よい病院、よくない病院の見分け方[石井友二]

マネジメントの巧拙が、病院の良し悪しを決めます。多くの病院コンサルティングの成果をお伝えし、自院の運営に役立たせていただくことを目指します。職員がやりがいをもって働ける環境づくりも、もう一つの目的です

表参道骨董通りが私にみせてくれたもの

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 久しぶりに青山の事務所があった場所に仕事のついでがあり、行ってみました。
私が銀行を退職して会社を設立したとに青山で仕事をしたいという思いがあり、骨董通りの入り口にあるビルを見つけ、仕事の場としたのでした。

 骨董通りの入り口といえば紀伊国屋の前であり、いまや新しいビルが立っていますが、その当時はまだ古いお店があり、なんとなく青山、という雰囲気がありました。
 それから青山や隣接する表参道は、表参道ヒルズやエチカができ、周りのビルもなんとはなくきれいになってきていて、趣が変わってきたという印象があります。

 しかし、年間200日以上の出張をしていた私は、近くにある、たくさんのおいしい食事を出してくれるフレンチレストランやオシャレな飲食店への縁がほとんどなく、結局いつも行くのは、目の前にある骨董通りのピザのトゥーザハーブスか、花屋さんの地下にある居酒屋さんと、古いビルの2階の焼鳥屋、そして地下にある和食のお店、と言った具合でした。

 結局ながいあいだ東京支社があった場所は、単に青山というだけで、私は、よく知らない街のままでながい年月をすごしたのでした。

 縁があって、いまの事務所に移転しましたが、骨董通りの入り口にくると、通りすぎるだけの街であったにもかかわらず、まるで私が生まれた街であるかのような錯覚に陥ります。
 時間がすぎるということは人生の残り時間が少なくなるということです。

 経験を積んだ分、人生の残りが少なくなる。一生を俯瞰すると、結局はほとんど人間の生きる年数は75年にほぼ決まっていて、その半分は37.5歳、四分の一は56.25歳、五分の一であれば、60歳ということになります。

 企業は四半期決算を行っているので、25%の倍数でいくのがよいのか、一般的にパレート法則は20:80の原則ですから20%の単位でいくのがよいのか、日本人の元服は15歳、なので15歳単位でみればやはり20%単位でよいのかとも思ったりします(昔と今では平均寿命が異なるので、これはどうだかわかりませんが…)。

 いずれにしても区切りをつけて、残り時間を計算しなければなりません。いろいろな思いでがある分、(時間当たりの密度を上げることは可能ですが)、これから思い出をつくる物理的なチャンスは少なくなっていく。人間はこうしてみると感覚的には平等にできていることに気が付きます。

 そして、その人が注意することで、そこでいう平等はより担保されるし、逆に気にかけない人はたぶん平均よりも短い期間しか残りを生きることができないかもしれません。

 まずは仮説としてくぎりをつけ、残りの期間を悔いなく生きる。
 そしてもし、仮説を立てた年齢を超えたら、そのときにこれからどれだけ越え続けることができるのかを想定して、またその期間を区分し、充実していきる。こうした考え方が必要です。

 しかし、ある段階から、例えば75歳を超えてしまったときなど、先がみえなくなる年齢に到達することもあり、その段階からはその日その日を一日を残りの人生と考えて過ごすことになるのだと思います。


 ただ、摂生をして睡眠を7時間とり、身体を休めながら、という生活をしていない私は、既に平均の残りの時間を享受できないのではとも考えます。いくつもの疾病を抱え、それを認識しながら、どこかで治療とは思うものの、毎日生きることの充実を求めているのかもしれません。

 どこまでいけるかわからないけれども、医療の端のところで仕事ができている喜びをもち、次に進んでいければ幸せです。

 合理的な仮説からは、逸脱している人生かもしれないと思いつつ、青山5丁目の交差点に立ち、少しだけ過去を振り返り、これからを決意した瞬間でした。