感情とは喜ぶ、悲しむなど心の状態、気持ちをいいます。感情的になるとは、理性を失うことをいいます。
理性とは、道理によって物事を判断する心の動きをいうので、理性的とは人間のもつ本能や感情に動かされず、冷静に判断に従うことをいうのです。
なお、人により喜ぶことや悲しむこと、そして好きだったり、嫌に感じる事柄は異なります。それはその人の経験や価値観により影響を受けます。
なのである事象があったときに、人により感情の振れは大きい人、小さい人がいると考えます。
しかしそれらを総合して、社会で多くの人と助け合いながら生きていくためには、すなわちより良い社会生活を送るためには、理性を優先することが有効です。
とりわけ社会人として仕事をしていくときに感情的になってはコミュニケーションが成立しません。
たとえば、ある人が不適切と思われる発言をしたり何かを起こしたとき、自分の内面に起こる感情を俯瞰し、理解したうえで整理し、「 彼の言動は適切か、なぜ彼はこのようなことをいうのか、してしまうのか、その背景や原因は何か、その原因を理解してもらう、あるいは排除するために自分はどう行動すればよいのか、行動しないほうがよいのか」を判断し、対応することが必要です。
感情的になる場面を想定すると、理性にスイッチを切り替える時間をもたずに表現してしまうことが通常で、少し時間があれば、スイッチをオンにすることができると考えています。
もちろん、常に冷静になり感情を内面においても客観視できる訓練をすれば、事象→内面感情的→理性→対応ではなく、事象→冷静→理性→対応となるので、スイッチを切り替える時間はほぼ0、すなわち瞬時にある事象に対応できます。
感情を呼び起こさない日々の訓練が求められます(嬉しい、悲しい、好きだ、嫌いだという感情を持つなということではなく、持ちつつ引き摺られないことをいっています)。
なお、このときに重要なことは正邪を見分ける能力と推論力です。「彼の言動は適切か、なぜ彼はこのようなことをいうのか、してしまうのか、その原因は何か、その原因を理解してもらう、あるいは排除するために自分はどう行動すればよいのか、行動しないほうがよいのか」のプロセスがうまく働かない、正解ではないときには対応を誤ります。大正解ではなくても、正解に近づけるよう、正義をもって情報を集め、常に学び、自らを律し、善を追求することが必要です。
なかなか難しいことで、最期までその姿勢を持ち続けても、完璧にはできないレベルにある事柄ではありますが、人として恥ずかしくないよう、社会人として適切に行動できるよう、感情的にならずに、物事の正しい筋道や人として行うべき正しい道である、道理をもって、ぎりぎりエッジにぶらさがりながらでも適切に対応できるようになりたいと思います。
なお、今日のテーマはリーダーシップのあり方とも連関があり興味深いテーマです。このテーマについてこれからも継続的に検証していくことにします。