奈良の病院に訪問したあと、今新幹線で、京都から東京に向かっています。
外は雪がふぶいています。新幹線の車窓にながれる白い粉は、地球を覆いつくす勢いで通りすぎていきます。人家も山も木々もみな自分の色を失い、おとなしくしています。
雪をみると光の反射でまぶしいだけではなく、とても敬虔な気持になるのはなぜでしょう。
白は静寂であり、純粋であり、無垢であり、そして0であるからでしょうか。
人間は0からはじまり0に終わります。
最後は0になると考えると自分のために何かをすることの虚しさが判るときがあります。
脳外科医の福島先生の本をよんで、とても感動しました。心底使命に従い、他者のために生きていくことの素晴らしさを感じることができるからです。
気取ることなく、飾ることなく、そして淡々として自らを語ることができる力をもった人にあこがれます。
自分の矮小な気持を反省します。しかし、そこから抜け出せない自分もいて、さらに落ち込んだりします。
私はよく、自分が原点に戻ろうとするとき、心を透明にする、というフレーズを思い浮かべます。そして無心になって考えようと心がけます。
ただ、自分が思う自分と今の自分にはいつも乖離があることを感じます。
やはり透明になることはとても難しいのだと思い直し、しかし、少なくとも白色に近づきたい…と今雪をみながら考えています。
雪が止み、いつからか青空からの暖かい光が、あたり一面を照らしているのが窓から見えました。
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