設計を担当したのは洋式軍学者の武田斐三郎。大砲による戦闘が一般化した後のヨーロッパにおける稜堡式の築城様式を採用し、堡を星型に配置している。
総面積、74,990坪(約247,466m²)、施工は土工事を松川弁之助、石垣工事は井上喜三郎、奉行所の建築には中川源蔵が請け負った(ウィキペディア)。
夜、以前に書いた市民野外劇が終了したのち、ひとりでお堀に沿って歩いてみました。
先ほどまでの喧騒がうそのようにあたりは静まりかえり、ときおり遠くのほうで、野外劇が終わった後の余韻にひたる参加者達や知り合いであったであろう観客が、数分前に終わった劇を称える「わーっ」という歓声が、そよ風に運ばれてくる以外は、辺りを静寂がつつんでいました。
漆黒の闇というわけではなく、五稜郭タワーがまるで港にある灯台のように、岐路につくまばらにあるく観客の道しるべになっていて、まるで北斗星に出会ったような不思議な気持ちになるのでした。
五稜郭はまさに星のかたちをしていて、その星が夜空に浮き出て暗闇を照らしているのでした。
野外劇が終わったら五稜郭の下で待ち合わせ、と約束をして事務長が舞台から帰ってくるまで、少し時間があったため、あえて遠回りして五稜郭まで歩いていくことにしたのです。
五稜郭がお堀に移る姿は、まるで「見返り美人」のような出で立ちであり、夜空をキャンバスに見立てて抱えれた浮世絵のような世界がそこにありました。
しばし、私はその美しさに足をとめ、見入っていたほどです。
さらに、しばらく歩くと、廻り道をしたわりに、とても近くに大きくタワーをとらえることができ、少し驚きました。さらに真下に到着し、上を見上げると本当に星がきらきらと輝いていて、まるで自分のこをを照らしてくれているようでした。
函館の歴史を再度知り、自分の生き方を修正しようと考えながら歩いていた自分にとって、その輝きはあたかもその思いに反応し、さらに輝きを増したようにみえました。
それは自分の新しい歴史づくりがはじまった瞬間でした…。