よい病院、よくない病院の見分け方[石井友二]

マネジメントの巧拙が、病院の良し悪しを決めます。多くの病院コンサルティングの成果をお伝えし、自院の運営に役立たせていただくことを目指します。職員がやりがいをもって働ける環境づくりも、もう一つの目的です

責任と成長カーブ

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責任とは、自分が引き受けて行わなければならない任務をいいます。引き受けて行うことにはその任務の目的を達成することを含みます。

 

目的を達成できませんでした、というのは責任を果たしたことになりません。

 

そうであるとすれば「責任をもつ」ことは「責任を果たす」と同義であり、付随する目的を達成する、成果を挙げることを含む概念であると分かります。

 

責任=義務といわれることがありますが、責任そのものが義務と同じ意味ではなく、責任を付与されると、それは実行しなければならないこととして義務が生じるというプロセスだと理解しています。

 

いずれにしても、義務であろうがなかろうが、責任という文字には、自分がコミットして引き受けた限りは、目的を達成しなければならない任務として、懸命に行動することが含まれているのです。 

 

ここで、職員の責任、中間管理職の責任、経営者の責任は、どのようなものか考えます。

 

簡潔に述べれば、職員の責任は「創造性を持ち、勤務時間内に求められる業務を一定の質を担保して行うこと」だし、中間管理職の責任は、「自分の主管する部門の目標を何がなんでも達成すること」、そして経営者の責任は(社会に還元できる)価値を創造し続けること」だと考えます。

 

もちろん経営者が価値を創造するためには、職員が持てる力を120%出し切る、リーダーが適切なリーダーシップを発揮する、顧客(患者)の期待に応える、結果として目的を果すことが必要で、そのためのガバナンス、人材育成や仕組みづくりが欠かせません。マネジメント力が問われます。

 

組織を継続させるためには多くの責任が伴うんですね。

 

責任をもって行動することは容易なことではなく、ここで説明した階層にある者は、それぞれが常に努力をしなければ責任を果たせない、と考えるのが通常です。

 

役職があり、ただ日々仕事をしているだけでは責任を果たしているとはいえません。

 

目標を達成し責任を果たすため、自分は何をしなければならないのか、何が不足しているのかをチェックし、足りないところを補いながら計画的に行動する必要があります。

 

こうして考えると、責任をもって何かを行うことを繰り返すことで、人は壁を乗り越え前に進めることが分かります。

責任を果たすための活動を多く行えば行うほど、力をつけることができるという帰結です。

 

組織で目標を立てる→責任をもってクリヤーする→以前より高い目標を立てる→責任をもってクリヤーする、といったながれをつくれる場に身を置くことの意味がここにあります。

 

責任をもち行動できることを喜びとし、責任を求めて果敢に挑戦し続け、自らの成長カーブを逓増させていける人生を送れたら、なんて幸せなんだろうと思います。

 

 

経営可視化のためのツール

f:id:itomoji2002:20200211222507j:plain月次で作成された月次決算書(貸借対照表、損益計算書、キャッシュフロー計算書等)は毎月チェックされなければなりません。

 

組織がうまく運営できているか、いないか、平易にいえば儲かっているのかいないのか、儲かっているとしたら何が原因か、また儲かっていないとすればどうすればよいのかを明らかにしていかなければならないからです。

 

毎月決算書をチェックする方法のひとつに経営分析があります。経営分析はいくつかの角度から、決算書を分析することをいいます。経営分析によって会社の経営成績や財政状態、そして資金繰りを点検して、経営がうまくできるよう、また悪化しないように事前に対処することが大切です。

 

経営分析とそれに基づく対処ができていれば、どこに注意すれば儲かるのか、また、事業が悪化することを最小限に食い止めることができます。

 

会社の売上や利益、資産状況と各種経営指標を日ごろから把握しておくことが必要です。経営分析は会社の健康診断といういい方がされます。健康診断を毎月行う人はそう多くはいませんが、少なくとも経営分析は毎月行なわなければなりません。場合によれば、その応用を行い、事業単位毎や顧客ごとに行うことが有効です。

 

なお、事業単位毎に分析を行うのであれば部門別損益計算、また、ターゲットや顧客毎

に行うのであれば、各々について多様な採算分析を別途行う必要があります。

 

さて、経営分析には、損益計算書から各利益をみる収益性、資金が効率的に活用されて

いるかみる効率性、資金の余裕度をみる安全性、人がどれほど付加価値を生んでいるの

かをみる生産性、どれくらい売上を伸ばしているのかの成長性、そして、利益が0とな

る売上高はいくらかをみる損益分岐点分析、さらに資金は足りているのか、どのように

使われているのかをみる資金分析があります。

 

資金が足りているのか、どのように使われているのかをみるためには、資金繰り表やキ

ャッシュフロー計算書が便利です。

資金繰り表は毎月資金の収支がどうであるのか、入金と支払いが合っているのか不足し

ていないのかについて検討を行うものです。また、キャッシュフロー計算書は、営業に

より得られたキャッシュのながれかから投資で使うキャッシュを控除して資金が不足し

ていれば財務によりキャッシュを手配したり、余っていれば返済を行うという情報を提

供してくれる計算書です。

 

現在の売上高と損益分岐点がどのくらい乖離しているのかをみたり、資金やCFを管理す

る2つの資料を使うことは、組織運営上とても重要ですね。経営分析を組織の可視化の

ために活用していかなければなりません。もちろん、より詳細に分析を行おうとすれば

指標分析を行います。

 

財務指標の構成要素までブレイクダウンして分析を行います。実務的に現場で行われる

方法です。

 

皆さんがよくご存じの 目標管理の一方法、キャプランのBSC(Balanced Scorecard)に

いう、KGI(Key Goal Indicator)→KFS(Key Success Factor)→PD(Performance

driver)→KPI(Key Performance Indicator)のながれで設定した、成功のカギとなる指

標の分析です。

 

より戦略的な見方をするときには、これらの設定の成否や実績が伴った活動ができたの

かの評価を、組織で設定しているKPIを活用して行う必要があります。経営分析だけで

は、行動レベルの分析はできない、という限界も知らなければなりません。

 

理性をもって対応する

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感情とは喜ぶ、悲しむなど心の状態、気持ちをいいます。感情的になるとは、理性を失うことをいいます。

 

理性とは、道理によって物事を判断する心の動きをいうので、理性的とは人間のもつ本能や感情に動かされず、冷静に判断に従うことをいうのです。

 

なお、人により喜ぶことや悲しむこと、そして好きだったり、嫌に感じる事柄は異なります。それはその人の経験や価値観により影響を受けます。

 

なのである事象があったときに、人により感情の振れは大きい人、小さい人がいると考えます。

 

しかしそれらを総合して、社会で多くの人と助け合いながら生きていくためには、すなわちより良い社会生活を送るためには、理性を優先することが有効です。

 

とりわけ社会人として仕事をしていくときに感情的になってはコミュニケーションが成立しません。

 

たとえば、ある人が不適切と思われる発言をしたり何かを起こしたとき、自分の内面に起こる感情を俯瞰し、理解したうえで整理し、「 彼の言動は適切か、なぜ彼はこのようなことをいうのか、してしまうのか、その背景や原因は何か、その原因を理解してもらう、あるいは排除するために自分はどう行動すればよいのか、行動しないほうがよいのか」を判断し、対応することが必要です。

 

感情的になる場面を想定すると、理性にスイッチを切り替える時間をもたずに表現してしまうことが通常で、少し時間があれば、スイッチをオンにすることができると考えています。

 

もちろん、常に冷静になり感情を内面においても客観視できる訓練をすれば、事象→内面感情的→理性→対応ではなく、事象→冷静→理性→対応となるので、スイッチを切り替える時間はほぼ0、すなわち瞬時にある事象に対応できます。

 

感情を呼び起こさない日々の訓練が求められます(嬉しい、悲しい、好きだ、嫌いだという感情を持つなということではなく、持ちつつ引き摺られないことをいっています)。

 

なお、このときに重要なことは正邪を見分ける能力と推論力です。「彼の言動は適切か、なぜ彼はこのようなことをいうのか、してしまうのか、その原因は何か、その原因を理解してもらう、あるいは排除するために自分はどう行動すればよいのか、行動しないほうがよいのか」のプロセスがうまく働かない、正解ではないときには対応を誤ります。大正解ではなくても、正解に近づけるよう、正義をもって情報を集め、常に学び、自らを律し、善を追求することが必要です。

 

なかなか難しいことで、最期までその姿勢を持ち続けても、完璧にはできないレベルにある事柄ではありますが、人として恥ずかしくないよう、社会人として適切に行動できるよう、感情的にならずに、物事の正しい筋道や人として行うべき正しい道である、道理をもって、ぎりぎりエッジにぶらさがりながらでも適切に対応できるようになりたいと思います。

 

なお、今日のテーマはリーダーシップのあり方とも連関があり興味深いテーマです。このテーマについてこれからも継続的に検証していくことにします。

 

 

院内セミナー開催の意味

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 厳しい医療環境を迎えたなかで、検討されるべき病院や診療所運営上の大きなテーマは、増患、単価アップ、生産性向上です。

 

 多くの患者が来院し、そして治療を受ける病院や診療所が地域に残ります。

病院であればそこから入院が発生し、手術につながり日当点(入院単価)があがるし、生産性が高く(質が高く)、短い時間で多くの患者を治療できる仕組みがあれば、病院は継続して医療を続けられます。

 

 無床の診療所においては入院がない分、来院した患者に治療の必要があるときにはいつも自院を選択してもらうことや、患者に高い評価をもらい、家族や友人に自院を勧めてもらうことが繁栄の要因です。増患のために、医療の質を常に高めることは言うまでもなく、できるだけ病院や診療所の敷居をまたいでもらうための企画が必要です。

 

 病院が季節毎に病院祭やクリスマスコンサートを開催するのは、外来に来院している患者や入院している患者のためだけではなく、広く地域住民を呼び込み、何かあったときの来院動機を喚起する目的をもつこともあります。

 院内でセミナーを行うこともこの類です。

 

 花粉症や風邪、心臓発作や脳疾患など季節により増加する疾患への備えや、広く生活習慣病の改善、悪性新生物の治療法、QOL確保などのための知識の提供や啓蒙を行うことや、心配なことがあれば自院で治療を受けて欲しいというプロモーションのために院内セミナーを行います。

 院内セミナーにより、自分の健康に危機感をもち、またはセルフコントロールができるようになることで、地域住民が健康で豊かな生活を送れるよう病院や診療所が支援を行うことは、自院のブランドを高めて、自院の地域での患者シェアをあげる効果をもっています。けっして健康な地域住民が増加することで自院の患者を減らしてしまうものではありません。

 増患やリピート率を高めるために、院内セミナーを行うことが有効です。

 もっといえば医療機関として地域住民の健康管理を行うという思いをもって院内セミナーを頻回に行い、多くの地域住民や患者のニーズに応えていくことこそが、実は地域医療を守る病院や診療所の使命であると私は考えています。

 もちろん、現場にいると患者の診察や治療によりセミナー開催の時間がとれない、という事情も理解できます。

 しかし、伝えたいことがあり、その思いを止められないという衝動があれば、時間を捻出することは可能です。例え15分や20分のスモールセミナーでも思いは伝わります。患者も含む地域住民とどのようにコミュニケーションをとるのか、という部分においてもとても意味のあることだと思います。

 

 院内セミナー、そして場合によれば外に出てのセミナーの運営について議論が必要です。

チームで達成するためのリーダー

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 私がリクルート(現リクルートホールディングス)のA職として、飛び込み営業の仕事をしていたときの上司はチームリーダーの見本のような人でした。都心の小さな営業所の開設を行う部隊でしたので、人数も5~6名だったと思います。

どちらかというと鬼ではない(任侠映画のスターのように格好のよい)軍曹のようなイメージで、我々が当初入職した支社長が落ち着いた紳士という感じでしたので、タイプの相違がよくわかりました。

所長は時に厳しく、時に優しくしかし着実に我々をコントロールしながら成果を挙げていました。同行するときにはスーツを肩にかけ、鼻歌を歌いながら貴社したことも記憶にあります。自宅に招きBBQをする、成績がよければレンタカーで旅行をするといった気遣いもあり、かなりまとまったチームとしての活動をして成果を挙げていた記憶があります。

 

一方監査法人は部門がありパートナーの下にマネージャーがいて、インチャージ(担当責任者)がいる下で、仕事を一兵卒でスタートしましたが、マネージャー迄は雲の上の人で、インチャージと食事にいったことが数回ある程度で、あとは仕事を軸につながるという関係でした。

会計監査というルールにしたがった仕事のなかで一定のアドバイスを受けるけれど、それ以上の関係をつくるものでもない、チームはあるものの自立したかたちとしてのチームワークだったと思います。

私が退職したあとに海外旅行やパーティによるコミュニケーションのシステムができたようですが、いずれにしてもインディペンデントな世界であった印象です。

 

そして銀行です。銀行は入社した部門がコンサルティング業務を行うコストセンターであったことから、尊敬できる上司のリーダーシップに影響され、皆がよく勉強していました。もちろん、銀行らしく歓送迎会が多いなかで、今はないと思いますが、半期半期の飲み会や雀荘での祖域横断的なコミュニケーションはありましたが、監査法人よりもより階層的な社会であり、銀行員としての規律や仕事に対するプロフェッションとしての意識の上にチームが成立していました。リーダーが独創的な銀行員であり啓発され身体を壊しながらも、寝ずに頑張った思い出があります。

 

雑駁ではありますが、リーダーシップやチームの在り方は多様であり、そのときの仕事の内容、リーダーの性格や属性、メンバーの能力、属性により大きく影響されることが分かります。

 

リーダーのタイプはそれぞれであり、その時点で成果を挙げるリーダーシップは異なるという理論も腑に落ちます。

すなわち特性理論→行動理論→条件適合理論という推移のなかで、まさに「あらゆる状況に適用可能な普遍的なリーダーシップは存在しない」「リーダーを取り巻く環境との関係性でリーダーシップが成立する」という考え方がそれです。組織目標を達成するために、リーダー自身の人間性を基礎として、メンバーに合せたリーダーシップを柔軟にとれるリーダーの存在が求められています。

 

リーダーは生まれつきのものではなく、また画一的なかたちではなく、条件適合理論によるリーダーに必要な属性やスキルを自分なりに整理し、具体化することが有用だ、それができれば、どのような内外環境変化においても、活躍できるチームをつくり上げることができるという帰結です。次回以降、自分なりの考えを整理してみたいと思います。

 

 

 

 

 

社員にとって受容できる夢のあるビジョン

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 ビジョンとは、経営者にとっては戦略の方向、社員にとれば実現したらよいと思える未来だと私は理解しています。

 

 ただ、ビジョンがあるからといって社員がすべてそれに惹かれて入社するとは限りません。

 

 入社するときにビジョンに共鳴して、また会社のビジョンが自分の夢であり仕事により自分の夢を叶えたいという思いをもって、入社する社員もいるでしょう。

 

 私はビジョンというよりは、選択肢もあまりなく監査法人に入社しましたし、また銀行に入行するときにも自分がやりたいことができるので応募し入社させてもらったという経緯があります。

 

 はっきり言って二つの組織のビジョンがどのようなものであったのかは知らないままに仕事を始めた記憶があります。

 

もちろん、前回の記事でも触れましたが、監査法人のおかげでさまざまな業種の経営を知り、銀行では信託銀行特有の風土に支えられた多くの聡明な上司や仲間に啓発され、とてもやりがいのあるコンサルティング業務ができたので幸せでした。

 

監査法人の仕事は当時においては、会計監査や付随するアドバイザリーに限定されていましたし、銀行においても銀行業のなかにおける仕事でしたので、仕事の価値を感じながらも未来にわたり意味のある何かをつくりあげていこうというビジョンがなかったのではないかとも思います。

 

私には、職業人としての使命感はありましたが、ビジョンがあったからといって仕事への動機が変化したとは考えていません。

 

仕事に勢いや創造性はあったものの制約された自由度の中で未来というより少し先を見ながらも、その時点での仕事を懸命にしていたのかもしれないという気がしています。

 

新しい何かをつくりあげる、ビジネスモデルを創造する、いままでにない価値をつくりあげる、といった業種であれば、別の経験ができたのかもしれないと思うと、もっとビジョンの有用性について理解していればという後悔もあります。

 

そうはいっても、当時はオールドエコノミーが成長期にある時代であったことは事実で、ビジョンの在り方や捉え方も当時はそれでよかったのかもしれません(誤解のないようにいえば当時もビジョナリーなマネジメントをした多くの企業があったことは間違いのない事実だと思いますが)。

 

いずれにしても、自分のやりたいことと会社がこうしたいというものが、目の前の仕事レベルではなく、未来を示すところで一致し、その状況の実現可能性が高いリソースをもつ企業があれば、やりがいのある仕事ができる組織なんだろうと容易に想像できます。

 

もちろん、その時点では資源がないとしても、それをつくりだそうとするトップがいて、それに呼応するように多くの社員が仕事をしている企業があれば、同じです。

 

私はその恩恵にあずかれませんでしたが、夢のあるビジョンがもつパワーを想像すると、やはりビジョンは大切だと強く思います。

 

もしそれが、夢のない未来のない事業で、やる気を失わせることのスパイラルに入るようなネガティブンな環境であれば、きっと社員は力を発揮できないのだろうと考えるのです。

 

未来を想い、ビジョンを明確に打ち出し、政策に昇華させ、具体的な日々の業務に落とし込むことができるトップマネジメントの存在があれば、どのような業種でも、どのような業態でも、きっと夢をもった仕事を社員に提供できるのでしょう。

 

幹部を動かす社員の力も必要かもしれませんが、リーダーの力量、意欲、覚悟があれば、よい企業文化が形成され、高い成果を挙げることができると思います。

 

心底から湧き上がるビジョンをもてるリーダーが数多く出現することを望んでいます。

 

前向きな企業(組織)文化と後ろ向きの企業(組織)文化

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 企業(組織)文化とは「企業や従業員が意識的・無意識的に共有する独自の価値観や規範、ルールなどの行動原理となる価値観」をいいます。企業全体なのか部署やチームのそれをいうのかにより、企業文化や組織文化というようです。

 

 企業文化は、外部からの影響を受け、徐々に形成され変化するものと言われていますが、最終的には、その企業の戦略や政策により決定されると、私は考えています。

 

例えば個人主義かチームワークか、失敗をマイナスとするのか許容するのか、年功序列か成果主義か、集団主義か個人を尊重するのか、といったことは当該企業の採用する制度や規程により、あるいはリーダの考え方により大きく影響を受けるからです。

 

企業が年功序列制度を採用し、個人の成果を評価する制度がないのに、うちの会社は成果主義で、成果をベースに評価するし、そのために個人が力を発揮できるよう、皆がサポートする組織です、という文化をつくるのは困難です。

ある部署がそう行動しても、結局企業としての個人の成果を評価する仕組みがなければ、当該部署の評価は処遇に結びつきません。

当該部署のなかで報酬に関わらず、個人の成果を認め、個人のやる気を醸成する、ということは可能かもしれませんが、企業のなかではそれが重視されないのです。

そのような活動が、組織内で成果主義を推進するリーダーの去就により変化しないとは言えず、継続して文化にまで昇華されるかどうかは疑問です。

 

ただし、企業のトップが環境変化をみて、当社は年功序列を排し、軋轢の生まれない成果主義を取り入れようと考えれば、制度を変えて新しい文化をつくり、自分の思いを遂げることは可能です。個人の成果を評価に反映しやる気になってもらおうと政策を変え、活気のある企業文化をつくれるのです。外部の影響を受けたものの、自分なりに意思決定し政策化するのです(そもそも企業戦略や政策で、まったく外部の影響を受けないものはありませんよね)。  

なお、部署によっては、成果主義を導入しても、年功序列を念頭においた評価を行うリーダーもいるので、この成果主義の制度を導入したこのケースでは、「どちらかというと成果主義を重んじる文化」という表現になります。

 

さて、さきほどの失敗をマイナスとするのか許容するのか、でいうと3M 社の企業文化が有名です。いくつかあるもののうち、行動の重視、自主性の奨励と失敗の許容が特徴的です。仕事の一部の時間を好きな(やりたいと思う)製品開発にあて、チャレンジに失敗しても誰も咎めない、というものです。研究開発を重んじる同社の経営者が決めた制度のなかで企業文化が発展してきたという証左です。自然に生まれたのではありません(なお、同社はチャレンジする企業文化に支えられ発展してきたのは言うまでもありません)。

 

このように企業文化や組織文化は、経営者の考えや戦略、政策により影響を受け、それらにより形成されることが分かります。

 

企業(組織)文化は戦略と同様に重要なものですが、企業文化も結局はリーダーが戦略や政策により方向を決め、制度をつくり、それを継承して初めて形成されるものであることが分かります。

さの企業のなかで経験を積んだ社員の多くが、企業文化を行動様式のなかに取り込み、実践することでそれらがより濃いものに発展するのだと考えています。

繰り返しますが企業文化は決して、気付いたらできあがっていたという類のものではないことを知る必要があります。

 

なお、組織において共通の認識とされる、独自の規則や価値観などを組織風土と言います。風土は企業の業種により方向づけられると思います。

 

私が監査法人で監査をしていた銀行は、保守的で堅実な風土でした。その後に勤務した信託銀行も同様の傾向がありました。銀行業の仕事の特性が風土をつくっていたと理解できます。

 

しかし、信託銀行には不動産や信託、コンサル部門があり、この領域の部署はどちらかというと銀行のベースの風土がありながら、オープンで創造的な業務を行っており少し毛色の違う風土がありました。それも仕事の性格に起因するものだと思います。

 

こうして考えると監査対象であったメーカーはメーカーの、また商社は商社なりに、建設は建設として、通信は官庁の影響もあり、それぞれの業種による風土ができあがっていたという印象です(もちろん、それぞれの企業の文化は面白いほど違いましたが)。

 

 いずれにしても企業のトップ(もちろん病院のトップも同様ですが)は、企業文化を重視し、社員が心からやる気になり力を発揮するためには、どのような前向きな(社員を活かす)企業(組織)文化が有効なのか、そのためにはどのような戦略、政策、そして制度やルールを整備していけばよいのかを考え続けていく必要があります。

 

 後ろ向きの文化をつくれば、職員が離反し組織が衰退することが明らかだからです。