よい病院、よくない病院の見分け方[石井友二]

マネジメントの巧拙が、病院の良し悪しを決めます。多くの病院コンサルティングの成果をお伝えし、自院の運営に役立たせていただくことを目指します。職員がやりがいをもって働ける環境づくりも、もう一つの目的です

空からみる自分の存在

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人生が残り少なくなってくるとどうしても自分の生き方や過去を反芻する機会が増えます。わき目もふらず自分の力を過信し結果として自分のことだけを考え前に進んでいたことがあったことを思いだします。

 

飛行機で移動ができない可能性が高くなってしまったいま、この記事に書いたことをもっと早く行動の基軸に据えた生き方ができていればと後悔しています。

 

「人は、この世に生を受け、しばらくすると自我が芽生え、学生のうちは自分の意思をもちつつ一定のながれにのり、社会人になるときからほぼ完全に自分の意思で生きていくようになります。

 

なので、自分が一人の人間として意識や思いを持ち活動するとき、どうしても自分を中心に置いてしまうのはいた仕方ないことです。

 

しかし、人は他者からの影響や支援を受けず一人では生きていけません。社会のなかで、基本的に自分が与える影響は軽微であり小さいことに気付かなければなりません。

 

たとえ、巨大な組織や国政の長であったとしても、日々の国民の生活のなかで、例外はあるものの個人のできることは限られています。

 

役割や権限により彼らを支える組織や機能が有効に機能して、その意思を反映した活動を実行するのは、他の多くの人々であり、組織力や政治力において彼らを含む総体の役割が行使されて、初めて成果が得られるのだと思います。

 

強い権限や組織力がなければなおさらです。短い人生、他人の業績を気にする必要もないし、社会に与える影響も軽微と考えれば、大事なのは「自分が充実した人生を生きられたかどうか」なのだと分かります。

 

自分が〇〇をする、という強い思いをもち、自らを鼓舞しながら達成感を得る人生を積み重ねることは、例えどのような生まれ方をしたとしても大切なことだと思います。

 

そのうえで、自分一人だけでは生きられないことを知り、利他の思いをもち行動するとともに、自分の思いを伝えつつ、多くの人々に支えられて、自分は生かされている、と考え行動する必要があります。

 

飛行機に乗り景色に触れると、いかに自分が小さな存在なのかが理解できます。芥子粒のような自分は、何をするために生かされているのか、何を役割として負うことができるのかと改めて考えるのです。

 

享楽的に生きるのも人生でしょう。利己的に生きてしまうのも人間の性であり、その人の価値観かもしれません。

 

しかし、自分は何等かの役割をもち生かされているとしたら、社会における自分が提供できる価値や機能について考えざるを得ません。

 

後悔をしないために、自分が与えられた意識をもって心に決めた、やらなければならないことを人の助けを得ながらやり続けること、また他人を支援し彼等のやりたいことの支援を行うこと。微々たるものかもしれないけれど、自分にも他人にとっても自分のやるべきことを軸として生きていくことが人生なのではないかと思うのです。

 

ここで、「生かされている」ことについてです。

 

経験や知識や他者からの影響など、さまざまな要素により、自分がやりたい、やろうと決めたことは自然に自分の心に芽生えたように思えますが、実は生まれたときから、既にそう思うように仕組まれていたものではないかと感じることがあります。

 

決して自分に枠をはめるつもりはありませんが、宇宙があることも、銀河系があることも、地球が浮いていることも、人間が存在することも、すべて人知の及ぶところではなく、自分がなぜここにいるのかもわからない今、「生かされている」というのはそうしたことではないかと考えているのです。

 

その考えが正しいかどうかは神のみぞ知る、ということなのでしょうが、今回は、自分や自分の存在を問い直す機会をもてました。

 

地上に降りた後、ホテルで自分がどうあるべきか、熟考してみることにしようと思います」。