よい病院、よくない病院の見分け方[石井友二]

マネジメントの巧拙が、病院の良し悪しを決めます。多くの病院コンサルティングの成果をお伝えし、自院の運営に役立たせていただくことを目指します。職員がやりがいをもって働ける環境づくりも、もう一つの目的です

未来の自分をつくる

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 未来は過去や現在の結果です。

 

 未来をコントロールできる人は、満足できる人生を送れます。

 未来をコントロールするためには、今(現在)をあるべき形で生きるための過去での準備が必要です。

 

 「今」は瞬時に過去になりますが、過去につくった思いや計画により今が創造されて未来につながります。

 

 水のながれのように「過去になりつつ過ごす今」に計画を立て、計画を実行する精度や速度を上げることで、充実した今を連続的に過ごすことができるのです。

 

 人生は思うほどは長くありません。

 

 各々の感じ方により、早く経ったり遅く感じたりすることはありますが、時間は一瞬たりとも止まりません。待ってくれないのです。

 

 今を充実して過ごすための継続した取り組みを行い、未来をつくりあげなければなりません。

 

 ここで、「今計画を立て、継続的に実行することにより未来をつくる」、という当たり前の結論を得ることができます。

 

 自分は

 

  1. 何を考えているのか、
  2. どのように行動するのか、
  3. 何を成し遂げるのか、それは、
  4. 価値があるか、
  5. 思い通りに行くか、

を考え、その問いに肯定的に応えられる自分をつくらなければなりません。

 

 ここでいう価値には主観的価値と客観的価値があります。

 

 自分がやりたいこと、やらなければならないことには自分にとって価値があるので、主観的価値の意味は理解し易いですよね。

 

 好きなことや、心底から湧き上がる欲求により行うことは楽しいし、喜びを感じつつ取り組むことができます。

 

 客観的価値については、どこに基準を置くのか難しいところです。他者から評価されることに軸足を置くのか、社会に対する効用が高いか、(他者から評価された)稼げるのかなどといった基準があるかもしれません。

 

 しかし、誰かが評価してくれた、社会に役に立つ、稼げることを完全に検証することは困難です。

 

 それらを定量的に評価し、いくつ以上のスコアなら価値があるという基準がない現状においては、これから取り組む何かの価値評価は客観性よりも主観性が勝ると考えています。

 

 自分が自分の生き方や考え、社会性があると思えば良いという帰結です。

 

 例えば事業を始めるときに、周りの評価を聴くものの直感で何かを始める人と、準備に時間をかける人がいます。

 

 自分なりの調査を行い、行なうべきことの妥当性にある程度の確信をもつ。そして決定事項について仮説を立て、実行し、フィードバックを受けながら実験をしたうえで納得して本格的なプランニングを行う人達です。

 

 ただ、入念に準備をすれば、確実に事業は成功するとはいいきれません。

 

 環境を検討する、ニーズを把握する、課題を出すというフェーズは必要としても、

それらを事前に、網羅的に行うことは不可能だからです。

 

 思い通りに行くことも行かないことがあったとしても、当初の設定が正しく価値創造への貢献が必ずあると信じて活動を開始し、自分が決めた到達展へのパフォーマンスが挙がっているかどうかを検証(フィードバック)し続け、

 

 たとえ思い通りにいかないことがあっても、直ちに修正し、次のステップに繋げる、という思考錯誤を続け、事業を続けることが大切です。

 

 プランをブレイクダウンした日々の行動を、常に検証しながら修正し、継続するなかに成果がみえてくるのです。

 

 私たちには躊躇している時間はありません。

 

 必要なことは、すべての人が上記5つの問いに答え、自分がこれをやろうときめたことの実現のために、主体的な創造活動を始めること。

 

 未来をつくるため、今、自分が行動を起こしているのか、いないのか。

再度確認が必要だと考えています。

 

 

 

 

 

 

コロナで何が正解か分からないとき

 

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 日々驚くことが多く、これから日本は、そして自分はどうなるんだろうと、漠たる不安が頭をよぎらない人はいないと思います。気持ちが萎え、閉塞感に包まれる瞬間です。

 

 しかし、どのような環境にあっても人が行うべきことは明確です。

 

 松下幸之助の著書「道をひらく」には、どんな小さなことでも工夫を重ね変化させていくことで発展する。

 

 多くの場合、イノベーションの原点は、一握りの天才の思いよりも、すぐそばにある日々の工夫(改善)などによる創造にあると指摘しています。

 

 ここから学べることは、毎日の仕事のなかに、なぜなんだろう、どうすればよいのか、という着眼をもち、どうしたらもっとうまく、はやく、やすく物事を進めることができるのかを考え、行動し続けることです。

 

 ただ、それが「現状の出来事」の改善という意味であるとすれば、もう一つ、これからの視点をもつことも必要です。

 

 日々、現状の業務を100%行うのではなく、時間当り生産性を高め、今までの業務を80%の時間でこなし、新たに生まれた20%の時間で、新規の取組みに割り振り、日々行動することがそれです。

 

 新規の取組み事項は、今の業務の延長線上にあることもあるし、まったく表面的には連関のないものかもしれません。

 

 しかし、自分のやりたいこと、やらなければならないことから新規の取組みが生まれるとすれば、現状の業務が、やりたいこと、やらなければならないことから大きく外れていない限り、必ず両者はつながります。

 

 (自分や自社は)一体どんな考えをもっているのか(Why)、それはどのように行うのか(How)、何をするのか(What)、という考えに基いて生きていれば、自分の考えや行動の源泉は同じだからです。

 

 これは、サイモンシネックの著書「WHYから始めよ!」に紹介されているゴールデンサークルですが、まさに、自分が成し遂げなければならないことを整理するための、シンプルかつ普遍的なフレームワークだと思います。

 

 ゴールデンサークルを使い、自分のやりたいこと、やらなければならないことを決め、日々の業務に落とし込む。

 

 いまやっていること(現状業務)やこれからのこと(新規の取組み)を具体化し、計画し、行動につなげる日々は、必ず成果を生み出します。 

 

 どんな時代でも、ここでいう考え方や行動力をもっていれば(日々の環境変化を機敏に感じとり、いくつかの調整や修正を行うとしても)、自分の思う方向に進むことは間違いなく可能なのです。

 

 何よりも大事なことは

  1. 継続すること
  2. 多くの人に助けてもらえる自分づくり

です。

 

 言うまでもありませんが、人は自分独りで生きているわけではなく、他者と相互補助(依存)関係にあります。誰かを助け、誰かに助けてもらいながら生きているのです。

 

 社会にどう貢献できるのかを心の片隅におき、達成感を得て他から求められる人になる為には、拙著「サクセスキューブ」にあるように

  1. 思いをもつこと、
  2. 信念に高めること、
  3. 自分のスキルを徹底して磨くこと、
  4. 人間性を高めること
  5. 適切なコミュニケーションをとること

が必要です。

 

 何をすることが正解なのかは誰も分かりません。

 

 しかし、だからこそ、利他の意識をもち、自分がこれをしようと決めたことを日々実直に行うことが正解だと決める。

 

 そして、人から信頼され、求められる自分になれるよう、日々意識をしながら鍛錬し、達成感を得ながら成長していくのです。

 

 私も、改めて自分の思いや行動を見直し、新たな挑戦を続けていきたいと決意しています。

魂を入れつづけること

 

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 先日、コンサルティングをしているとき、ある経営者が自社の経営に不足するものがあったことを振り返り、「これからは魂を入れる」と話されました。

 

 「仏作って魂入れず」という諺があります。それは、物事をほとんど仕上げながら、いちばん肝心なものが抜け落ちていることのたとえです。

 

 ここでいう仏をつくるとは、何を差すのでしょうか。

 

 一神教である、ユダヤ教、プロテスタント、イスラム教は偶像崇拝を禁止していますが、一方で仏教は多神教であり、多くは偶像崇拝を禁止せず、仏像が数多くつくられています。信仰の対象となる仏像は人がつくります。

 

 信仰の対象となる石造や木造の仏像も、実はただの石や木でしかなく、作る人の思いがなければ真の仏像にならないということなのでしょう。

 

 仏師の入魂の技で、仏像がその精緻なつくりで見るからに温かく思いやりのある表情や、仏らしい姿や、振る舞いを感じられる仕上がりになっていれば、「あー仏様はすばらしい」と伝わるものがあるに違いありません。

 

 仏師が心を込めて何かを伝えたいと懸命に仏像をつくれば願いが伝わるものだ、なので、魂が入らなければ伝わらない、という諺が活きてきますね。

 

 ところで、道端に置かれている地蔵は、無造作なつくりで経年とともに劣化し、表情も良くわからなくなったものも多いのに、道を行交う人々が、時にその存在に気付き、目を閉じて手を合わせ旅路の安全を願います。

  

 この行いからは、実は、作った仏像は、あくまでもきっかけであり、行交う人の強い思いや、信仰心が手を合わせ願うという行為を生んでいることが理解できます。

 

 ここにすなわち、何かを行う側の戒めとしては、「仏作って魂入れず」は活きるとしても、社会活動においてはそれでは足りず、相手がどのような思いをもって、作る側の思いを感じとれるのか、また影響を受けつつも自らの思いにより主体的に行動してもらえるのかについても、考えなければならないことが分ります。

 

 私はどうしてもマネジメントの視点でものを考えるし、さきほどの経営者との会話も、そこをベースにやりとりをしています。

 

 経営者が、気持ちや思いを込めてつくったマネジメントの仕組みの形が見えたり、精緻なことは大事だとしてもそれだけではダメだ、ということに気付きます。

 

  1. 従業員の機体や能動的な生き方に働きかける経営者の思いや行いが空気となり、文化となり、思想となって従業員伝わる
  2. あるいは、自ら求める従業員の思いの一部に、経営者のつくりあげたビジネスモデル、仕組みやシステムに対する共感や同意、約束がある
  3. その結果として、経営者の意図を知りたい、意図を汲んで自分を活かしたいという意識や執着が生まれてくる

と考えているのです。

 

 となると、重要なのは経営者の思いや日頃の行ないであり、本人の社会性や人間性、他者からの信頼や尊敬です。

 

 経営を行うときには、経営者が日々人格を磨き、従業員を思いやり、仕事を通じて信念を具現化し、社会価値を造り続けようという思いや意識が、従業員の信頼を得て主体性を喚起し、彼らの行動を変容するのだと分かるのです。

 

 仏像だけではなく、目には見えないけれども自分を信じ、自分のために、ひいては仲間や社会のために、日々成長しようと能動的に行動する従業員の思いや信念が大事です。

 

 少なくとも仕事をしている時には、そのように考え行動できる従業員が数多く生まれるよう、経営者は自ら行動し、成長しつづけなければなりません。

 

 経営の視点からいえば、「仏作って魂入れず」を常に思い「物事をほとんど仕上げながら、いちばん肝心なものが抜け落ちている」ことがないか、重要な事柄を忘れてはいなか留意しなければならないでしょう。

 

 しかし、そもそも完成ということがない組織運営において、もっと大切なのは

  1. 仏(ビジネスモデルや仕組み、システム)が未完成であっても、経営者の思いに共鳴し、歓喜のなかに主体的、能動的な価値生産を行える従業員が多く生まれること。
  2. そして、経営者がそのことへの大きな影響力をもてる人になれること

という帰結です。

 

 「これからは魂を入れる」という経営者の言葉の重さと、奥深さを感じ、身の引き締まる思いを持った瞬間でした。

 

 

 

 

挫けず妥協せず

  

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 ここでの「挫ける」は、勢いや意欲がそがれるという意味です。

 

 「挫ける」を、精神的な領域で起こる感情の変化と捉えると、人によってその気持ちの程度が異なることは容易に想像できます。

 

    挫けた、という場合、大きなものは10、中程度のそれは5、小さなものは1だよね等と、普遍的に定量化できるわけではないからです。

 

   小さな壁であってもつまずいて大ケガをする人もいるし、小さな壁でつまずいても、おっとっとという感じで転ばないで済む人もいますよね。

 

   ここで、「挫けること」はとても主観的なものであることが分ります。

 

   人により、ある出来事に対する挫けることの気持ちのレベルは異なることをここでは議論の対象とせず、一般論で話を進めることにします。

 

   さて、前置きがながくなりましたが、挫けるという言葉の背景には、

・目標をもち、

・何かをしていて、

・うまくいかない

状況があります。

 

   目標がなければ、つまずかない(つまずきようがない)ので、挫けることはありません。

 

 目標があるから、何かをしようという思いが生まれます。そして、そこからの行動がなければ壁にぶつかることもありません。

 

 なので、妙な言い方ですが、挫けるためには、目標があるだけではなく、何かを始めなくてはなりません。

 

 目標に取り組もうとしたけれども挫折した、ということはあるとしても、どちらかというと残念、という程度であり、挫けるレベルまではいかない気がします。

 

 目標の達成に情熱をもっているとしたら何かを始める、そこでうまくいかないときにはじめて挫けるの領域に入ると考えています。

 

 目標がなければ挫けようがない。目標があっても始めていなければ挫けない、ということになります。

 

 例えば、日々言われたことをこなすだけの仕事や、目の前のルーチン業務を行っているとき、失敗する、うまくいかないことがあるとします。

 

 もともとその仕事において、「これをクリアーすることでこんな自分になろう」という意欲や勢いがないのであれば、「あーあ、なんだよ」という思いで、凹む、気が滅入るということはあるかもしれませんが、挫けるというレベルの感情にまでは至らないと考えているのです。

 

 目標がなかったり、大きな思いに裏付けられ情熱をもってその達成に取り組めない目標では、挫けもしない(できない)というのはとても寂しいことだと思います。

 

 挫けることは嫌だ、嫌な思いをすることなく安楽な人生を送ろう、というのはその人の価値観なので、良い悪いの問題ではありません。

 

 しかし、普通に生活しているのでは安定を維持できない可能性が高くなってきたいま、本当に何かに挑戦しなくてよいのかは疑問です。

 

 国も組織も最終的には自分を守ってはくれません。国や組織自体の継続性が担保されない時代になりました。

 

 少なくとも、アフターコロナの時期には、日本が必ずそうするだろうと思われる大きな増税や、株価の下落による景気の悪化が取り沙汰されている現状があります。

 

 それぞれの環境で自分が力をつけ、どう勝ち残るのかを考える状況にないとは口が裂けてもいえません。

 

 現状に妥協してはならないのです。

 

 常に今や近い未来をより良くするために何をするのかを考え、日々行動しなければなりません。

 

 組織の成功は、自分の成長の帰結と理解し、日々工夫や創造を行うとともに、その環境をつくるために何をするのか計画し行動する。

 

 また、自分の思いを整理し、また、何をすれば自分が光り輝くのかについても意識し、今こそ新しい活動を開始することが求められているのです。

 

 自分のSWOT(強み、弱み、機会、脅威)分析を行い改善のための目標を設定するとともに、自分の比較優位をつくり出すために何をすべきかを計画することが適当です。

 

 そして挫けず妥協せず、自分の決めたことを必ずやり切る勇気と努力を惜しんではなりません。

 

 アンジェラ・ダックワースの著書、「やり抜く力GRIT」のGRITでは、

  1. Guts(度胸)
  2. Resilience(復元力)
  3. Initiative(自発性)
  4. Tenacity(執念)

の5つが成功の要諦であると説明しています。

 

 困難に挑んで、逆境であってもそれを乗り越える勇気をもつこと、そして途中で挫けても立ち直る力をもつこと、何事にも率先して取り組む力を身に着け、どんなことがあっても決めたことに集中しやり続ける能力を養う必要がある、という内容です。

 

 もともと、英語のGritという単語は、困難にあってもくじけない勇気を意味していますが、まさに、「やり抜く力GRIT」は、我々に「挫けず妥協せず」ことを教えてくれているのだと思います。

 

 誰もが「これから」について漠とした不安を持っている(だろう)いま、皆が何かの目標をもち、挫けず妥協せずの意識をもって、何度挫けても、這い上がり前に進む。

 

 そして、日々たった一歩でも前に進み続けていくことができれば、必ず時代を乗り越えていけると考えています。

 

 近い未来を目指して、限りの無い自己変革への挑戦に、私も仲間とともに取り組んでいきます。

思いを実現する

 

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 人生とは「何かの目的を決め、それに向かい闘い続けるプロセス」と、定義すれば、成果を挙げるために行うべきことは明らかです。

 

 大きな目的のために、自分を磨き、いくつもの目標を定め、その目標達成のために、目の前のことを日々一つひとつ解決していかなければなりません。

 

 執着が必要です。

 

 執着とは、一つのことに心をとらわれて、そこから離れられないこと。「事物に固執し、とらわれること」など悪い意味で使われますが、「没頭すること」と言う良い意味でも使われることもあります。

 

 私は後者を採りたいと思います。

 

 没頭する仕事があることは幸せです。やりたいこと、やらなければならないことのために準備し、どう行動するのかが問われます。

 

 そこには思いや信念があり、情熱が生まれます。ときには弛緩しながらも、気付いてただちに目標に立ち戻る。そして、自分の役割をどのように果たせばよいのか悩みながら、前に進む。

 

 それが人として生まれたことの証であると納得しています。

 

 アンジェラダックワースの著書、「やり抜く力GRIT」には、成功のためには、まずは最上位目標を決め、その目標を達成するための下位目標の達成、中位目標の達成、そして最上位への取組みを行うと、目標を逆算して積上げていくことが必要。

 

 そのためには、

  1. ストレッチ目標を決める
  2. 集中して取り組む
  3. 的確なフィードバックをもらう
  4. 反省して改良する

という行動をとらなければならないと書かれています。

 

 目標達成に執着して(集中して取り組み)PDCAを回すことだとの理解です。

 

 もちろん、PDCAは、年、月、週、1日に落とし込まれ、適切な基準により評価されることや、解決策の仮説が的確である必要があります。

 

 ただ、環境が変わったり、いま行っていることが、立ちはだかる壁に行く手を阻まれることがあると、人は自分を見失ったり、弱気になることもあります。

 

 一方、どのようなときにも、自分に勝ち続ける人もいて、そうした人がいくつもの成果を挙げているのを見ると羨ましく思います。

 

 ここに、人は何かに直面したときに「気持ちのスケール」があるとすれば、弱気ゾーンに常に身を置く人もいるし、強気ゾーンにい続ける傾向の高い人のいることが分ります。

 

 どちらにしても、持って生まれた能力や、後発的に得た経験や知識などから生まれるその人の持つ属性により、弱気と強気の間を行き来しながら人は前に進んでいくものだと考えています。

 

 できるだけ意識を高め、裏付けのある自信や判断から強気ゾーンに自分を置く事ができる自分になりたいと常々思います。

 

 弱気と強気は、悲観主義なのか楽観主義なのか、といった問いかけもあります。説明したように「根拠のある背景をもって強気ゾーンにいられる楽観主義者」が望ましく、「確証が無いのに、何とかなるよねというただの楽観主義者」では成果を得られません。

 

 強気ゾーンの楽観主義者になるために、自分をどのように変えていくのか。大きなテーマですね。

 

 ここで大切なことはやはり執着です。 

 意識のなかにある潜在意識に目を向ける、ナポレオンヒルの「思考は現実化する」が重要です。

 

・潜在意識が、

信念などの強い感情と結びついたときに、

・人生を大きく動かす力がついて、

・人は成功する

と説明しています。

 

 信念が、情熱を生んで執着を呼び、潜在意識下においても自分を没頭させることで、思い通りの人生を歩めるという帰結です。

 

 潜在意識に入れ込む信念をつくりだすための、思いや使命感をどのように手に入れるのかについては個々の人の生い立ちや環境、経験や学習に依存します。

 

 拙著「サクセスキューブ」でも説明しているように、やりたいこと、やらなければならないことを徹底的に見つめ直すことから思いをつくり、信念に昇華させ、執着をもって具体的な行動につなげていかなければなりません。

 

 思いを実現できると信じて多くの仲間と、思い→信念→執着→準備へのながれをつくり、適切な行動をとりつつ前に進んで行ければ幸せな人生ですね。

 

今だからこそ自分磨きを

 

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 どのような時代であっても、人として自分を成長させる取り組みを行うことは大切だと考えています。

 

 ここで成長とは、

  1. 人として正しく生き、
  2. 誰かの役に立てるようになる

ことを意味しています。

 

 

 人として正しく生きる、ということは、

・思いやり

・誠実さ

・情熱

・コンプライアンス

・合目的的(ごうもくてきてき)

といった意味に落とし込まれます。

 

 思いやりは、他人の気持ちに配慮することです。

 

 しっかりとした自分の思いを持ちながらも、何が起こっているのか、なぜそうなのか、どうすれば相手の気持ちを汲んだうえで適切に対応するかを考え行動できる人と仕事をするのは楽しいし、良い結果が出ます。

 

 誠実さとは、私利私欲を交えず、嘘偽りなく人や物事に対することです。

 

 欲のない人はいないと思います。しかし、自分の利益や、自分の欲求だけを満たすことを考えて行動すれば、誰も相手にしてくれなくなることは間違いありません。利他の意識は誠意の発露であることを忘れず行動したいものです。

 なお、思いやりと誠実は共存するので、思いやりがあれば誠実さは成立すると考えます。

 

 次に情熱です。情熱はあることに気持ちが燃え立つことをいいます。

 

 人はいつも何かに燃えていることが必要です。それは思いや信念から生まれるもの。

 

 お正月を80数回しか迎えることができない短い人生を有意義に生きるため、自分は何のために生きているのかを常に反芻し、何かに情熱をもって生きる生き物だと考えているのです。

 

 もちろん、人の気持ちには浮き沈みがあり、いつも情熱を持ち続けることは難しいかもしれません。

 

 しかし、気持ちが弱ったときでも、心のどこかに情熱のかけらを潜ませておき、いつもその光を頼りに生きる。機会を得て情熱を燃え滾らせることができれば、幸せなのだと思います。

 

 コンプライアンスは文字通り法令順守をいいます。

 

 法令のなかには法律だけではなく、常識を持ち合わせていることも自明の理です。常識とは、社会人が共通に身に着けている一般的な知識や判断力です。

 

 法令順守意識や常識のない人は間違いなく問題を起こすし、他者から認めてもらえません。人は人間として、教養を身に着け、決まった社会的ルールのなかで生きることで、すがすがしい自由を得られると考えているのです。

 

 合目的的に生きる、とは目的に合わせて生きることをいいます。

 

 人は前述したように何かに情熱を注ぎ、目的をもって生きることで始めて自分を活かすことができます。情熱もなく目的もなく生きることほど寂しいことはありません。

 

 自分にはどのような使命があるのかを自分で決め目的化し、その達成のために情熱をもって行動するなかで、満足や達成感を得て思い通りに生きることができるのです。

 

 さて、次に「誰かの役に立てるようになる」ことについて説明します。

 

 誰かの役に立てる、とは他者の役に立つこと。

 自分の情熱による合目的的な行動により達成感を得て思い通りに生きるという前提に、他者の役に立つというキーワードがあるのです。

 

 仕事であれば、どのような仕事も社会のサプライチェーンのなかに組み込まれており、他者の役に立っていない仕事はありません。

 

 また、仕事に就いていないとしても、その人の過去や存在自体が他者の喜びになっていることがあります。就業していることが他者の役に立つことの条件ではありません。

 

 重要なことは、誰か他者のために生きようという意識をもって、そうなるように行動することです。

 

 ここで他者とは、家族であり、従業員であり、仲間であり、取引先であり、見ず知らずの誰かであったりします。

 

 他者のために生きる、という思いがあれは、その思いにより勇気をもって生きられるし、間違いがあったときに自分の行動を見直し、課題を発見し、修正することができるのだと思っています。

 

 そして、(役に立てる)「ようになる」ということも重要です。「ようになる」という目標に向かい、今はもしかしたらそう生きていないかもしれないけれど、必ずそうなろうと取り組む姿勢を表しています。

 

 人は、境遇とか環境により形成された属性だけではなく、もともと業(ごう)(=理性によって制御できない心の働き)をもって生まれると信じています。それはその人の性格や姿勢や態度、行ないに発現するものです。

 

 だからこそ、人はいつもできるだけ冷静になり、自分を客観視し、現状を分析したうえで、上記のように生きるにはどのようにしていけばよいのかを悩み、仮説を立て闘いながら生きるものだと考えています。

 

 最期の最期まで自分を鼓舞し、克己し、理想に近づけるように努力し続けることが必要です。

 

 いつでも、「現状は完成形にはない」と意識するのが適当です。(役に立てる)ようになることを目標として日々精進しなければならなないと考えています。

 

 こうしてみると「人として自分を成長させる取り組み」を行うことはとても大変なことが分ります。

 

 ややもすれば、先の見えない不安のなかで自分を見失いがちないま、果たして自分は何者なのかを凝視し、日々学び日々修正しながら生きることは、とても難しいからです。

 

 しかし、コロナが猛威を振るい身動きがとりづらい環境だからこそ、未来に差し込む光を見出し、今のうちに「人として自分を成長させる取り組み」を行い、来るべき時に備えることが必要です。

 

 ジェームス・アレンは、彼の著書「原因と結果の法則」で、現在の自分からなりたい自分になる(果実)ためには、思いと行動(種)が重要と説明しています。

 

 自分はこうなりたいというヴィジョンをもち、そこに近づくように一つでもいい、今日はこんなことがあり、こんなことを思い直した、修正できた、という成果を積み重ねながら生きていきたいものですね。

悪循環からの脱出(Ready go!)

 

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 「悪循環」とは、あることが他の悪い状態を引き起こし、それがまた先に起こったことに悪影響を及ぼす関係が何度も繰り返されて、状況がますます悪くなることをいいます。

 

 悪循環が続くと「負の連鎖」になります。

 

 負の連鎖は、一つのよくない出来事が原因となって悪循環が繋がりをもって連続的に起きることをいいます。

 

 悪循環はらせん状(スパイラル)に下に向って悪くなることをいいますが、負の連鎖は、らせん状に悪くなるものがいくつも繋がり連続的に起きることなので、悪循環が次々に生まれるんですよね。

 

 最悪な状況です。

 

 さすがに、負の連鎖を何度も経験する機会は少ないと思いますが、たまに、「あ、これは悪循環になっているな」ということがあります。

 

 意識がネガティブな方向に向いていると、益々、その思いが心を占有してしまうのです。そうなるとなかなか冷静な判断ができなくなり、その気持ちから抜け出せません。

 

 「信号にやられた事件」を例にとり話をします。

 

 とても急いでいるときに、信号に停められる。「なんだよ、タイミング悪いな」、と思う瞬間です。いつもならスムースに進める道も、そういうときには、次の信号でも、また次の信号でも停められてしまい、「おーい、どうなっているんだ」、とイライラしてしまうイメージです。

 

 何かを行っているとき、一度躓(つまづ)くと、次々に問題が惹起し、躓きまくるといった状況です。

 

 信号事件について、なぜそうなるのか、原因を考えてみましょう。

 

・予定の設定に無理があった

・予定よりも遅く自宅を出た

・気持ちの余裕がない

・道路が混んでいた

・たまたま前の車がゆっくり走っていた

・時間帯により信号の変り方が早い

などが該当します。

 

 そこには自律的な課題と、他律的な問題があります。

 

 予定の設定に無理があった、や予定よりも遅く自宅を出た、は自分の責任であり、自分が車で移動するときの状況を想定し、時間的な余裕をもって行動すれば、道が混んでいようが、前の車が遅かろうが想定内の事柄として受け入れることができました。

 

 障害があっても予想できていれば、物事を俯瞰することができて、気持ちの余裕も生まれ問題は起こりません。

 

 とてもシンプルではありますが、悪循環が生まれる理由は、さまざまな点において「準備不足」ということが分ります。

 

 

 準備を行うということは、物事に対して

 

  1. なぜ
  2. 何を
  3. 誰が
  4. いつ(いつまでに)
  5. どこで
  6. どのように
  7. いくらで

の検討を行い、必要な何かを用意することです。

これは5W2Hですよね。

 

 このなかに、当然に「いつまでに」の項目があり、適切に対応するためには間に合うように、というキーワードがプラスされます。先ほどの信号事件の解決です。

 

 ということで、実は何かが起こることが複雑な要因により生まれるとしても、情報を集め、ケースを想定し、障害を予想し、時間の使い方、役割分担や必要とされる道具や手法の用意、資金調達などの対策(仮説)を立て、どのように処理していけばよいのかの準備を行い、物事に当たる必要があることが分ります。

 

 なお、信号事件の解決のためには、予定の設定に無理があった、予定よりも遅く自宅を出た、気持ちの余裕がない、道路が混んでいた、たまたま前の車がゆっくり走っていた、時間帯により信号の変り方が早い、としても、

・抜け道を通る

・違反にならないようスピードを上げる

・クラクションをならして前の車に注意を喚起する

といった方法もあり、周到な準備がなくてもその場をクリアーすることもできないわけではありません。

 

 しかし、このようなイレギュラーなことに随時対応して、リスクを背負いながら何かをすり抜けるよりも、物事に対し、常に戦略的に対応することのほうが安全で、安心できるし確実です。

 

 用意周到に準備をしたうえで、発生するイレギュラーな事象に対して、訓練により、うまく処理するスキルも身に着ける必要はありますが、できるだけ想定内の出来事の範囲に収めながら事に当たることを心掛ける必要があるのです。

 

 仮説の立て方に熟練することが重要です。

 

 なので、悪循環に陥ったときには、いちど自分を振り返り、

  1. 現状のどこに問題があるのか
  2. その課題は何か
  3. どのようにすれば解決できるのか
  4. 次から何を準備すればよいのか

を冷静に分析してみる必要があります。

 

 悪循環を負の連鎖にまで誘導することなく、少なくとも一回りしたところで対処できるよう日頃から訓練を行う必要があるのです。

 

 5W2Hは、物事を捉えるときのあまりにもシンプルなフレームワークですが、常に

  1. なせこの仕事をしているのか、
  2. 何をしなければならないのか、
  3. 本当に自分の仕事なのか、
  4. いつまでにやらなければならないのか、
  5. この場所で行って良いのか、
  6. 方法は間違っていないか、
  7. 自分の時間のかけかたは合理的か、

ということを常に考え、行動する大切さを教えてくれます。

 

 なお、いうまでもありませんが悪循環になる前に5W2Hで準備をする癖をつけ、ASCS(アスクス)やPDCAと併せて準備を行えば最高ですね。

 

「準備(preparation)セット=Prep set」もしくは「準備完了セット=Ready go (用意どん)!set」と名付けて頭の引き出しに入れておくとよいでしょう。(Ready go !setのほうがやる気になります)。

 

 5W2Hをあなどれません。