朝は昨日の雨がうそのように、うってかわって晴れた空が澄んだ空気を開けた窓に運んできてくれました。緑のかおりが目の前に広がる山々の緑のかおりであるかのように、錯覚してしまうほど、近くに自然がありました。
私たちコンサルタントは、いつも空港からクライアントに移動し、そしてその逆をしながら各地を転々とします。
したがって、宿泊するとしてもそれは都会であり、翌朝には新幹線や空港バスにすぐ乗れるよう、準備をして場所を選んでいます。ですから、自然に触れるという機会はなかなかなく、遠くに山々が見えたとしても、それらから得られる自然への思いは、街の喧騒のなかでかきけされてしまうことが日常です。
目の前の出来事が現実であり、遠くに見えるものは虚構であるといったように、脳がかってに判断をしてしまうのでしょう。
時間から時間、場所から場所、空港から空港、空間から空間という移動の繰り返しは、日常のなかに埋没することを嫌い、担った役務を果たすことだけが自らの行動規範となり、あるいは基準となり、あるいは行動そのものとなっているのではないかと悲しくなります。
その場その場で感性を研ぎ澄まし、瞬間に自分の回りで起こっていることに反応しながら生きることが必要なのではないかと思います。スキルを高め、多くのことを瞬間に判断しつつ成果をあげることができる人間にならなければならないといつも思います。
果たさなければならない責任と使命、生きている実感、うまく生きなければならないという良い焦り、これらがバランスよく発現することにより、自分なりの、しかし合目的な生き方ができるのではないかと考えます。
朝9時から食事を3人で行い、そして中国電力主催のフードシステムソリューション会場にしばらくして出発したのでした。きれいに整備された出雲の道路を北上すると、宍道湖が現れました。周囲が40数キロにわたるという宍道湖は、とても大きく、しかし大雨のあとそうであるように、少し濁った水で、光をきらきら反射していました。
遠くに松江の街並みが見えることになると車の列もながくなり、車のスピードをおとさざるをえないことになりました。しかし、その時間はとても有意義な、貴重な時間でした。車のなかで談笑し、そして過去を振り返り、未来を語るという繰り返しで時間を過ごしていた私たちにとって、無駄とも思える時間は見事に、価値のあるときに置き換えられていたからです。
たまにはこんな時間もいいかもしれない。私は少し気持ちを高揚させて、心からそう思いました(続く)。