よい病院、よくない病院の見分け方[石井友二]

マネジメントの巧拙が、病院の良し悪しを決めます。多くの病院コンサルティングの成果をお伝えし、自院の運営に役立たせていただくことを目指します。職員がやりがいをもって働ける環境づくりも、もう一つの目的です

医療の可視化について

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  医療は、技術をもった医療従事者が設備や機器を活用して、これを行います。検査や撮影、投薬、インプラントを使った手術など多くのツールも用います。ありとあらゆる職種が、医師の指示のもとで、それぞれの独自性を担保しながら、一体となり成果をあげようとしています。
 
  ここで要求されるのは、まさに医療資源そのものである「人、時間、情報、カネ、モノ」だということができます。
  設備があり機器があり道具があるだけではなく、それらを多職種が情報共有を行いながら、また連携をとりながらタイミングよく、一定の時間内で目標を達成しようと最大限の力を以て行動する。それは院内のみにとどまらず、外部の医療機関や、病院の外にいる患者さんやご家族との関係ももちながら、まるで全体が意思をもった一つの生き物のように動いて成果をあげていくのです。
 
  そこには経済原理というよりも、人が本来備えている慈悲の心を基礎として動く医師やスタッフが存在します。ただし、資本主義社会においては、経済原理も忘れてはならないことは言うまでもありません。医療と財政のバランスをとる必要があり、病院は、それらを常にウォッチする機能をもち、また全体としての整合性や均衡をとりながら、日々の業務を進めていきます。
  医療か財政かのどちらかに偏ってしまうことで、病院は本来もっている機能を果たせず、また能力を発揮することができずに、存続が困難になることが多くあります。

  これらは短期間に、また一定の期間を経て、それぞれのもつ事情にも左右されつつ露見します。バランスを崩してから一定の時間が経過すると、その結果は取り返しのつかないことになりがちです。
 
  もちろん、すばらしいリーダーが部隊の先頭にたち、戦略を変え、戦術を変更することで再生することも可能です。したがってどのような状況であろうとも、そしてどの段階からでも、優れたリーダーと、潜在的に能力をもちそれを発揮することができる医師やスタッフがいれば、病院は息を吹き返すものだと私は思います。
  しかし、そうではなく、当初からしっかりとした意識をもって、病院を運営するという能力があれば、そこまでたどりつく必要はありません。
 
 DPC病床であれば、高密度で質の高い合理的な医療を志向するし、また医療療養病床であれば、急性期医療の治療を終え医療依存度が高い患者への継続的医療といった目標とすべき医療が示されていますが、それぞれの医療に見合った医療とマネジメントが行われなければなりません。
 限定的なコストのなかで、より高い成果を上げる医療が求められています。
 
 少子高齢化を迎え医療費が膨張する中で、国民皆保険制度を維持するためには、そうしたチャレンジが必要ですし、国民自体も意識を変えて、自らの健康管理を行いながら、慈しむように医療を扱っていかなければなりません。そこで、可視化です。
 
 医療の質はクリニカルインディケーターで、マネジメントの巧拙はKPIのようなマネジメントインディケータで目に見えるようにしていく必要があります。どこまでの医療をどのように提供していくのかというラインを医療従事者側も国民側もよく知って、病院として何をすればよいのか、国民は何をすべきなのかについてよく理解していく必要があります。

 先般あった、埼玉県での患者受け入れ拒否にる死亡事件についていえば、病院の姿勢や医師の意識への課題というよりは、行政や政策の取り組むべき課題がみえてきます。すべての活動をも可視化して、課題を発見し、あるべきかたちを志向し続ける努力が必要です(輪番制を決めればよいというのではなく、医師数や体制についての実態を定量的に調査したうえで、疾患別に確実に対応できる体制づくりが必要です。いつもこの問題が病院の属的な対応に任される傾向にあるといわれています)
 
 なお、可視化においては、管理会計領域にある、経営意思決定のための特殊原価調査や、部門別損益計算、患者別疾病別原価計算、そして前提となる正確でかつ迅速な月次決算や前提となる予算実績管理が必要なことはいうまでもありません。
 
 医療は科学であり、マネジメントも社会科学であることは間違いなく積み重ねにより進化して来ました。そこでは定量化されたデーターが貢献してきたことを忘れてはなりません。しかし、だからと言って数字がすべてであるという奢った考えをもっているわけではありません。

 冒頭で説明したように、医療人には人を思いやる、相手の立場にたつ、自らを犠牲にしてでも人のために立つという思いが、他の業種よりも強くあると信じています。しがって、まずは思い、そして技術技能があり、そりてモニタリングがあることは間違いがありません。
 
 しかし、その上で誤解を恐れずにいうのであれば、いま、医療について求められるものは、可視化であり、それを活用した政府や自治体、病院、地域住民の問題解決行動であるということができます。医療に関与するすべての主体が、医療をどのように護るのかを考えなければならない時代が到来した今、心を中心とした質の高い医療を、合理的※に進めていく必要があるのではないかと考えているのです。
 
※合理的な医療を行うためには、仕組みの見直し、個人の技術技能向上が必要です。すなわち、短時間で高い価値を生み出すことができれば、生産性はあがり、コストは逓減します。いわゆる質の向上による単位当たりコストの削減という概念がここにあります。可視化を基礎とした継続的な改革が必要な所以です。