よい病院、よくない病院の見分け方[石井友二]

マネジメントの巧拙が、病院の良し悪しを決めます。多くの病院コンサルティングの成果をお伝えし、自院の運営に役立たせていただくことを目指します。職員がやりがいをもって働ける環境づくりも、もう一つの目的です

ミャンマー・ヤンゴンの病院視察

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  利益がなければ医療の継続は行えません。どのように優れていると自負したとしても、利益が出ない医療は継続できないのです。

 

自治体病院であれば税金でその損失を補てんすることができると考えているでしょう。しかし、それは地方財政の疲弊とともに儚い夢と消えることが夕張や銚子の事例で明白です。

 

この二つの事例は特殊ではなく、他の自治体でも人口減少による経済破綻が医療機関の存続を危うくしているのは周知の事実です。いわんや民間病院においては、適正利益の出ない病院が残り続けることができるわけはありません。


優れた医療は医療そのものだけではなく、マネジメントをも含んだ定義です。明確なヴィジョンをかかげ、職員をモチベートし、地域住民や地域医療機関や介護事業者を巻き込んだ活動ができている医療機関は、これからの地域を支え、患者や利用者から評価される証として利益を得て存続するし、そうではない組織は存続できなくなることは明らかです。


マネジメントを侮ってはなりません。優れたリーダーがいる病院はロジックが分からなくても自然に人が惹きつけられ、組織がうまく回転し成果を挙げることができます。

 

しかし、そのリーダーが組織からいなくなったらどうでしょう。あの院長のときには、あの部長のときにはうまくいっていたのに、ということでは優れた医療を継続することはできません。マネジメントシステムの重要性がここにあります。大きな組織でなければマネジメントの仕組みを導入できないと考えているリーダーがいれば、それは間違いです。

 

人はどうしても楽なほうに流れる傾向があります。なので、内面から湧き上がる能動性が喚起されるマネジメントが行われる必要があります。あるべき医療を議論し、そのなかで最も合理的で多くの人が納得できるマネジメントシステムを導入しなければなりません。


それらは表面的には簡単なようにみえて、背景にはしっかりした哲学がなければなりません。形式ではなく実質を求めたマネジメントシステム構築への取り組みが望まれています。

 

何年か前、もちろんコロナやクーデターの前に、ミャンマーの病院視察に行きました。ミャンマーはながく軍事政権が続き、経済制裁を受けている間に中国と韓国の企業がミャンマーに深く入り込み勢力を伸ばしていました。

 

日本との間には直行便があり行き来はそれなりにありますし多くの外国人実習生や特定技能人材が日本で働いていることは有名です。しかしミャンマーへの企業進出にはどうしても制約があり、日本人会によれば会員の日本企業は約100社、個人は700人程度と少ない感じです。

 

街は新しいところと、そうではないところが混在しているイメージでした。富裕層向けも含め6病院を視察しましたが、皆それぞれ特徴をもち、とても賑わっている病院だった印象があります。

 

当時は外国の病院はミャンマーで展開できないため、富裕層は国境を越えてタイの病院に治療に行くと聞きました。タイのサムティベイト病院を視察したときに、日本人マネージャーのMさんからミャンマーの富裕層(官僚)が最も高い入院費を払うと聞いたことを思いだしました。

 

写真はヤンゴンのパラミ病院です。巨大かつ著名なタイのバンコク病院グループ、前述のサムティベイト病院と連携をし、欧米で学んだマネジメントボードによりマネジメントを行なっています。

 

彼らの支援を受けて運営されるヤンゴンのいくつかの病院にも128列のCTや3テスラのMRIがありましたが、この病院にもMRI棟がありました。設備投資だけではなく、コンプライアンスもしっかりと管理されていて、ある意味平均的な日本の病院よりも優れていたのではないかという印象です。

 

日本の病院も、業態や規模の大小に関わらす、益々厳しくなる少子高齢化のなかで、しっかりしたマネジメントシステムを整備し、マネジメントスキルを身に付け、コロナ禍の後間違いなく到来する大きな日本経済劣化や医療環境悪化の波に飲み込まれない体質づくりを怠らないようにしなければならないと考えています。