よい病院、よくない病院の見分け方[石井友二]

マネジメントの巧拙が、病院の良し悪しを決めます。多くの病院コンサルティングの成果をお伝えし、自院の運営に役立たせていただくことを目指します。職員がやりがいをもって働ける環境づくりも、もう一つの目的です

直感を鍛えて成果をあげる4つの手順  

 

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推理・考察になどによるのではなく感覚により物事を捉えることを直感といいます。

 

直感により仕事をすることはとても大事です。多くの著名な経営者が直感により経営意思決定することで成功しています。こうすればればいいと判断するときに直感に依存することが大切だ、という趣旨です。

 

しかし、これを真に受けることはどうなのかと思います。

 

なぜなら、彼らは直観を育むまでにとてつもなく多くの失敗や成功をして、自分の判断力を鍛えているからです。

 

失敗したときに、なぜそうなったのかをしっかり分析し、そこからいくつものことを学び自分のものとしているのです。

 

このレベルの経営者になると失敗した後にどのように対応するのかまでも具体的に理解するし、実際にそうしてロスを小さくしているのだと思います。

 

成功したときでも、そこに至るまでのながれや、一つひとつの段階を振り返り、何が成功のポイントであったのかについて理解し、次はどうすればよいのかを頭に叩き込んでいるのでしょう。

 

経験と学習によるナレッジが蓄積しているので、何かを決めるときその対象となる一連の流れがすべて俯瞰的に脳裏に思い浮び、無意識下での判断が容易かつ正確なものになるのだと推測できます。

 

したがって、直感というのは実はその人に培われた能力によりもたらせるものであり、ただ、それが行われるときには無意識の判断であるため、自然に決めているように見えるだけなのです。

 

なので、なんの蓄えもせず直感を使えるものではありません。

 

優れた経営者の直感が形成されるプロセスには、情報入手→情報整理→無意識分析→判断、というフェーズがあると考えています。論理的・客観的分析結果<経験で培われた情報力という結果が生まれる要因です。

 

なお、ここでの直感は、よくいわれる第六感(sixth sense)ではありません。

 

第六感は、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚以外の「理屈では説明できない鋭くものごとの本質をつかむ心の働き」すなわちインスピレーション、勘、直感とは微妙に意味が異なります。

 

これらは説明できない何かの力による虫の知らせや、動物的本能による予知に類するもので、テーマとしている深層に明らかな経験や知識がある直感とは相違しているのです。

 

また、神からのお告げにより何らかの判断をする経営者がいます。自分は孤独で周りの人には頼れないと堅くなに信じ、神棚に手を併せながら、何かを決めてしまう経営者です。

 

ただ、このときでも神の掲示があった、と背中を押してもらいながらも、過去の経験や知識が作用して判断していることは間違いありません。神棚は意見をいわないのですから。少し話がそれましたね…。

 

ところで、経営学に、エプスタインやカーネマンの「直感の理論」があります。

 

「人は直観に頼りがちなので、意思決定バイアス(思い込み、先入観)がかかり正確な意思決定ができなくなる。だから、できるだけ直感による意思決定を避けるべき」という考えです。

 

しかし一方、直感の効用について認知科学者のギゲレンザーが別の考えを披露します。

 

「人は瞬間に自分の意思決定が成果にどのように影響を与えるか予測する。予測の背景では、過去の経験、周囲の情報、様々な分析などの情報変数をもとに脳内で解析をする。ここでの経験には過去は使えたが今は使えない情報等が含まれているものの、バイアスとの駆け引きにより見誤りの率が決まる。バイアスの割合が増えると過去は使えたが今は使えない情報等が減り、予測エラーを下げる」と説明しています。

 

「そしてバイアスも含んだ直観は、様々な経験に裏打ちされたものでなく的外れならバイアスが増え、意思決定の質は下がる。なので、直感は「玄人の勘」が望ましい。なぜなら、何度も何度も修羅場を潜り抜けた経営者は、直感により適切な情報変数を無意識に選ぶので、適切は判断ができる」から。

 

「素人には慎重な、論理的・客観的な思考が重要」という結論です。

(引用:世界標準の経営理論 入山章栄著)

 

ずいぶん端折って紹介したので、大切な部分を漏らしているかもしれませんが、理論的にも直感による意思決定(ここでは判断と同義です)を認めていることが分りました。

 

ということで、直感に頼る意思決定をできるようになるためには、

  1. 経験を積み自分の位置する業界に精通する(知識・経験獲得)
  2. 常に環境変化に目を配る(情報収集)
  3. 論理的・客観的に仮説を立てそれが正しいかどうかを常に検証する癖をつける(論理的思考・推論)
  4. 直感で意思決定をした結果を分析し思い込みの程度を検証する(直感体現)

の4つの手順を繰り返しを行うことが有効です。

 

ここでいう手順を意識し仕事をすることで、徐々に自分の直感による意思決定がより研ぎ澄まされたものになると考えます。

 

ここでいう一つひとつの内容を検討し、具体化できると良い結果が生まれると期待しています。

 

なかなか難しいですが、環境変化の激しく先が見えない時代、日頃から上記の4つの方法により自分を訓練し、迅速かつ的確な判断ができるように行動したいものですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人のために生きているのか

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毎日仕事をしていると、誰もがそうであるように、目の前にある仕事に我を忘れて没頭することがよくあります。

 

そのようなときは、仕事の目的を達成したい、決めた時までに求められる質を以て、クライアント(取引先)に応えたいという湧きあがる思いが、強いモチベーションになっています。

 

他には何も考えていません。

 

また、新企画をスタートするときも、やはり目的達成のため、必要な何かを学習したり研鑽して自分に力をつけ、またスタッフに協力を仰ぎ、なんとか彼らに報いていこう、組織を守ろうとの思いをモチベーションにしています。

 

なので、日々のルーチンや新しい仕組みづくりで思うことは、

  • 取引先に満足してもらうこと
  • 自分が力をつけること
  • 社会に役立つ価値をつくりたいということ
  • 組織をこうしたいということ
  • 仲間にこうなって欲しいということ

だということになります。

 

整理すると、私は仕事をするときに、

  • 取引先のため
  • 自分のため
  • 社会のため
  • 組織のため
  • 仲間のため

に働いていると認識しています。

 

なお、家族のために懸命に働こうと敢えて確認はしなくても、その思いは人として、また家長の責任として自明の理であり所与として捉えています。それをモチベーションにはしていません。

 

さて、私は学生時代までは、自分がこうしたい、こうなりたいという思いで、たぶん自分を中心に物事を考えていました。

 

せいぜい家族や友人との交流や部活のなかで、相手や後輩を思いやることはあったものの、「人のために」ということへの意識はそれ以上ではなかった気がします。

 

ただ、社会人ともなれば、価値観の相違や濃淡はあっても「利己のためではなく利他のために生きよう」「誰かのために生きることが人として素晴らしい」と敢えていわれなくても、皆自然に周りのことを考えて生きているのだと認識しています。

 

実際のところ、利己の意識だけで生きている人がいるのか疑問です。相互依存関係にある社会の中でもし、その生き方が透けて見えれば、たぶん誰も一緒に仕事をしたいと思わないからです。

 

少なくとも私の周りにはそうした人は見当りません。

 

ただし、私の思いが本当に実効性のあるものなのか、人のためになっているのかと問われると、とたんに自信がなくなります。

 

自分の力量や仕事の社会性、(仕事・仕事以外での)社会貢献の実績、組織の優位性確保やスタッフに対する働きかけ、はたまた家族への対応が、果たして十分なのか、といわれれば心許ないのです。

 

「人のために生きる」という思いや行動は自分にとり当たり前のことであったとしても、本当に人のために生きれているのか、といわれればとたんに不安になるのです。言うは易し行うは難しということだと思います。

 

結局のところ、「人のためになっている」と自分が納得し、また周りが認めてくれるようになるためには、より具体的に確認できる成果を挙げなければならないのだと思い直します。

 

価値ある仕事をしている、皆の役に立っている、周りにいる人が皆喜んでくれている、という領域にまで自分を引き上げていく行動が必要です。

 

どうすればそうなれるのでしょうか。

 

何かをするときに相手の立場に立ち、物事を進めていくだけでなく、突き詰めていうと自分が今の仕事に精通し、力をつけて、組織や社会に不足するもの、周りに求められているものを、より高いレベルで創り出していかなければならないとの結論です。

 

もちろん0・100ではなく、人のためになる取組みのために日々精進するなかで徐々に思いが成果に収斂していくのだとすれば、瞬間瞬間、そして毎日の積み重ねがとても大切に思えてきます。

 

ところで「利他」には、ある者の善行で得られた功徳により他者を救済するという意味があるそうです。

 

その境地には一生到達できませんが、まずは、今まで掲げていた少し色あせた感のあるビジョンの再構築を行い、「やらなければならないこと」を仲間と共有します。

 

その実践こそが周りの人の喜こびであると信じ、果敢に行動していきたいと、いま考えています。

 

人生は戦場なのか

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安斉かれんの「人生は戦場だ」という曲を聴きました。果たして本当に人生は戦場なのか、というテーマで考えてみることにしました。

 

戦場である、ということは戦闘を行う場所であるということですね。確かに思い起こせば、皆さんもそうであるように私も今までに様々な闘いをしてきた気がします。

 

しかし、これらの闘いは自分がどう生きるていくのか、ということに関するものであり、突き詰めて言えば、誰と闘うのでもなく自分自身との闘いでした。なのでここでいう闘いは誰かと闘う戦争とはまったく異次元のものですね。

 

ただ、自分が置かれた場所で常に自分に勝つことを目指すのであれば、生きているかぎり闘い続けることになります。きっと生まれてから最期を迎えるまで人生は闘いの連続なのかもしれません。

 

そうはいっても、何をしてもうまくいく、すなわち毎日普通に生きているなかですべてが思い通りになる順風満帆に過ごせる人には、人生の闘いはないのかもしれません。

 

自分に勝つことが常態であり勝つための障害を感じないので闘うという意識がない人です。そういう優れた人も多分たくさんいるのでしょう。

 

でも意思の弱い、力のない私はそんな風にはいきません。

 

何かをしようと決めるときも、決めた後も、それを実行するために自分と闘う必要がありました。これからもずっとそうだと思います。

 

しかし、常に闘い続けることは難しいことです。疲れて休息をとりたいことも、しばらくは穏やかに過ごしたいときもあります。体調を崩し倒れて、そうせざるを得ないこともあったし、休む時間を大切にしなければならないときもありました。

 

だからといって「闘う」の反意語は「弛緩」ではありません。闘いは緊張を伴うものばかりではないからです。

 

自分の楽しみのために習慣をつくり日々何かを習得することも、ある意味「闘い」です。意識しないままに好きだから自分を律し時間をつくり、余裕を生み出し楽しむ。何かを続けることも闘いですが、この闘いは、緊張して自分と闘うこととは異なるからです。

 

そうはいっても自分を律することなく、意識せず、時間にながされ「やりたいこと」ができない状況があるとすれば、社会の波に翻弄され、自分との闘いに敗れたのであり、ある意味弛緩していたから闘いに負けた、ということなのかもしれません。

 

こうして考えると、何もしないときもあるし弛緩を目標にして自分が自分に勝たなければならないこともあります。そして弛緩してはならない緊張を伴う自分との闘いもあるなど、人は緊張と弛緩の間を行き来しながら、気を抜かずいつも自分と向き合っていなければならないことが分ります。

 

ただ一つ言えることは、何のために自分と闘うのかという目標は自分で決められることができる、ということです。誰かの意見や強い要請はあるかもしれませんが、最後は自分が決める事柄です。

 

闘うのをいつでも止められるし、いつからでも闘いに参加することができます。メリハリをつけた生き方でも、闘い続けてやり切り満足して迎えるのも自分の思い通りなのです。

 

人生を戦場と思うか、人生を楽園と決めるのかも自分次第であり、選択の自由があります。

 

ただ、人生を戦場と思おうが楽園と思おうが、結果はすべて自分が享受します。そこには責任があります。自己責任です。当たり前ですが、他の誰のせいでもない自分の責任で人生を生きなければならないのですね。

 

たとえば、自分に勝つために多くの人達からの支援が必要であり、力を身に付けてできるだけ多くの人のために時間を使うのが有益だという考えがあるとき、多く人に会い啓蒙や啓発を受け、また彼らに役に立つよう行動しようとする選択を行うことも、そうしたことを面倒くさいと思い誰とも会わないと決めることも自由です。

 

もともと人は相互依存関係のなかで生きていることを、そうではないと考えて独自の道を行くことへの選択も自分の責任において自由でいられるのです。

 

いずれにしても、人生は戦場でも楽園でもあるし、そこに身を置くかどうかも自分次第。もっといえば戦場も楽園もなく、自分がいる場所をどう感じるのか。明らかなのは自立した自分と闘うか、闘わないかでしかない、ということなのかもしれません。

 

「人生は戦場だ」とは言い切れない、という結論です。

 

よくよく見ると「人生は戦場だ」という曲の歌詞には、「人生は戦場だ、そう感じることもある」と書かれていました。素晴らしい!

 

シェークスピアはハムレットのなかで、「人生は選択の連続である(Life is a series of choices.)」といいました。その通りです。

 

闘うことも闘わないこともすべて自由。選択の結果として今の自分がある、ということなんですね。

 

私も、これから先、何を目指し何を成し遂げたいのかについて再確認するとともに、誰の責任でもない自分の責任として、決めた通りに行動できる自分づくりに励んでいきたいと考えています。

 

未来をつくる中間管理職

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組織運営を一言で語ることはできません。

 

組織運営はこうあるべきだ、こう運営すると良いという枠組みは、様々な教科書により明確になっているのに、実務となると組織運営には、あまりにも多くの要素があり複雑だからです。

 

同じ業種でも、うまくいく組織とそうでもない組織、うまくいかない組織があります。

 

組織運営は難しいからこそ、そこに試行錯誤があり、工夫や創造が生まれ新しい価値がつくられます。マネジメントが面白い所以です。

 

ただ、組織の規模や業種の特性から管理職や監督職(以下中間管理職)の守備範囲を特定するのは困難であるとしても、一般論としての中間管理職の役割は意外とどの組織でも同じではないかと考えています。

 

組織運営はいくつかの要素により大きく影響を受けるものの、「中間管理職の役割とは何か」をしっかり押さえれば、中間管理職として機能を果たしているのか果たす者であるのかを判断することが可能です。

 

なので経営幹部であっても、中間管理職自身であっても、そして一般職すなわち、中間管理職の部下であっても、これからを考えるとき中間管理職の役割を理解することには意味があります。

 

まず、中間管理職とは誰を差すのかを明らかにしましょう。

 

組織の階層は、管理職(経営幹部を含めた管理職、そうではない管理職)そして監督職、一般職に区分されます。

 

ビジョン・政策立案、戦略立案、リーダーシップによる戦略実行が経営幹部の役割であるとすれば、管理職の役割は、リーダーシップによる事業推進、問題発見・解決能力部下の管理・育成です。そして、監督職は一定の守備範囲のなかで人材育成を行い、現場で問題解決を行いつつ業務推進を行うことが役割です。

 

もちろん、規模の大小により経営幹部が現場に入り陣頭指揮を執る組織も多く、経験では上場規模であってもトップセールスによる事業推進が必要な企業もあるし、管理職が経営幹部として機能している組織もあります。

 

さらに、監督職が機能せず、管理職が現場の仔細な管理を行いながらプレイングマネージャーとして活動する組織も多いと考えています。

 

なので、例えば部長など役員になり得る管理職の一部は経営幹部に含め、部長の一部、そして課長と監督職である係長を中間管理職として定義して、彼らの役割、すなわち「地位や職務に応じて期待される働き」を確認していきたいと考えます。

 

ということで、現場のリーダーである中間管理職の役割は以下のものです。

  1. 情報を伝達する役割
  2. チームをまとめる役割
  3. メンバーを育てる役割
  4. 業務を遂行し目標を達成する役割

1は、トップの情報を部下に、また現場の情報をトップに正確に伝えること、2は、チームが一体となり行動できるようチーム内の調整を行うことをいいます。

 

組織には上からの情報を小出しにして現場をコントロールしたり、伝わり易く噛み砕いたうえで適切に伝えない中間管理職が多く存在します。また、現場で発生した自分が不利になる情報を上にあげないことを常態にしている者もいます。

 

また、チーム一体になれるかどうかはフォロワーの信頼に依存するので、チーム一体への取り組みも重要ですね。

 

そして大事なこととして、3の個々のメンバーの課題を把握し、課題解決のために教育を行うことを挙げています。

 

結果として4の毎月どう行動すればよいかを考え行動し目標達成をする、が誘導されます。4が中間管理職の成果を問われ評価されるポイントになります。

 

ただし、4ができればすべてよしではなく、1から3のクリヤーを以て4が完結するというながれが求められています。フロックではなく、チームの実力を蓄積しながら継続的に成果を挙げるためには、チームメンバーの育成やチームとしての活動に成熟度が問われるのはいうまでもありません。

 

なお、この4つの役割はミッション、使命ともいえるもので、できるだけやってねという代物ではなく、「役目を負ったものとしてやらなければならない事柄」であるとしています。ある組織で、役割のことを任務、うまり責任をもって果たすべきつとめといっていましたが、とても重要なことだと理解しています。

 

ところで、組織目標を達成するためには、組織のくせを認識し、個人のくせを知る必要があります。組織のくせは文化や風土であり、チームの活動にも影響します。

 

たとえば一つのことが続かない、準備できない、その日暮らしでも咎められないといった文化があれば、それを修正するよう、チームのみならず、組織全体を変えていく努力を怠ってはなりません。

 

また、個人のくせで組織活動にそぐわないものも変えていかなければなりません。一人ひとりへの属性に合わせた指導や、当人と目標達成における役割への約束(コミットメント)を行うことで解決していきます。

 

さらに組織には、どうしても各部署には自分の組織の利益が一番という自己利益優先や、自分達の都合でものごとを捉えたり俺たちだけはうまくやろうというセクショナリズムがあります。これは、部署間衝突(コンフリクト)です。

 

どこでも人が集まり、いくつかの塊ができると多かれ少なかれどの組織でも起こりうる現象です。組織や人間のもつ本源的なくせともいえるかもしれません。

 

コンフリクトの解決のため、各部署が協力して共通の目標を達成するという一体感をもてる経営幹部のリーダーシップが必要ですが、中間管理職同士がしっかりと連携意識をもち、例えばシステムや人員、人の好き嫌い、意識の相違など、仕事が円滑に進むのを阻害するコンフリクトの発生原因を一つひとつ解決するために行動することが求められています。

 

自分のチームの目標達成のために、部署全体や組織におけるコンフリクト解消への取り組みが必要です。

 

いずれにしても中間管理職は、平易にいえば、自分が楽しく仕事をすれば人はついてくる、という思考をもつことが有効です。

  • 人は一人では仕事はできない。
  • 組織目標を達成するためには皆の協力必要
  • 上司や仲間、部下の協力があってはじめて成果が挙がる
  • 自分はこの組織で何をしたいのかを常に考えて行動する
  • 楽しいという感情は自分のやりたいことができていることから
  • 達成感を感じたいと思い達成感をイメージして行動する
  • 組織の目指すところ(パーパス)に共感し、組織目標と自分のやりたいことをすり合わせながら組織目標を達成することが、自分の達成感につながるよう行動する

 

そのために、中間管理職は、

  • どんな仕事がしたいのか、
  • 誰と仕事をしたいのか、
  • どんな自分になりたいのか、
  • どのような仕事に精通したいのか

等を整理する必要があります。

 

自分で整理できていないときには、上司が本人の性格や得意分野を分析し、このような仕事が向いていると自分で確認することで、スタートすることもよいかもしれません。

 

過去実績を積み上げてきたように、目標を持ち行動しているうちに、あれができた、これができるようになったというように徐々に自信がつき、これを自分のパープルカウ(比較優位)にしようというものが出てくる筈です。

 

既に組織内で注目される存在になっているのであれば、その評価を基礎として主観達成感を得られる目標を設定し活動することになります。

 

厳しい環境を迎え、多くの組織は未来のはっきりした姿を思いあぐねています。

 

未来がうまく描けない今こそ、将来の飛躍に備えるために、中間管理職は上記を受容し、課題を解決するための内部改革による足固めを行う必要があります。

 

今のうちに腰を屈め現場で未来につながる準備ができるのは、各組織における中間管理職であることは間違いありません。彼らに大いに期待しています。

 

 

謙虚さへの意識

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魅力的な経営者や優れたパフォーマンスを上げているビジネスパーソンは謙虚です。

 

人の話をよく聞き、自分の理解したいことは納得するまで質問します。役に立つことの教えを乞うことや、短い会話のなかで気付いた琴線に触れるちょっとしたヒントをメモすることも厭いません。

 

謙虚とは、「控え目で、つつましいこと。へりくだって、素直に相手の意見などを受け入れること」をいいます。ここで、へりくだるとは、相手を敬って自分を控えめにすることを意味しています。

 

この意味からすると、謙虚をまるごと体現しているのではありません。彼らはつつましくもなく、決して控えめにしている訳ではないからです。

 

魅力的な経営者や優れたパフォーマンスを上げているビジネスパーソンは、成功しよう(=成果をあげよう)という強い思い(願望)をもち積極的に行動を起こしています。

 

なので文字通りの「謙虚な人」ではないのです。いわば「謙虚さ」をもち、「願望を成し遂げるために謙虚にもなる」というほうが適切です。

 

ここでもっといえば、思いを遂げるために必要であれば、どのような場面でも人から学ぶ素直さをもっているといったほうが的を得ているし、目的や目標が明確なので、目を皿のようにして成功のヒントを捜している、といったほうが現実的かもしれません。

 

自分がリーダーとして、あるいはミッションを達成するために率先して行動し思いを達成する、しかし、自分は一人で何かを成し遂げられない、与えられた組織や資源をどう活用するか、また、皆に能動的にどのように役割を果たしてもらうのかを考え行動するときに、そのために必要なことは全てやる。

 

素直になり、自分に足りないものは何なのかを考え、気付いたことはすべて受け入れようという無意識下の思いから生まれた積極性が、彼らをして素直にさせるのだと考えています。

 

謙虚の反意語は横柄です。横柄は、いばって人を無視した態度をとることをいいます。横柄な経営者やビジネスパーソンで成功した人は少ないし、成功を継続させることはよほどの条件がそろわなければ難しいのではないかと思います。

 

もし、そうした人々が組織や事業に成功をもたらせたのであれば、

  • 彼らの才能が文句のつけようなく突出していたのか、
  • 彼らを必死にサポートする部下やパートナーがいたこと、あるいは
  • 当該事業に対する時代の要請がとてつもなく高く、見事に彼らの行ないにヒットした、

ということなどがその条件です。レアケースですよね。

 

多くの場合、何かを成し遂げることの前提には「謙虚さ」が必要です。自分が成果を挙げたいときには

  • 教えを乞う、
  • 協力してもらう、
  • 一緒に何かをする

ということが間違いなく有益です。とりわけ時代の変わりようが早く、技術革新や新しいビジネスモデルが出来上るスピードが速い今、自分や自分達だけで何かをうまくやることは困難です。

 

それぞれの主体が自立したうえで、どれだけうまく連携できるのか、自立と連携の時代が到来したと、私は考えています。なお、ここで自立とは、他からの支配や助力を受けずに存在することです。

 

他からの支配や助力をうけずに存在できるほどの力をもち、ある分野での自力の優位性を持つことができるように自分や自社を仕立て上げることが重要です。

 

しかし環境変化が著しい時代にあって、自分だけでは次のステップに進めない限界も知る。なので、自立した他者と連携して、新しい価値をつくりあげることが求められると考えています。

 

まずは自分や自社が自立する。そのうえで連携を行うためには、自分の不足するところを認め、素直にそれを取り入れることが必要です。

 

もちろん、ビジネスは競争です。自社や自分がすべてを取り仕切ることにより競争に勝つという考え方もあるでしょう。

 

しかし、一方で多くの企業や人同士が、目的達成のため素直(謙虚)にならなければならない時代であるというのが事実ではないでしょうか。

 

さて、ハーバードビジネスレビューにウィリアム・テイラーが、「謙虚さが大事というのに、リーダーはなぜ横柄なのか」という記事をあげています。そのなかから抜粋します。

 

『現実には、謙虚さと野心はけっして矛盾するものではない。むしろ、「野心をサポートする謙虚さ」は、大いなる未知にあふれた世界で大きなことを成し遂げようと志すリーダーにとって、最も効果的かつ持続可能な姿勢だ。

 

もう何年も前に、IBMの人事プロフェッショナルたちが、「世界を変える偉人の大多数は謙虚だと、我々は気づきました」「そうした偉人たちは、自分自身ではなく、自分の仕事に焦点を絞ります。もちろん、彼らは成功を求めます。野心的なのですから。しかし、成功を手に入れるとき、彼らは謙虚です。自分は全能だと思うのではなく、運がよかったと考えるのです」と書いていた』。

 

いう内容です。

 

成功時に、達成感を持ちながらも「運がよかった考える」のは、皆に助けてもらったという意識の裏返しだと私は思います。

 

野心をもつという言い回しは日本ではあまり使われない言葉で、アメリカらしいと思いますが、結局は、「誰か」や「事業」に対し謙虚な経営者が成功している、という帰結です。

 

経営者だけではなく、何かの目的を達成しようとする人すべてに当てはまる重要な姿勢だということを理解しなければなりません。

 

「謙虚さ」をもつことは、消極的ではなく弱気でもなく、まさに積極的に願望を達成するために必要な意識であり、強い意欲の現れです。そして最終的には、人としてどのように生きていくのか、という人間性の問題なのだと思います。

 

自分はできているのか、できていないのはどこなのかを反芻してみようと考えています。

 

 

 

 

組織成長の3つの要件

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監査、税務会計、コンサルティングなど、さまざまな形で数多くの組織運営に関与した経験から、どのような組織が発展するのか、衰退するかを整理したことがあります。随分前のことですが、その内容は今でも色あせていません。 

 

以下、その一部を紹介します。

 

  • トップがビジョンを提示しない組織はうまく運営できない
  • 明確な戦略や方針を出さないと経営は安定しない
  • 決めた事が実行される仕組み高い個人の技術技能がなければ継続的な成果が挙がらない
  • やる気は達成感から生まれる
  • 達成感を得る環境は適切なリーダーによるマネジメントや勢いを以って皆で一体となれる組織文化からつくられる
  • 達成感を得る仕事の仕組みとして、統治、目標管理、標準化、教育、改善、モニタリング等が重要
  • やる気になっても職場で力を発揮できなければ、結局はやる気を失う
  • 組織目標を咀嚼し、丁寧に解決策を決定。行動計画まで落とし誰がやるか明確化する
  • 個人情報の分析から本人のやりたいことを割出し又は見受けられるよう方向提示
  • 本人のやりたいことは不明瞭だが、組織と個人の方向が合う役割を少なくとも50%以上設定できなければ人は力を発揮できない
  • 達成までの約束(コミットメント)を取り付け決めた役割を、チームが支援できる仕組みをつくる必要
  • 約束が真実かどうかはリーダーへの信頼の度合に依存する

脈略のない感じですが、イメージは伝わりましたか?

 

従業員がやる気になるためには、次の要因が有効なことも分かりました。

  • 前向きな組織文化
  • 自分が受容できる夢のあるビジョン
  • (自分と無関係に)成長する組織
  • 自ら成長できる機会の提供
  • (自分と関わり)成長する組織
  • 達成感を得られる組織
  • 尊敬できる上司の存在
  • 前向きで相手の立場に立つ仲間
  • 成果に高い評価を得て感謝されること
  • 自らの成長に応じた処遇

 

やる気を阻害される要因は上記の真逆です。

  • 後ろ向きな組織文化
  • 自分が受容できる夢のない組織
  • (自分と無関係に)衰退する組織
  • 自ら成長できる機会を奪われる
  • (自分と関わり)衰退する組織
  • 達成感を得られない組織
  • 嫌な上司の存在
  • 利己的で自分勝手な仲間
  • 成果を評価されず又は低い評価で罵倒される
  • 成長しても処遇は変わらず又は下がる

 

当たり前ですが、よい環境があれば従業員はやる気になりますが、悪い環境ではやる気を失います。

 

ただ、いくらやる気になっても仕事を進めるための具体的な仕組みがなければ、持てる力を十二分に発揮できません。

 

一部は前述しましたが、具体的な仕組みとして、少なくとも

  • ガバナンス
  • マーケティング
  • 予算実績統制制度
  • 目標管理制度
  • 権限規程
  • 業務改善提案制度
  • 評価制度や職能等級制度
  • 教育制度
  • 内部監査

があるべき形で整備されていることが必要です。

 

一つひとつ奥が深く一言では説明できませんが、例えばガバナンスは「決めたことを必ず行える仕組み」をいいます。

 

意思決定手法、モニタリングシステム、適切な会議体や管理体系、情報収集システム等がその内容になります。

 

もちろん、仕組みがあっても環境が整備されていなければ従業員はやる気になれません。環境と仕組みが揃って、初めてやる気になり、力を発揮できるという結論です。

 

ただ、優れたリーダーシップがあれば環境や仕組みがなくてもリーダーの思いがスタッフを動かし組織の環境や仕組みを補完します。従業員はやる気にもなるし、力も発揮できる可能性はあります。

 

環境も仕組みも整備されれば、優れたリーダーシップにより最高のパフォーマンスを得られることは間違いがありません。

 

ここに従業員がやる気になり、力を発揮して組織が成長するためには、

  • 組織運営に不可欠な環境
  • 合理的な仕事の仕組み
  • 優れたリーダーシップ

の3つが必要なことが分ります。

 

とても大まかな基本的な話になりましたが、ここで挙げた事項を常に念頭に、成果が出る仕事をしていこうと再確認する良い機会になりました。

納得が力を生む

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Amazonほど便利なものはありません。

湧き上がる欲望を満たすため(笑)毎日のように私はポチポチしています。

 

Amazonを始めて間もない家内も、Amazonで気軽に買い物ができる楽しみを知ったようで、いつも商品が届くのを楽しんでいました。

 

先日、彼女はある商品を注文しました。

 

いつものように、商品の到着を楽しみにして待っている様子でしたが、しばらくして家の玄関に置いてあったものは、注文したものとは似ても似つかない商品でした。

 

私は何十回とAmazonで買い物をしていますが、こんな目にあったことはありません。初めての残念な経験です。なのでAmazon初心者の彼女の落胆ぶりは目に余るほどで、対応が分らず困惑していました。

 

見るにみかね、私はただちに家内をサポートし始めました。

 

サイト内で商品違いのときの手順をチェック。ネット上での返品処理を行い、QRコードの発行を受けて、手続きを行うためヤマトの営業所に行きました。

 

ヤマトの窓口も忙しそうで、適切な説明もないなか、前にいた客がやったように、設置してあるタブレットに見よう見真似でQRコードをかざし、何とかAmazonの配送票をプリンターで発行。返品する商品と配送票をヤマトの人に渡して無事に処理が終わりました。

 

間違いが分ってから1時間ほどの時間が経過していました。

 

この経験は、何かを行うときにどのように感じたのかを検証するよい事例であると思い、少し振り返ってみることにしました。

 

彼女がオーダーした商品は値が張る商品でしたので到着した異なる商品を返品し、元々の商品の返金をしてもらうことは、「やる必要のあること」でした。

 

処理の方法が分らず狼狽する家内を横に、泣き寝入りをするわけにはいかず、私にとれば返品・返金処理は「やらなければならないこと」であるのは間違いありません。

 

しかし、初期においてこの処理は、少なくとも「やりたいこと」ではありませんでした。

 

「やらなければならないこと」は、「やりたいこと」から生まれたのではなく、「やる必要のあること」から生まれたのですね。

 

煩わしく時間のかかることなので、「やりたくはない」けれど「やらなければならないこと」になります。

 

こうして振り返ると、対応しなければならない何かは、簡単に以下の4つに分類できます。

  1. やりたくないけれど、やらなければならないこと
  2. やりたくないわけではないけれど、やらなければならないこと
  3. やりたくて、やらなければならないこと
  4. やらなければならないと意識もせず、どうしてもやりたいこと

 

仕事では、1と2が多いという人もいるでしょう。

 

上司から指示されたやりたくない嫌な仕事もしなければならないのが1.体調がすぐれないとき、それほど嫌ではないけれどやらないと帰れないしな、が2のイメージです。

 

さらに、自分の能力には自信があり、仕事を任せられるのはプライドをくすぐる。なので、やりたい仕事だけど、任せられた仕事をするのは3ですね。

 

4は、自分で「これやります、やらせてください」のレベルで、将来のために力をつけたい、大好きだ、といった前向きに取り組める仕事です。やらなければならないという義務感は微塵もなく、出来る限りトライしたい、やりたいことです。

 

もちろん4は、イコールやらなければならないの範疇に入りますが意識せず、やりたいほうが優先することですね。イメージがつくでしょうか。

 

そう振り返ると、今回は、実は、とてもよい経験ができたと思い直すことができました。

 

  • Amazonでもこんなことがあるんだと思えた
  • ピッキングの業務にフローのどこかに課題があることが分った
  • それはどのような理由によるのかを想像できた
  • Amazonの返品処理方法について知ることができた
  • 実際に行動しヤマトに出向いたことで、ヤマト側の対応の課題も見えた

というのがその理由です。

 

なので、自分の気持ちや感情が先程の「何かをするときの分類」によると、当初は、1だったのが仕事柄の興味から2になり、さらに2から3にまでレベルに高められ、楽しめたということになります。さすがに4の意識にはなりませんでしたが。

 

ここから学ぶことは、物事を進めるにあたりどのように取り組むのかは、自分の意識次第である、ということです。

 

やりたくないと思えば力を発揮できないでしょうし、やりたいという思いが強くなればなるほど自分の力を発揮できるし、やりがいを持って対応できます。

 

なので、物事の取組みを行うときに、自分として、それをどのように捉えるのかを考えること。当初は瞬間だけ煩わしいと思ったことも、途中から実は意味があることと気付き、自分にも有益な楽しい仕事に変えられたのは良かったです。

 

仕事を行うとき、その内容を

  • 知っただけで行う、
  • 理解して行う、
  • 自分の仕事であると受容して取り組む

というステージがあるとすれば、「どのような仕事でも受容して行うことで、やりたいことに転換できる」との仮説です。

 

ここで受容は「承知して容認する」という意味であり、前提として納得(もっともとして認めること)があります。

 

単に事実だけ捉え(知っただけで)作業をこなすだけでは何も残らないという懸念があるのです。 

 

  • なぜこれをしているのだろう、
  • どうしてやらなければならないのだろう、
  • 学ぶべきことは何だろう、

と考え、それらを行うことが自分にとり有用なんだ、自分の仕事だと納得し腑に落ちれば、全力で事に当たれるし、成長できるという帰結です。

 

今回は、迅速に対応できたので家内も喜んでくれ、とても良い評価も得られました。達成感レベルでいえば、高主観・高客観という結果です。

 

ところで、納得することがいかに有益かについて、カールワイクの提唱した「センスメイキング」という考え方があります。

 

ワイクは、「状況が多様に見えるほど、いま何が起きているかについて納得性の高い感覚がつくられることに努力が払われ、結果として納得性が破壊的な状況を解消し、将来に対する期待を復活させ、プロジェクトを継続させる」と指摘。

 

センスメイキングのコンセプトによれば、正確性よりも、納得性の方が組織に学習を促す継続的な指針になると説明します(入山章栄:世界標準の経営理論)。

 

環境の感知→解釈・意味付け→行動・行為のプロセスによりリーダーはセンスメイキングを行い、従業員を納得させて成果を挙げよう、という考え方です。

 

センスメイキングの詳細をここでは取り上げませんが、納得することで人の力を引き出せること示しています。

 

この考え方からは、個人でも何かを行うときに「納得」して取り組むことの大切さが読み取れます。

 

なお、当ブログではリーダー(主体)と従業員(客体)の関係を説明しましたが、センスメイキングは企業の利害関係者すべてを客体として納得してもらう対象としています。

 

ということで、何かに取り組むときに成果を挙げられるかどうかは、

  • 自分の意識次第であること、
  • そこには受容(による納得)が必要、

ということが分りました。

 

今後、自分の仕事に活かすと共に、周りを巻き込んで何かを行うときには、センスメイキングの考え方に沿って行動しようと思い直す機会になりました。