よい病院、よくない病院の見分け方[石井友二]

マネジメントの巧拙が、病院の良し悪しを決めます。多くの病院コンサルティングの成果をお伝えし、自院の運営に役立たせていただくことを目指します。職員がやりがいをもって働ける環境づくりも、もう一つの目的です

連休の朝に思うこと

 今日から私の連休が始まりました。

 監査法人にいたころは、監査日程が直前まで入り、場合によっては連休中も監査が入り、期末監査をしていました。この時期が超仕事の季節になるのです。

 で、銀行に入ってからは行楽地にある銀行の寮で何日か過ごすといった生活をしていた記憶があります。

 それから自分で仕事をするようになり、連休という概念はなくなりました。

 今年の連休もいくつかの課題をもって過ごすことになります。クライアントの病院の資料作成と顧問先(病院はクライアント、一般の企業は顧問と気持ちのなかで名称を区分しています)の監査法人への意見形成のための意見づくり、そして出版準備、資料整理、母親のところに訪問、といったところです。

 患者さんや医師、病院のスタッフのことを考えると、とても日常から離れて気を抜くことはできません。医療に従事している方々は連休という言葉は形式的なものであり、どこかで連休という言葉によって心を和ませることはあっても、実質的に連休を享受する人はいないでしょう。

 月曜から金曜日まで当直(あとは別の医師に任せてご家族のもとに帰ります)、というか診療所に住んでいるN先生のことを思い出しました。八畳の院長室の横のカーテンの裏には二段ベッドがあって、その下には家財道具がつまっています。

 机には仏教の本(先生は仏教史観の研究をしています)や、ロジックツリーの本やノートがあり、日々勉強を欠かしません。

 16床のベッドと50床の透析ベッドの番人として、数十人のスタッフの長として、生活そのものを医療にささげています。いつも明るく積極的で挑戦を欠かさない。常に人生はどう生きるのか、医療はどうあるべきなのか、いまでも考え続けている先生です。

 患者さんの間ではN教の教祖といわれています。一時期は週刊誌やテレビにもよくでていましたし、本もたくさん書いている先生ですが、今は静かに、そして着実に人生を探求している…。

 Y先生、O先生、H先生、U先生、T先生…。とりわけY先生は、ご自身も病気を持ち、自分も手術を繰り返しながら体に鞭を打って医療に身をささげています。お子さんも独立し、おひとりで生活しているので、家にいるのか、病院にいるのかわからないほどの生活をし「患者さんが気になって」と笑顔で往復(車で10分の距離)しているし…。他の先生も生活すべてを医療に置く生活をしているのです。

 世の中にたくさん、こうした連休に無関係な医師やスタッフがいることを思い出すと、やっぱり連休は言葉だけで心のやすらぎを感じつつ、弛緩することはできないという思いがあります。

 N先生は今日も病棟の患者さんや透析の患者さんにいつもの笑顔で接し、大きな声で語り続けているのですから。

 でも、少し嬉しい、いつもよりちょっと気持ちが豊かな連休が始まります…。