よい病院、よくない病院の見分け方[石井友二]

マネジメントの巧拙が、病院の良し悪しを決めます。多くの病院コンサルティングの成果をお伝えし、自院の運営に役立たせていただくことを目指します。職員がやりがいをもって働ける環境づくりも、もう一つの目的です

銀行での生活

 昨夜は、美川さんと伊東さんと私の3人で会食をしました。
 私が銀行にいたときに、コンサルティング部で働いていた伊東さんが、実は弊社の医療機器を担当している美川さんのK高校、K大学を通じての友人であることがわかりました。
 私も伊東さんもびっくりして、さっそく久しぶりに旧交を温めることになったのです。

 彼は安田信託銀行(現みずほ信託銀行)を退職したのち、ベンチャーキャピタルコンサルティング会社を経て、現在はKPMGの東京で、MAのコンサルティングをしています。病院の再生もドメインになっているようで、医療についての話で会話が弾みました。

 しかし、何よりも銀行のコンサルティング部にいたときの、働きぶりに話が移り、30代のときに、寝食を忘れて働いたことを思いだし、大いに盛り上がりました。
 
 当時は朝早くから、皆であるいは徹夜をして企画書を作成し、企業経営者や富裕層のクライアントに対してさまざまな提案をしていました。なかには、昼間にサウナに行ってしまう部下がいたり(ただし、彼は夜中まで毎日働いていました)、途中で飲みに行き、あるいは日生劇場や文化村でコンサートやミュージカルを観たあと銀行に帰ってきてからまた仕事をして徹夜をしたり、あるいは、例えば花見の季節には、酩酊して銀行に戻り、そのまま夜中まで寝ている者が床に転がっていることもありました。

 午前2時頃に、飲んでいて銀行に電話すると、必ず何人かは電話に出てくれるという生活でした。

 当時は、他の部署でも健康を壊して病に伏すメンバーや、過労で亡くなる行員もいて、結構健康管理には気を使わなければという意識がありました。

 机にはキョ―レオピンやビタミン剤がならび、俺のはキョ―レオピンゴールドである、これはとてもいい、いやこの強壮剤のほうが元気がでる、とかいいながら競って仕事をしたものです。

 卒業生はさまざまな業界で、強烈に仕事をしており、皆、銀行時代に銀行として何ができるのかを語りながら、支店業務推進に駆けずり回った記憶があります。

 今では長く働くことが銀行では許されておらず、少なくとも22時には銀行を出されてしまう。土日の出勤はレア、持ち帰り稟議はダメ、といったことになっているようです。

 当時いた40人のメンバーも、随分銀行を辞めていますが、何かあると、こうして昔話に花が咲くのです。郷愁に浸るというイメージでしょうか。しかし、だからといって今が充実していないわけではないので、昔を懐かしみ、昔は楽しかったね、という風に思いでを語るにすぎません。

 話が終われば、それぞれの仕事で、誰もやっていないことをしよう、という思いに戻ることができるのです。ただ、このときのマックスまで仕事をした経験がいまの仕事の支えになっていることには違いがありません。

 過去を懐かしみ、今を嘆くのではなく、今につながる過去の思い出し方もあるのだと、思うのでした。