どこかに行く時にジグザグに進むことがよいのか直進するのがよいのかと聞かれれば、毎日アプリで最短のルートを検索している身としては、後者であると即答します。いうまでもなく乗り換えが少なく短時間で到着するのは便利で合理的だからです。
しかし、仕事となるとそうはいきません。ある日、あれとこれを何時までにかたづけて、次はこの予定といういつものスケジュール管理をしていたところ、クライアントからこの仕事を至急でお願いしますとメールが来て、他の予定していた仕事ができなくなりました。
優先順位付けや突然依頼された仕事の段取りがうまくできていなかったこともあり、達成感のない、前に進めない時間になりました。緊急の案件が入ることを想定してスケジュールを組むと頭では分かっているとしても理想通りにはいかないことはよくありますよね。その後雑務をこなし次の仕事にとりかかったのですが、ここでもいくつかの問題が発生し時間が上手く管理できずに疲れて一日が終わり翌日に予定をずらす結果になりました。思い通りに前に進めなかったのです。
そもそも横やりが入らなくても、仕事を前に進めようという強い意思が欠落したり、進めるにあたり例えばカネやヒト、時間や情報などいくつかの制約があり壁にぶちあたることは仕事を進めるときの常識です。
カネが足りないときには、どうすれば融通できるか、あくまでも調達し購入するのか、リース、割賦、レンタルにするのか、カネのかからない方法は何かといった代替案を検討しながら前に進みます。
時間や情報の壁にぶつかったときについても同様です。時間がなければ優先順位の高いものの完成度を60%、残りの時間でいま行うべき他の案件を20%ずつ万遍なく行い、時間が余れば、優先順位の高いものから完成度を高めたりします。
さらに情報不足には自分で足を運んだり、スタッフや他の人に依頼してタスクをクリヤーしていくといった対応を行うといった具合です。
ところでジグザグに進むというとき一番はじめにイメージするものはなんでしょう。私はアリです。ファイナーマンの研究では、アリがジグザグに進むのは、あるアリがチームで餌を運ぶとき、チームメンバーであるアリのうち指揮係として動くのはわずか10〜15秒ほどの短い時間で、その後指揮係は方向感覚を失って集団の一匹に戻り、今度は他のアリが指揮係になり前に進むと説明されています。
リーダーの交代はリーダーがながくリーダーシップを発揮できないという制約をクリヤーする方法なのだと容易に理解できます。
ことほどさように、仕事において人は直進できず、立ち止まり、一歩下がったり、横に移動したり、また前に進んだりと不規則にジグザグに進みながら前に進もうと努力するのが常態です。仕事を行う多くの人にとり、一つ一つの仕事をみると自律的、他律的な要因により直進できないことがあるのは当たり前だという結論です。
そうであれば「仕事は直進ではなくジグザグに進めるもの」、という仕事に対するイメージを以て事に当たることが適切です。ジグザグする仕事のイメージを念頭に、
- どこで止まり何を検討しなければならないのか、
- そのときにどのように壁を回避していけばよいのか、
- ときにはどうやって乗り越えていくのか
といった想定を事前に行いながら仕事を進めることが有益です。
なお、いろいろな方法を繰り返し試みて失敗を重ねながら解決方法を追求することを意味する試行錯誤や、結果は出せたけれども、さまざまな事情によって物事がスムーズに進まないことをいう紆余曲折も、まさに仕事は直進できずジグザグに進んでいくことを示した言葉なのだと認識できます。
ジグザグに進むことで多くの失敗や成功を知り、経験を積んで成長できるのであれば、自ら進んで多くのジグザグにチャレンジすることも無駄ではなく、人生の喜びなんだとも再確認できます。
仕事の段取りの範疇に含まれるのかもしれませんが、前述の突然の仕事も事前に予測できていれば戸惑わなかったし、余計な労力や時間をロスすることもなかったと思います。仕事の進む経路をイメージして俯瞰し、想定される制約の排除や課題の解決を数多く行える人ほど仕事をうまく進めていけると考えているのです。
仕事は直進できずジグザグに進むものであるという前提のもと、多くの経験と学習により得られた知見や知恵をもとに仕事全体のイメージをつくれることが成果を最大化する要諦であると理解し、仕事に取り組んでいければよいですね。
そして、ジグザグに進むことが仕事をうまく行うポイントであるとしたうえで、さらに高い視座から鳥瞰図的に自分の人生を振り返ったとき、スタート地点から自分のやりたいこと、やらなければならないことの集大成としてのゴールまで、おおよそ一直線に進んだと感じられる仕事ぶりだったと思えることが必要です。
日々はジグザグに進んだとしても、常に自分に向き合い、自分の思いを達成するための方向に真直ぐに生きられた事実を心に刻めるよう精進しなければならない、と改めて思います。