日本海をたった一両の車両で西に下っています。
さきほど少し涙していました。外科医当麻は、日本ではじめて脳死肝移植を成功させたあと、学会やマスコミからバッシングされ、同僚からうとまれ病院を辞めて台湾の病院に赴任することを決めました。脳腫瘍で亡くなった母が世話をした台湾の王氏が病院を建て、その病院の外科チーフとして請われたからです。
おばの世話を受けながら一人で暮らす父に親不孝を許してくれと謝るため故郷に帰ったときのシーンです。父は、こういいます。
「お前がシュヴァイツァにのような医者になってくれることが母さんの夢だったけんな。ワシもそう願っとる。どこへ行こうが、世のため人のために精一杯のことをやるがよか」
当麻の胸から喉元もとを熱い塊が突き抜け、次の瞬間、溢れ来た涙で父親の顔が霞んだ。
私は、この本をずっと1巻から読み進み、当麻のすばらしさに感動していました。
日本人が明らかに陰湿で、閉鎖的で、素晴らしい人を素晴らしいとみとめない、いわゆる島国根性というものに自分でも嫌気がさしていて、当麻を応援していた自分は、当麻が逆境でも感情を表にださず、地位や名誉や学位やお金に媚びず、目の前の患者さんをただ救うために自分を犠牲にしても台湾にいくことを親に報告しているシーンがこのシーンなのです。
ずっとはらはらしていた自分の感情が当麻が涙するのと同時に、父親を早くに亡くした自分には、父親からこの類の言葉をかけてもらったことがなく、やり取りがとてもうらやましく暖かいものに思われました。
そんな気持が錯綜して、このフレーズで涙が堰を切ってあふれ出してしまったのだと思います。
一両の電車に乗る前で、特急で移動中でしたから、たくさんの人が車両にいました。ハンカチで目頭を押さえて文庫本を握り締めている、嗚咽気味の私はきっと変な感じの人だったでしょう…。
今日も病院で、残業を忌避する幹部の医師。何かと院長にたてつく部長医師。虚偽の報告をする医師。部下を追いたて何人も止めさせてしまう診療部長の医師などについて、院長から相談があり、対策を会議のテーマとしていましたので、何でこんなに違うのかと小説ということを理解しながらも改めて思っていました。
とはいうものの、医師も報われず、また一部の患者からリスペクトされないなかで、命を削って患者のために仕事をすることが耐えられないということであると思いなおしていたやさきの当麻のフレーズです。
いずれにしても自分は医師にはなりえず、懸命に患者の命を救う仕事をしている医師を尊敬していますが、自分なりにも当麻には学ぶことがたくさんありました。
明日の病院では、また院長や多くの幹部との面談を控えています。自分がどれだけ透明になれるのか、今日は自分の胸に自分の生き方を問う機会をもらうことができました。作者大鐘稔彦氏というよりも、当麻鉄彦のファンとして、勇気をもらった気がします。
途中の駅で特急からローカルに乗り換え、ガタンゴトン、ガタンゴトンと暗闇を疾走しているはずのたった一両の車両の進む方向が、すこし明るい光で照らされているような錯覚を、ふと覚えたのでした。