します。

 

  1. 組織の進む方向を確信したうえで、
  2. 相手の立場に立ち
  3. 自分の行動が適切かどうかを常に振り返り修正しつつ
  4. 最適行動をとれるリーダー

が組織に求められている所以です。

 

当ブログでこのテーマについて記事をいくつも書いてきましたが、厳しい環境にある日本において多くのスタッフが力を発揮できるリーダーシップが益々必要になったと改めて感じています。

 

時間の価値を明らかにする

組織の経営資源はいうまでもなく、ヒト、時間、情報、カネ、モノですが、このなかで客観性があるのは時間とカネだけです。

 

もちろん優れたヒトについても評価基準はあるし、情報にも客観性がないとはいえず、モノも購入品は機能や価格にも客観性はありそうです。しかしヒトの評価は評価者の主観に依存するし、AさんとBさんを比較して万民が同じ評価をするとは限りません。そこにはさらに職種や環境、組織の状態、上司ややる気、評価のタイミングなど多くの変数があり、常に客観的な価値をつけることは困難です。

 

また情報も従わざるを得ない法律や法令、一部の基準やルールに関するもの以外は情報を選択する側の思いや使い道、意図により変幻自在に形を変えます。そもそも情報の輪郭は曖昧かつ多様で、何らかの意思決定のために情報を得た者が都合よく活用して始めて価値を生むものなのかもしれません。

 

モノについて言えば例え同じ機器であっても売り手と買い手の力関係により価格が決まるし、買い手側にとってのその機器の価値は、組織の規模や戦略使う者の思いやスキルにより大きく影響を受けます。

 

一方、どのような組織でもどのような人にとっても時間は1日に24時間であるし、1円は1円として流通するという意味で、時間とカネには普遍的な客観性があります。ただ、それでも他の要素で検討したように時間やカネを使う側における、それぞれの価値も常に完璧に客観性があるとは言えないのではないかという疑問がわきます。

 

資金が潤沢にあればあるほど、本来はそうあってはならないものの使い手によっては、これだけ資金があるのだから、この投資利回りは低くてもよい、この程度のコストはかけてもよいのではないか、というように気持ちのうえで1円の価値は低くなることがあるからです。

 

時間も同様です。時間を大切にしている組織とそうではない組織の1分、1時間の価値には大きな差があると思うからです。組織における経営資源としての時間は、ヒトである経営者や中間管理職、従業員の時間に対する意識によりその価値が左右されるのです。

 

なので、先ずは一人の人を対象に、どうすれば時間の価値を明らかにできるのかを検討します。

 

人には寿命があり限られた時間しかないことに気付いているかどうか、自分のやりたいことに対する意思や執着があるかないか、などにより時間の価値は高くもなり低くもなるという考え方があります。これはとても自然な話であり、過去私のなかで何度も繰り返されてきた議論です。

 

自分には限られた時間しかないことになんとなく気付いている人は多いと思います。しかし、そのことが実感できるのか、また自身の行動に何等かの影響を与えるかどうかは、その人が時間をどのように使いたいのかの価値観により決定されます。もっといえばどのような生き方をするのかにかかっているのかもしれません。どのように時間を使いたいのかを鮮明に描けるのか、そうではないかにより相違するし、その通りに行動したいという意思のレベルによっても異なるものなのでしょう。

 

意識するかしないかは別として、限られた時間の使い方を決めている人と決めていない人により、時間の価値は変わるんですね。時間が大切ならば価値は高くなるし、そうでなければ価値は低くなります。その場合、大きく関係する変数は次ものです。

 

  1. 何のために時間を使うのかの決定
  2. どのレベルにまで引き上げるのかの目標設定
  3. 期日の設定
  4. 合目的的行動
  5. 強い意思

これをやりたいというものを発見し、どこまで自分を高めたいのか(楽しみたいのか)決めること、そしていつまでにそれをやり切るのかを設定し強い意思をもって行動することで、自分の時間に対する主観的な価値が決まります。生きている者に与えられた客観性のある時間は刻々と過ぎていきますが、その価値は上記のプロセスを経て確定するのです。

 

ところで、期日の設定は自分を超える時間設定、すなわち自分がどう足掻いてもできないだろうという期日を設定する必要があります。何かに熟練したり必要とされる知識や知恵を得られたとき、同一の質であれば短時間で成果を挙げられることは誰でも経験積みです。質(レベル)を引き上げてもさらに短時間で済むことも理解できます。

 

求められるよりも常に短い期日を設定し、必死になって期日を遵守するのは仕事のやり方と同じですね。仮に目標の接待があったとしても、自分のできる範囲でやる、いつかはやろうといった姿勢からは残された時間へのリアリティある憧憬は生まれないことを知らなければなりません。

 

ここで、自分の能力を超えた期日設定は、自分の人間力やコミュニケーション力を高め誰かの支援を得なければ思うような結果を出せないことにも気づきます。自分のできることは躊躇なく実行し助けてもらうところは助けてもらう、という関係をあらゆる場面でつくりあげていくことも時間の価値を高める方法の一つであることは間違いありません。

 

何れにしても、1から5により時間の使い方に対する方向が明確になり、行動が誘導されます。時間への制約と自身の時間の使い方に対する思いの強弱により行動遵守の精度に差が出ます。

 

なお、決めたことをできなくてもよいと意識が変化すれば、行動は緩慢になり目標が達成できないことや、そもそもやりたいことができなくなるのは自明の理です。時間を何のために使うのかを考え、行ったレベルや期日の設定を反故にすることはとても容易です。

 

例えば親の大きなそして唯一無二の期待に応えなければならない大学受験といったレアな時期の時間価値といったケースを例外として、客観性のある時間に価値を与えるかどうかはあくまでも自分だからです。

 

時間を効果的に使い価値を生むことを止める責任は自分しか負えない、逆にいえば自分が責任をとれば、どうにでもなる代物だからです。結局、時間には客観性があるもののその価値を意味あるものにするのは自分であり、そうするかしないかの責任を負うのは全て自分です。約束を守らなかったツケを払う人は自分以外にはいないのです。

 

私の過去を振り返ると決めたことが中途半端で終わり、辛酸をなめ時間を経てやる気になって立ち上がり、また挫折し復活しと、繰り返しながら生きてきた気がします。不足しているのは、結局は時間を何のために使うのかどのレベルにまで引き上げるのかの目標設定、期日の設定が曖昧なことや、その実行に対する意思の弱さが影響しているのだと振り返ることができます。

 

凡人としてできることは、気付いた都度やり直すこと。気力を奪うイベントや体力の衰えは合目的的行動の阻害要因ですが、多くの仲間や何かをやり遂げたあるいはやり遂げつつある人々の力を借りりながら、誰にでも一定程度与えられた時間を無駄にせず時間の価値を最大化できるよう、「いまやるべきことをやる」活動を開始していきたいと思います。

医療行為からみた財務諸表の位置づけ


財務諸表は組織の期末における財政状態、一年間の経営成績、キャッシュ・フローの状況を利害関係者に報告するための書類をいいます。なので、あくまでも損益計算書と貸借対照表、キャシュフロー計算書は報告のための道具であることが分かります。

 

組織運営上の問題や課題発見を行うためには、報告のための会計から多くの情報を得ることはできません。当該組織が現状どのような状況にあるのかを理解するための一助とはなるものの、例えば病院であれば、医局、看護、診療支援部、事務部のどこに組織運営上の問題や課題があるのかについては、財務諸表や財務分析からは読み取れないのです。

 

少なくとも管理会計である部門別損益・診療科別分析、患者別疾病別原価計算、特殊原価調査、目標管理と共に設定される有意な指標分析等を駆使して問題の所在を把握し、仮説を立て現場情報収集を行ない、始めて問題や課題の具体的な解決策を立案できます。

 

財務諸表のチェックや財務分析は組織運営の輪郭の把握や、一般的な基準から組織全体の現状を分析することが目的となることを忘れてはなりません。

 

これに対し、人の健康管理上の問題や課題発見を行うための医療はもともとPOSによる問題解決型のアプローチによる行為であり、プロセスやそこで利用される資料は、問題がどこにあるのかをいきなり発見できるように組み立てられています。

 

POS(Problem Oriented System)は、ご承知のように問題志向型システムをいい、患者の健康問題を合理的・系統的に解決する方法です。

POSは、

  1. 情報収集
  2. 問題の明確化
  3. 解決のための計画立案
  4. 計画の実施

のプロセスを繰り返し、患者がもつ問題や課題を最適な方法で解決していきます。なお、POSはSubject(主観的情報)、Object(客観的情報)、Assessment(評価)、Plan(計画)のプロセスを経て医療行為を記録するSOAPと併せて展開されます。

 

ここで、医療の流れを簡単に説明すると、バイタル、問診や触診、そして血液検査、尿検査、心電図他を行い組織運営上の財務諸表に該当するいわゆる検査表を作成したとたん、勿論完全ではないものの、どの臓器や血管、神経、骨格等(組織でいえば部門や部署、人)に、どのような問題や課題がありそうだということがある程度把握できます。主訴や病歴(家族含む)、生活習慣と併せて疾患や治療についての一定程度の仮説を立てることができるのです。

 

さらに、その検証のためにX線、超音波、CT、MRI、細胞診、PET他の検査を追加することで、一定程度の具体的な状況や治療の方針すなわち解決すべき問題や課題に対し診断を下し、治療に入ることができます。

 

一方、組織運営は複雑で、人の治療を行うように問題解決を一気に行うことはできません。組織のパーパス設定や戦略立案、そしてガバナンスの仕組みをつくりあげ、アクションプランを実行するなかで、モニタリングを行いながら経営資源であるヒト、時間、情報、モノ、カネについて各々が抱える問題や課題を発見する。

 

それらを整理したうえで、日々リーダーシップを発揮しつつ現場で合目的的行動を継続し、あるべき組織運営を行い続けることで目的を達成する、というアプローチが必要です。

 

繰り返しになりますが、財務諸表や財務分析は、問題や課題発見のためのほんの一部の情報しか得られない資料や方法であることを理解したうえで、管理会計を活用しながら組織運営の正常化を図る活動をしていかなければなりません。

 

人間の場合には健康状態をある程度可視化できますが、組織の場合には意図的に見なければ可視化できていないことが多くあります。そのなかで組織の健康状態を分析し、いわゆる診断を行い、治療の方針を決めるのはかなりの困難を伴うのです。

 

財務会計における財務分析等だけで医療機関の経営状態を把握し的確な活動方針を決めることは難しく、組織運営上の問題発見のフローを理解したうえでの全体的な活動が必要です。

 

概略は把握できるものの問題や課題の所在までを想定してない財務分析を考慮しても問題を見つけ、解決するには限界がある、という結論です。

 

マネージャーや各職種のリーダーとして、財務諸表や財務分析手法の理解に留まらず、更に学習範囲を広げモニタリング(可視化)のための現場で役に立つ(机上ではないという意味で)動態的な管理会計を修得し、適切な組織マネジメントを行えるよう取り組むことが求められています。

 

なお、人と組織運営における問題解決のためのフローを一覧表にしたので参考にして下さい。

 

HRM(人的資源管理)の必要な4つの理由

最近、さまざまな業種業態のリーダーから、社員や職員を思うようにマネジメントできない。業績が上がらない。何かよい方法はないかと相談があります。その背景には彼らをまとめられない、何をしているのか分からない。どのように指導していけばよいのか分からないという想いがあります。そもそも人が集まらないことがボトルネックになっている業種もあり、人が不足しているので強い指摘ができないという事情もありそうです。しかし、アプローチを間違えると益々社員や職員が定着しない状況が生まれるので留意が必要です。

 

先日、あるクリニックで「当クリニックは成長意欲のない職員はいらない。目標を立てどのように日々行動し成果を挙げていくのかを明らかにして下さい」と院長から話があったそうです。しかし当クリニックでは増患目標が不明瞭で経路別の来院患者確保の計画もなく、手法も曖昧ななか、組織としてこれから実施すべきことも職員に開示されず運営されています。職員の各役割についての職務基準やマニュアル、プロトコールも整備されていません。ボトムアップでの目標管理は時代遅れてあり適切な1on1も実施できていないなかではとても難しい指示であったことが分かります。

 

まずはガバナンスの仕組みとしての明確な戦略に基づいての計画提示、KPIの設定、各部署の到達目標、個々人の役割設定、そのうえでの個人目標提示、評価制度整備、処遇、教育といったフローがなければなりません。いわゆる到達点の提示と現状分析、両者の解離確認、解決策の特定、計画化のなかで個々人のやるべきこと、やらなければならないことが決まるのです。

 

当然個人の得意不得意についての把握、やりたいことの聴取、どのようにすれば組織目標と本人の得意なことや、本人がやりたいこととのベクトルを合わせられるのか、不得意なことにチャレンジしてもらえるのか、本人の支援を行うことがリーダーの役割になります。人員が少数であればトップマネジメントが信頼と情熱を以て1on1を実施し、課題解決を行うとともに、コミットメント(約束)をして組織目標のPDCAとともに個々人の目標のマネジメントを行っていく必要があります。この一連のながれがHRMです。

 

ここでHRM(Human Resource Management)とは人的資源管理をいい、組織構成員一人ひとりに光を当てて、仕事への意欲向上に組織が積極的に関わり、彼らにある潜在能で、仕事に活かされていないものを発揮してもらうこと促す取り組みをいいます。ただ、結局は本人が自分のやらなければならないことからやりたいことを見つけ、この組織で働き続けたい成長したいと意識し決意しなければ意味がありません。

 

リーダーは、組織はいま何をしようとしているのか、組織構成員に何を求めているのか、どのように協力して欲しいのかという想いをもち、環境整備を行うとともに戦略と連動した能力開発を行い、貢献や成果に報いる適切な人事制度を整備運用することが求められています。

 

ここにHRM(Human Resource Management)は単なる人事制度が敷衍化されたものではなく、以下のために行うことが分かります。

  1. リーダーへの信頼を前提として本人がやらなければならないことをやり、やりたいことを見つけられるように支援する
  2. 本人が持つ潜在能力を引き出しパーパスに基づいた組織戦略を計画的に達成する
  3. 働く環境を整備し、公平公正に評価された貢献や成果に応じた処遇を提供する
  4. 相互に啓発し合える職場をつくりさらに組織構成員が成長できる環境をつくる

 

HRMは明確な組織の意思を組織構成員と共有し個々の成長が組織成長につながる、ロジカルでありながらリーダーの人間力(感性)や情熱により成し遂げられるアートなマネジメントであることが確認できました。

 

なお、HRMは、リーダーが組織という舞台において役割を心から演じ、リーダーシップを発揮して皆と結果を出し、喝采を浴びて自他ともに限りない達成感を得られる仕組みでもあるとも考えています。

 

多くの組織がHRM の本質を理解し、適切なリーダーシップにより働く人の多くが満足できるマネジメントが行われ、成果を挙げていくことを期待しています。

謙虚さと好奇心をもって生きる

人は、自分がこうありたいと願い、やらなければならないことや、やりたいことをするために生きています。

 

そこには常に「できること」と「できないこと」があり、どこかで折り合いをつけながらも、何とかやりたいことができるように生きたいと思う生き物だと考えています。できないことをできるようにしていくためには努力が必要ですが、試行錯誤し自分を鼓舞しながら前に進みたいと願います。

 

行動するときに一つ重要なことは良心に従い行動すること。良心とは、善悪を判断し正しく行動しようとする心をいいます。何が善で何が悪なのかを知るかは、自分がどのような価値観を持っているのかに影響されます。

 

常に自分の人間性を客観視し、利己的になっていないか、ルールや常識からかけ離れていないかどうかを確認し行動しなければなりません。

 

しかし、思いや信念の弱さや健康問題から必要な知識や技術、人間力を身に着けられず、ときどき挫折することがあります。何のためにやるのかという思いを持ち続けなければ立ち上がることはできません。心のどこかに執念とまではいかないまでも、諦められない気持ちがなければならないと考えています。

 

アドラーもいうように「人間は一人では生きられない」のであり、他者に支援され、助けられ、努力しても多くは与えられないと知りつつ他者に与えて、共感しつつ共生していくのが人だと考えています。

 

始めは小さくとも良い、心の片隅に忘れてはならない塊として残しておく、生きているかぎり、どのような選択であれ、何とか他者の役に立ちたい、立たなければならないという人としての想いが自分を奮い立たせる誘因になるのかもしれません。

 

そのためには他者と自分を認識して、他者に依存しない自分が自分である一貫性や統一感、その前提となる価値観をもつことが必要です。すなわち主体性(Identity)をもつ自分づくりを行わなければなりません。

 

そのうえで、「やらなければならないこと」のなかから「やりたいことを発見すること」もあるし、「心の底から湧き出るやりたいこと」を見つけることもありますが、自分の本当にやりたいことを以って行動することが理想だと思います。

 

ここで考えなければならないことがあります。文化が発展し、社会の価値観が大きく変化している今、自分の価値観もその都度変化していかなければならない、ということです。

 

覇権主義や国家内外の紛争が絶えないなかで、ネットによる情報共有化やイノベーション、AIやDX化、カーボンニュートラルやSDGsの活動が進展し生活に浸透してきています。その背景には、もっともっと便利で住みやすい世界をつくろう、かつ安全に、人間らしく生きようという想いがあります。日本人の食文化、アニメーションや優しさや丁寧さが海外から再評価され共感を得ていますが、環境の変化が多くの人々の意識や価値観を変えてきているのだと思います。

 

もちろん良心に従い主体的に行動するときに、社会があるべき方向に進んでいるという思いがあれば価値観を修正することはありません。ただ良心をよりよいレベルに高めるために(専門分野の知識も脆弱ななかで教養を語れませんが)、教養を身に着け続けることが必要だと気付きます。

 

教養とは何か、どう自分に活かしていくのかというグロービスでのセッションがありましたが、結局は、教養は、幅広い知識や必要とされる経験や体験を通して得られる心の豊かさ、他者への配慮、物事への理解力、判断力、創造力ということになりそうです。

 

謙虚になり自分の考えや知識、行動が正しいのかどうかを常に反芻し、好奇心をもって学び続けるもの、そしてそれは自分が主体的に生きるために必要不可欠といった理解をしました。どう学ぶのかは人それぞれですが、ワクワクしながら型にはまらず、という感じでモデレーターがまとめていました。

 

主体性をもち他者と対話を重ね共感を得て、楽しく学びながら成長して、自分のやらなければならないことやりたいことをやれる人生を送りながら相利共生できたら、こんなに幸せなことはないと考えています。

見えることへの憧れ

先ほどソファーに座り、携帯を使おうと思い回りを見渡しましたが、携帯は見つかりませんでした。ここで使っていたのにと背中を廻してみても携帯はありません。よいしょと立ち上がり振り返ってみるとソファーの隙間に埋まる携帯の端が見えたので安心しました。気付かないものですね。

 

しかし、ふと考えると「ここにある筈と思い見てもみえなかったことが、視点を変えると見えるようになった」ということは仕事でも頻繁に起こりえる筈と思うと冷や汗がでました。果たして自分は物事を正しく見ているのだろうかと不安になったのです。

 

物事を物理的に見ていないことや、意識や経験、知識がないために見えていないことは沢山あります。また、見えていないことをあたかも見えているかのように誤解して行動することがあるとすれば、とても危険です。見えていない=知らないことを意識的に知っているふりをすることは論外としても、知らないことに気付かず行動してしまうことのリスクについて留意しなければなりません。知らないことを知っていると勘違いしているとしたら、自分では歯止めがきかない状況です。

 

全知全能の神ではないので、物事をすべて知ることは不可能ですし、その必要もありませんが、少なくとも

  1. 自分の仕事に関わることや
  2. 一般的に知っていなければならない事項
  3. 知ることにより自分の成長を促す物事

については、少しずつそれらをより知れる(より理解を深められる)よう努力しなければなりません。

 

自分には

  1. 知っていることがある
  2. 知らないことがある(知らないことのほうが多い)
  3. 知らないのに知っていると勘違いしていることがある

ことを常に意識して行動すべきだと認識しなければなりません。

 

ここで、見えていないことについて考えると、

  1. 視点を変えてみてみる
  2. 情報を収集する
  3. 現場に行って確かめる

などの行動をとることで物事は見えるようになると分かります。自分では目に入らない、知らないことも適切な人間関係やネットワークをつくり情報を得られるように取組めば一次的には満足できるし、視点を変えたり自分の足で現場に行けば情報の精度を高めることができます。

 

前述のように怖いのは知らないことを知っていると勘違いし疑問を持たずに判断したり行動することです。歯止めが効かないため、大きな間違いを起こす可能性が高くなります。

 

知らないことがあるという前提に立ち、常に自分の思いや知識が誤りではないことや理解できているかどうかを確かめる癖をつけなければなりません。

 

そのなかで知らないのに知っていると誤解している部分を絞り込んでいくためには、

  1. 知っていることについて学習し直す
  2. 知らないことは何かを常に捜す
  3. 好奇心をもって何毎にもチャレンジし経験を積む
  4. 物事が起こる要因や結果を推測しつつ行動する
  5. 信頼できる第三者から評価、指摘してもらう

といったことに取り組むことが必要です。

 

知っている(と思っている)ことをブラッシュアップし確認し続けることや、その時点での知らないことを捜し体験をすること、物事を深く考え慎重に行動する、辛辣な意見を言ってもらう、などがポイントになると考えています。

 

古い話ですが、クルートで営業をしていたとき、何としても目標を達成したいという強い思いをもち毎日目を皿のようにして電柱の求人募集の張り紙や電車の広告をみて採用情報を得ていたことがありました。しかし仕事が変わると当たり前ですが、それらに目を向けることは全くなくなりました。

 

自分には何が不足しているのか、何をしなければならないのかといった強い意思を持つことにより、得られる情報は変化します。一面しかとらえていない事例ですが、知らないことは何か、を常に捜す、まさにいま生きている仕事をしている自分には何が不足しているのかをいつも考え、気付き、行動することが求められていると分かります。

 

自分なりにはキャリアを積んできたものの、結局は中途半端だという思いがあり悩んでいます。やらなければならないことやりたいこともあり「自分には何が不足しているのか」「見えていないものは何か」という思いを以て、今更ではありますが、見えることへの憧れを忘れないよう再度活動していこうと考えています。