よい病院、よくない病院の見分け方[石井友二]

マネジメントの巧拙が、病院の良し悪しを決めます。多くの病院コンサルティングの成果をお伝えし、自院の運営に役立たせていただくことを目指します。職員がやりがいをもって働ける環境づくりも、もう一つの目的です

日本の桜を見ずして、土方歳三は北の地に散っていった

イメージ 1

イメージ 2

 東京に住んでいると花見の季節は4月です。というか、私はいままで花見というものをあまり経験したことがありません。銀行にいたときに一度したような、しないような記憶があります。花をめでることはとても好きですが、その下でお酒をのみつつ大騒ぎするという機会がなかったというところです。

 できればそうしたイベントに参加したいと思い続けていますが、なかなかチャンスはありません。

 今日出張先で、「公園の桜がきれいなので一緒に行きましょう」と、お昼休みに事務長に誘っていただきました。普段は次長と会議室でお弁当をいただくのですが、本日は外にでてみましょうということになったのです。

 本当はバーベキューを事務部主催で行い、私もおじゃましご相伴にあずかるということだったそうですが、あいにくの雨と寒さで断念したとのこと。それでも桜がきれいなので、いかがでしょうというありがたいお言葉をいただきました。

 人もまばらの公園は、たくさんの桜の花で埋め尽くされていました。北国の春はこれからなんだ、と日本の広さをあらためて認識し、日本人はながい時間春を楽しむことができるのだなあとうれしくなりました。

 いずれにしても傘をさしての散策で、たぶん10度に満たない気温のなかを、短い時間ではありましたが、堪能することができました。

 折しも若くして逝った土方歳三を称えた五稜郭祭りが行われる前であり、なんとなく空気が弾んでいる公園の生気を肌で感じた時間でもありました。土方が馬上で腹を打たれて絶命した旧暦の5月11日は、今のでは4月だったのかなぁと思い、土方はこの心に沁みる桜を見ることなく散って行ったのかと、胸が痛くなりました。

 改めて新撰組副長として池田屋事件で名を馳せ、戊辰戦争で敗北した経験を自らの行動の糧として、旧幕府軍と蝦夷、箱館(函館)に来た歳三が、日本の未来をこの地に求め、そして懸命に闘い、たった35歳で散って行ったことを思うと、いてもたってもいられないという気持ちにもなります。

 その後病院に戻り、多数の管理職に集まっていただき、事務長の挨拶をかわきりに大会議室で目標管理の勉強会を開催しました。
 
 上司がどう振る舞い、部下を鼓舞していくのか、システマチカルに説明をさせていただきましたが、気持ちが高揚していたのが土方歳三のせいであることは、私しか知らないのでした…。
 
 事務長に感謝の一日でした。