休日でしたが、あれこれあり、夕方近くに帰宅しました。
ふと思いたち、自宅のそばにある境内に来ました。空気が爽やかに澄んでいて、深呼吸をすると肺胞の隅々まで生き返るようです。
ふと思いたち、自宅のそばにある境内に来ました。空気が爽やかに澄んでいて、深呼吸をすると肺胞の隅々まで生き返るようです。
砂利道をザクザク音を立てて十数歩歩き、誰もいない小さなベンチにそっと腰を下ろし、両手をヘリに置きます。
喧騒から離れ、こうして自然のなかに身を置き、春の緑や鳥たちの囀ずりに触れていると、心からの安らぎを感じます。なんて気持ちがいいんだろう。
見渡すと空が隠れるほどの木々に覆われています。下に目をやると、やがて夜になれば消える運命の木漏れ日がオレンジ色に地面を染めています。
目を凝らして見ると、空気のながれにサワサワとかすかな音を立てて、生き物のように木漏れ日が揺れていました。
木漏れ日は曇りの日には消え、晴れには明るく揺れるもの。時々に形を変え同じ姿を続けることはありません。
それは、まるで人生のよう。人の一生は環境にも大きく影響を受けて左右され、自分では抗えないこともあるからです。しかし、人には天候や自然を越えて自ら行動できる力もあります。自ら環境を変えることもできますよね。
そうはいっても振返れば人生も瞬く間に過ぎてしまう宇宙の営みからすれば、一生は儚いものであることは間違いありません。
ただ、人生はうたかただからこそ、誰にとっても大切にしなければならないものです。今からどんなことができるのか分かりませんが、この世に生を受けた限り、日々を充実して、思いをもって満足できる行き方を選択する必要があります。
木々の間を通りすぎ、木漏れ日を前にほんの少しひやりとする風にふかれながら、そんなことを考えていました。リフレッシュするために、時には自分の身を置く場を変え、あれこれ考えることも無駄ではないと分かります。
これから、現実の世界に戻ります。