よい病院、よくない病院の見分け方[石井友二]

マネジメントの巧拙が、病院の良し悪しを決めます。多くの病院コンサルティングの成果をお伝えし、自院の運営に役立たせていただくことを目指します。職員がやりがいをもって働ける環境づくりも、もう一つの目的です

釣りは人生そのもの

イメージ 1

イメージ 2

 そういえば、昨日三千和商工の家令光圀(かれいみつくに)社長と会食をしました。彼の会社はいわゆる青焼の会社からスタートし、リコーの代理店を行うなかで、大きく成長した会社です。お父様が初代で彼は二代目です。

 二代目の会社として彼はさらに新たに事業に取り組み、さまざまな成果をあげています。私が銀行員のときにコンサルティング案件で担当したことがきっかけで、もうとてもながいお付き合いになります。私がコンサルティん部にいたときの部下が彼の会社の専務になっており、その意味でも付き合いが深い会社でせす。

 最近は、釣りに趣味があるようで、遠くは沖永良部や沖縄まで足を延ばして、たくさんの釣り人のなかで釣果(ちょうか)を競っています。彼は釣り日記を書いており、どこでどのような釣りをして、何を得たのかについて記録をしています。ことこまかに記録をとることで、自らの過去を振り返り、次の釣りの糧にしているのです。

 この釣り日記は、まさに人生の記録そのものです。釣りを媒介として、その時の前後を思い出すことができます。あの釣りの前には何があり、あの釣りの後には何があるということが、釣りの日を点として線でつながり、またその線からその近辺の出来事が連鎖的に思い出されるなか、過去と現在がきれいにつながるようになります。

 べたで日記を書くのではなく、釣りというイベントを書き記すことは、そうした振り返りの仕組みをつくることができるのです。そうしてみると釣りをすること自体は、釣りというイベントではるけれども、そこから派生する、あるいは起点として連続的に思い起こすことがらは山のようにあると考えます。

 釣りはしたがって人生そのものを振り返るきっかけになるとするのが適切です。

 さらに釣りのときに使った竿を暦年で比較してみると、釣りざおが徐々に高くなり、また機能的にも強化されていることが解ります。これも、釣りと竿をみるなかで所得の変化や生活の変遷を認識することにもつながります。

 釣りそのものが人生である、という文脈で話をすることもできます。たとえば準備をして、じっと耐えて、また釣り場を選ぶ知識、魚との勝負における知恵の使い方を考える。
 そして結果として釣果がある。

結局は、準備を怠らず、忍耐強く、そして知性と創造性をもって事に当たらなければ、人生は成功しないといった、ことが言えるかもしれません。しかし、そうした概念的なことではなく、実際の人生のなかで
一つのきっかけとしての釣りを考えることのほうが、リアリティがあるという結論です。

 ま、それは釣りでなくても、例えばゴルフなど個人競技で、成果が必ず評価されてしまうというスポーツでも同じことが言えます。しかし、釣りは、練習すればうまくいくというものでもなく、海の状態やその日の気圧、さらには気温や天候といったことにも大きく寄与し、不確定な要素が多くなります。

 したがてって釣りでなければならないのではないか、と考えたりします。

 彼の手帳に張ってある人物は、子供だったり親戚だったり、経営者の友人だったりします。写真があればさらに、そうしたことからの連鎖により人生を想起することができるようになります。やはりすごい。

 私にはとても、そうした時間はありませんが、いつかは釣りを趣味の一つにつけくわえることができるようにしたいと思います。いずれにしても、家令さんとはとても楽しい時間を過ごし、旧交を温めたのでした。