どのような時代であっても、人として自分を成長させる取り組みを行うことは大切だと考えています。
ここで成長とは、
- 人として正しく生き、
- 誰かの役に立てるようになる
ことを意味しています。
人として正しく生きる、ということは、
・思いやり
・誠実さ
・情熱
・コンプライアンス
・合目的的(ごうもくてきてき)
といった意味に落とし込まれます。
思いやりは、他人の気持ちに配慮することです。
しっかりとした自分の思いを持ちながらも、何が起こっているのか、なぜそうなのか、どうすれば相手の気持ちを汲んだうえで適切に対応するかを考え行動できる人と仕事をするのは楽しいし、良い結果が出ます。
誠実さとは、私利私欲を交えず、嘘偽りなく人や物事に対することです。
欲のない人はいないと思います。しかし、自分の利益や、自分の欲求だけを満たすことを考えて行動すれば、誰も相手にしてくれなくなることは間違いありません。利他の意識は誠意の発露であることを忘れず行動したいものです。
なお、思いやりと誠実は共存するので、思いやりがあれば誠実さは成立すると考えます。
次に情熱です。情熱はあることに気持ちが燃え立つことをいいます。
人はいつも何かに燃えていることが必要です。それは思いや信念から生まれるもの。
お正月を80数回しか迎えることができない短い人生を有意義に生きるため、自分は何のために生きているのかを常に反芻し、何かに情熱をもって生きる生き物だと考えているのです。
もちろん、人の気持ちには浮き沈みがあり、いつも情熱を持ち続けることは難しいかもしれません。
しかし、気持ちが弱ったときでも、心のどこかに情熱のかけらを潜ませておき、いつもその光を頼りに生きる。機会を得て情熱を燃え滾らせることができれば、幸せなのだと思います。
コンプライアンスは文字通り法令順守をいいます。
法令のなかには法律だけではなく、常識を持ち合わせていることも自明の理です。常識とは、社会人が共通に身に着けている一般的な知識や判断力です。
法令順守意識や常識のない人は間違いなく問題を起こすし、他者から認めてもらえません。人は人間として、教養を身に着け、決まった社会的ルールのなかで生きることで、すがすがしい自由を得られると考えているのです。
合目的的に生きる、とは目的に合わせて生きることをいいます。
人は前述したように何かに情熱を注ぎ、目的をもって生きることで始めて自分を活かすことができます。情熱もなく目的もなく生きることほど寂しいことはありません。
自分にはどのような使命があるのかを自分で決め目的化し、その達成のために情熱をもって行動するなかで、満足や達成感を得て思い通りに生きることができるのです。
さて、次に「誰かの役に立てるようになる」ことについて説明します。
誰かの役に立てる、とは他者の役に立つこと。
自分の情熱による合目的的な行動により達成感を得て思い通りに生きるという前提に、他者の役に立つというキーワードがあるのです。
仕事であれば、どのような仕事も社会のサプライチェーンのなかに組み込まれており、他者の役に立っていない仕事はありません。
また、仕事に就いていないとしても、その人の過去や存在自体が他者の喜びになっていることがあります。就業していることが他者の役に立つことの条件ではありません。
重要なことは、誰か他者のために生きようという意識をもって、そうなるように行動することです。
ここで他者とは、家族であり、従業員であり、仲間であり、取引先であり、見ず知らずの誰かであったりします。
他者のために生きる、という思いがあれは、その思いにより勇気をもって生きられるし、間違いがあったときに自分の行動を見直し、課題を発見し、修正することができるのだと思っています。
そして、(役に立てる)「ようになる」ということも重要です。「ようになる」という目標に向かい、今はもしかしたらそう生きていないかもしれないけれど、必ずそうなろうと取り組む姿勢を表しています。
人は、境遇とか環境により形成された属性だけではなく、もともと業(ごう)(=理性によって制御できない心の働き)をもって生まれると信じています。それはその人の性格や姿勢や態度、行ないに発現するものです。
だからこそ、人はいつもできるだけ冷静になり、自分を客観視し、現状を分析したうえで、上記のように生きるにはどのようにしていけばよいのかを悩み、仮説を立て闘いながら生きるものだと考えています。
最期の最期まで自分を鼓舞し、克己し、理想に近づけるように努力し続けることが必要です。
いつでも、「現状は完成形にはない」と意識するのが適当です。(役に立てる)ようになることを目標として日々精進しなければならなないと考えています。
こうしてみると「人として自分を成長させる取り組み」を行うことはとても大変なことが分ります。
ややもすれば、先の見えない不安のなかで自分を見失いがちないま、果たして自分は何者なのかを凝視し、日々学び日々修正しながら生きることは、とても難しいからです。
しかし、コロナが猛威を振るい身動きがとりづらい環境だからこそ、未来に差し込む光を見出し、今のうちに「人として自分を成長させる取り組み」を行い、来るべき時に備えることが必要です。
ジェームス・アレンは、彼の著書「原因と結果の法則」で、現在の自分からなりたい自分になる(果実)ためには、思いと行動(種)が重要と説明しています。
自分はこうなりたいというヴィジョンをもち、そこに近づくように一つでもいい、今日はこんなことがあり、こんなことを思い直した、修正できた、という成果を積み重ねながら生きていきたいものですね。