よい病院、よくない病院の見分け方[石井友二]

マネジメントの巧拙が、病院の良し悪しを決めます。多くの病院コンサルティングの成果をお伝えし、自院の運営に役立たせていただくことを目指します。職員がやりがいをもって働ける環境づくりも、もう一つの目的です

博多は静かに生きていた

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 私が監査法人から銀行のコンサルティング部に入り、主に北海道を担当としていたころ、毎月2週間は札幌や旭川にいた記憶があります。

 そのころのことを思い出すと、さまざまな記憶が蘇ります。冬になると猛吹雪になり、ススキのの道をラッセルしてあるいたこと。
 
 旭川ではいつもマイナス15度になっていても、薄着の人がいてびっくりしたこと。

 名寄という町では、昨日は20度だった、といったときの20度はマイナスであったこと。

 といった北海道らしいことだけではなく、多くの若手経営者や大手企業とののやり取りのなかで、コンサルティングの基礎をつくりあげることができたことはとても幸せでした。

 といってもまだまだ銀行を退職したことは新米で、そのあと、プルデンシャル生命の人たちのバックアップで、会社を辞めたときには、リクルートで学んだ営業のスキルと、監査法人で経験した会計監査、そして銀行で勉強した財務、税務そして経営コンサルティングの経験をもっていただけの足元もおぼつかない感じでの独立でした。

 そうはいうものの、独立してすぐ、私は三か所にオフィスをつくりました。札幌と東京と、そして福岡でした。

 札幌は5年間の北海道担当。東京はいわずもがな(埼玉に住んでいますので)、で、福岡はプルデンシャル生命のバックアップで、経営者教育を始めたことがスタートでした。当時はいきなり3つの事務所をもち、っというかいまは大阪を出し、福岡は事務所を閉めましたが…。そのときから、思いっきりやっていたことを思い出しました。いまから14年前のことです(時間がたつのは早いですね…)。

 福岡のオフィスの一号店は、中央郵便局から中央通りを進み、ヒサヤ大黒堂を左折してすぐの石川ビルでした。そこにはガラス張りの教室があり、会計事務所のスタッフや経営者にコンサルティングや経営理論を教育する事業をしていました。
 
 三番目は、駅南三丁目のクライアントであったO社所有のビルでした。

 忘れてはならないのが二番目のオフィスです。これが親不孝通りの反対側、昭和通り沿いの「舞鶴1丁目」交差点の一角、天神三井ビルでした。一階に沖縄物産のお店がありましたが、この間はチェックを忘れました。

 まさに繁華街と飲み屋さんに挟まれて、博多中心部のひとつである天神交差点から近い、便利な場所でした。西鉄グランドも近いですが、そこの最上階の一室が地元の会計事務所のコンサルティング会社と共同でのオフィスでした。

 昔は、仲間やお客さんと中州に行かないときには、この辺りで、回転ずしを食べたり、瓦そばを食べたり、居酒屋で営業をしたりしたことを思い出しました。博多での思いでは北海道のように厳しい気候ではなく、暖かい、そして熱しやすく冷めやすい人々の思考であったりしたのでした。

 先日、福岡の辻先生のクリニックを訪ねて、帰りに親不孝通りをあがり、天神まで歩いて行くと懐かしい、私がいた事務所にが向こう側に見えました。 

 親不孝通り…。そうたいそうたい、親不孝通りたい。そこの入り口に吉野家があっとぉ~。なつかしか~ぁ。といった感じです。

 で、なぜ親不孝なのといつも思っていましたが、看板には親富考通りとあるではありませんか。さらになぜだろうということで、ネットを調べると、確かに昔この通りの突き当たりに2の予備校がありましたが、予備校生が勉強中の身でありながら、ここでお酒を飲んで騒いでいることを称してそのように呼んだ。
 しかし、名前が悪いので、親富考通りに改名したということが、ネットで検索して解りました。

 で…、っていう感じなのですが、改名してももりあがらず、結局予備校もなくなり、不幸な道をたどっているということを地元の人から聞きました。

 どこの繁華街も、そうなんでしょうか。天神の商店街にも久しぶりに行ってみましたが、結構人がいて、嬉しかったです。昭和通りのこちら側がよいということなのでしょうか。いずれにしても、当時は毎月大きなセミナーを開き、多いときには150人程度の聴衆が集まっていました。

 一般の事業会社から医療を中心とした事業に変わるまで、それからいく星霜の年が経ち、今に至っているのです。当時も九州だけではなく、アジアの拠点をもとめて、何度も何度も数えきれないほど香港にもでかけていたころです。振り返ると、まだ中途半端であった気がします。

 轍を踏まないということはたくさんあります。もちろん、いまでも九州にはクライアントがいくつもありますし、まだまだこちらにはやってくることが多いと思います。

 ただ、博多に来ると、身の引き締まる思いで自分を振り返ることができます。人生のなかで成果をいくつもつくってくれた博多の街。今の自分があるのも、博多の通過点が必要であったと理解します。
 本当にありがとうございます。博多の仲間、そして多くの尊敬すべき先輩に感謝をしています。