人が本気で行動を起こす動機は、自分が嬉しいことと、誰かに喜んでもらうことの2つだと思います。
誰でも、自分がやりたいこと、やらなければならないことをやれた、やり切ったときに「嬉しい」という感情を持ちます。これは物事を成し遂げた時の達成感からくる喜びです。
また、やりたいことややらなければならないことを通じて誰かが喜び、それを表現してくれたとき、やりがいを感じます。これも達成感の一部ですね。
前者は主観評価の達成感、後者は客観評価の達成感です。
達成感には主観評価が必要で、本来は客観評価は要件ではありません。誰から評価されなくても自分が何かを成し遂げて達成感を得れば嬉しいからです。
なので客観評価が高くても主観評価が低ければ、喜べはしますが物足りません。客観評価と高次元での主観評価が合致すれば最高に嬉しいのは明らかです。
ということで主観評価と客観評価のランク測定をすると、
タイプ1
A高主観評価・高客観評価
B高主観評価・低客観評価
C低主観評価・高客観評価
D低主観評価・低客観評価
となります。
しかし、社会での見方は、
タイプ2
A高主観評価・高客観評価
B低主観評価・高客観評価
C高主観評価・低客観評価
D低主観評価・低客観評価
となります。
タイプ1のBとCが入れ替わっていますね。どうしても客観評価が重視されてしまいます。
例としては少し無理がありますが、タイプ2で、主観評価を市場成長率率、客観評価を市場占有率として、事業状態を把握するボストンコンサルティングのPPM(プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント)を当てはめてみると、
A高成長率・高占有率(スター・花形)
→継続投資・シェア確保
B低成長率・高占有率(金の生る木)
→問題児・花形に資金を回す
C高成長率・低占有率(問題児)
→積極的な投資が必要
D低成長率・低占有率(負け犬)
→撤退
となります。
タイプ2の高主観評価と高客観評価は誰がみてもスター、低主観評価と低客観評価は負け犬(厳しい!)となり、また、低主観評価と高客観評価は金の生る木(=力を抜けて効率的)、高主観評価と低客観評価は、独りよがりな問題児です。
怖いほど見事に印象が符合しますね。説明は必要ですが、タイプ2のイメージが湧きますね。
話を元に戻します。
社会では、期待からの客観評価が勝ることが多く、どうしても客観評価を得ようとするために、主観評価を犠牲にすることがあります。
本当はこうしたいけど、こちらのほうが受けがよいので、自分としては不甲斐ないけど、そうしよう、といった具合です。社会人としてはいたしかたないこともありますね。
ただ、自分が力を出し切っていないけれども評価されてしまうこともあり得ます。先程の低主観評価・高客観評価ですよね。
たとえその時点で評価されても取組を止めず、他人からの評価を超えてさの納得するまでやり切れれば素敵です。益々成長曲線の上方に身を置くことができます。
そうはいっても主観評価にはもともと思い込みがあり、独りよがり、誤解や錯誤があります。
「自分は達成した」、「成し遂げた」という内容のレベルが低かったり、十分ではないのに慢心してしまうこともあるでしょう。他人から見たら「えーっ!」ということもあります。
私ごとですが、10年前に作成した企画書を見返すと、たぶんそのときは自信満々で達成感を得たはずなのに、冷や汗がでるレベルの代物だったりします。
知識や経験、知恵がないのに自己満足してしまうのは恐ろしいことです。
なので、タイプ1を採用しながらも、主観的評価の妥当性を外部のそのことに長けた人達に評価してもらうことが大切です。真の主観評価、そして達成感を得るために、常に自分の価値が何処にあるのかを俯瞰します。
主観的評価がなければ達成感を得られないとしても、客観評価を拠り所に不足するところを発見し次の成長のために役立たせるのです。素直に学び続けることが大切なんですね。
なお、達成感は目標を達成することのなかから生まれますが、目標は自分の人生の目的(アイデンティティ=自分は[こういう]自分である)から落とし込まれたものなので、目的に向って進んでいるときにも得られる感情があります。
これができて嬉しい。でも次にはこれを行い成長しようという目標設定ができるのも、自分はこんなことに精通したい、こんな自分でありたいという目的があるからです。
目指す目的は一生達成できないかもしれませんが、目的を達成するために日々の努力があり、そのプロセスで達成感を得て前に進む。そのように生きていること自体から得られる満足があります。
この目標の次にこの目標、と次の目標を設定する時点での充足感や満足があることも忘れてはなりません。達成感は満足の連続の上に成り立ち、達成感が次の満足をつくる、といった構図です。
したがって、達成感を得続けるためには、「自分は何者で何を目指しているのか」を常に考える必要があります。目標だけではなく、目的をもつことが達成感の源泉だとしなければなりません。
なお、こうなりたいという背景には「思いや信念」が必要です。これがないと情熱や執念が生まれないからです。思いや信念をつくること、なかなか難しいですね。
大きな話になりました。
目的を達成するために次の目標を立て達成し、次々に目標を達成しながら満足し、目的を目指す行いで得られる達成感を補う気持ちとして、他人から喜んでもらうことについて考えます。
喜んでもらう=(主観評価に対する)客観評価と説明しましたが、実は別の文脈でも喜んでもらうことができます。
自立したうえで、
- 皆に元気を与える言動をする、
- 相手の立場にも立ち行動する、
- 他人のために何かをすることを厭わない
- 笑顔で「ありがとう」を言い合える関係を周囲につくりあげ、
- 相互に表裏なく付き合える関係をつくること
が該当します。
これは人間性の問題です。ここで挙げたように意図して行動することも大事ですが、自分を繕いながらの言動にはいつか綻びができてしまいます。意識せず自然ににその行為が行える自分でなければなりません。
もしも、そうできない自分がいるのであれば、日頃から課題を発見し、修正しつつ、いつかは「こうありたいと思う自分になれる」よう努力しなければなりません。
笑顔で「ありがとう」を言ってもらうことで小さな達成感を得て、笑顔で「ありがとう」と言うことで相手の小さな達成感を生む。
そうした対応ができる自分になりつつあることに満足しながら、次の達成感を得るために行動する、というながれをつくることも今回の議論の対象になります。
なお、別途、達成感の共有というテーマがあります。組織での目標をメンバーが共有し、それを達成したことで得られる喜びはひとしおで、自分だけの孤独な達成感にも増して嬉しく満足できるものだ、ということについても検討が必要です。
各人が自立しつつ相互依存関係のなかで目的を達成しようと行動するように、組織もビジョンのために構成員が同じ方向性をもち行動し続けることで成果を挙げるため、組織構成員における達成感の共有が必要だからです。
自分の目的と組織の目的を合致させ、自分の目標達成が組織の目標達成につながるよう仕組みをつくるリーダーこそが、組織目標や目的を達成できると考えています。
気持ちを通じ合えるメンバーで自分達のためにも組織のためにも何かを成し遂げたという経験を積み上げてきた組織や社員が強い理由は、達成感の共有があるからだ、ということを忘れてはなりません。
経験から上記を行うためには、いくつかの条件が必要になり、なかなか難しいことではありますが、コミットメント(約束)を基礎としたマネジメントが徹底して行われなければなりません。
以上、人が達成感を得るためには、
- 自立した個人(目標と目的の追求)
- 他人と個人の関係性
- 組織(チーム)と個人
の3のフェーズのあることが確認できました。
それぞれ重要なテーマなので自分の言動を見直す機会にするとともに、これからもしっかり研究し、掘下げていきたいと考えています。