よい病院、よくない病院の見分け方[石井友二]

マネジメントの巧拙が、病院の良し悪しを決めます。多くの病院コンサルティングの成果をお伝えし、自院の運営に役立たせていただくことを目指します。職員がやりがいをもって働ける環境づくりも、もう一つの目的です

生命の連携による地域医療の創造

 人生は短いと納得している人は、そうはいないと思う。  
 
 しかし、終焉が近づいて来ればみなそうした実感をもつだろう。意識の問題である。人はどう生きても結局は土に帰る。

 そのときどきを享楽的に生きるのもよし、自分が思うことにかけるのもよし、利己的に生きて恥ずかしくもなく、またさみしくもなければそう生きればよい。それは自分が選択できる唯一のことだからである。

 どのような意思をもち行動するのかは、すべて自分の自由であり、責任である。誰も最終的には干渉できないし、阻止することもできない。

 自分の生き方は自分で決めるのだと思う。

 何のために、生きるのかがとても大切だ。

 70年から80年、365日を何十回か繰り返すことがせいぜいの人間である。数百億円稼いでも、自分ですべて消費できない。消費できたとしても、それは正常な生活を逸脱してでしか達成できないものである。

 瀟洒な家に住み、高級なワインを空け、豪華な食事をしつづけても、愛されず、受け入れられず、そして本当の自分の力を最後まで使いきらずに、それらの確保を目的として生活するとすれば、正常な刺激とは無縁の世界のなかで時間を浪費するだけだろう。

 自分が目的をもち本来の生き方をした帰結としての財産であり、微動だにしない信念と確信をもち、決めた生き方を全うするのであれば、それは真の褒章として自らに受け入れられる。財産そものが悪なのではないことは明らかだからだ。

 それは彼らの人生には何の影響も与えない。彼らは先をみて、さらに自らを高めるために闘い続けることになる。

 そして、最高の喜びとして魂の歓喜を得る。

 これ以上はもうできないというまで燃焼し続け、相互に尊敬し合い、お互いを極限まで思えることができる仲間がいることのほうが、どれだけ心は喜ぶだろう。

 人間のさまざまなものを削ぎ落としていったときに残るものは、自分を宇宙のなかで感じ、つくりだした心の豊かさと満足、そして愛しかないのではないかと思う。

 願わくば多くの人々が相互に愛し合い、気遣い、そしてしかし共通の大きな何かに向かい闘い続けていることが美しい。悪よりも善、利己よりも利他、憎しみより慈悲、苦しみより喜び、疲弊より適度な心地よい疲労…。成し遂げつつあるもに立向う魂の喜びがあれば、他のは明らかに付属物であり、脇役である。

 さて、患者を軸に医療従事者が真剣に考えなければならないことの一つに医療連携がある。

 多くの病院でベッドが空いているから入院をし続けてもらう。病床稼働率が下がるより、ましである。組織としての目標利益はいくら必要だから、こうした利益がでる治療を行うことが必要といった、どこかに利己的な匂いがある医療をしていなのか。

 もちろん地域医療を維持するために利益は不可欠である。ただ、一方で「患者の評価の証しが医療である」という着眼を持ち続け、行動することができないのであれば、利益が主役に躍り出てしまう。

 病院は地域に与えられた公共施設である。
 たとえ民間であったとしても、地域においてどのような医療を必要とされているのか、どのような医療をするのか、どのように医療を維持拡大すればよいのかを、普遍的な立場から考えなければ、本当の地域医療を守ることはできないのではないか。

 医療制度にどう適合するのかを考えることは、確かに必要である。しかし、それ以前に医療を地域でどう守るかといった思想がなければ、本当の医療に近づくことはできない。

 地域連携はそんななかから生まれてくる、医療の必然的なありかたを提示する地域医療の一環として認識されなければならない。

 地域のプレイヤーそれぞれが自らの役割を正しく把握し、どのような機能をどれだけの規模で果たしていけばよいのかを地域で熟考し、そして地域全体で連携のフォーマットをつくりあげていく。

 精緻なかたちはできないかもしれない。しかし、少なくともそれぞれが同じ意志をもち、動き始めれば、必ずいつかはあるべきかたちに収斂する。それが地域の土俗性であり、地域を守る人たちの総意であれば、それはかならずそうなるものだ。

 本当の地域連携を考えている良心をもった医療従事者が、数多く出現するよう期待している。私たちは何をそのなかで与えられているのか。どのような役割をもって地に降りてきたのかについて真剣に考えなければならない時期がきた。

 ここでいう私たちはもちろん自分の生死について真剣に考え始めている私たちである。本当の自分をいま仲間とともに取り戻す必要があるのではないか。

 すべての人が誰かのために生き、そして意味をもって死んでいく世界が人間の世界であるとすれば、医療における地域連携もそうした発露を以て展開されることになるだろう。それはとても価値のある、意味のある人生をつくりだす世界であると、私は思う。