よい病院、よくない病院の見分け方[石井友二]

マネジメントの巧拙が、病院の良し悪しを決めます。多くの病院コンサルティングの成果をお伝えし、自院の運営に役立たせていただくことを目指します。職員がやりがいをもって働ける環境づくりも、もう一つの目的です

美しさを感じる心

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 桜は日本人の花であるといわれているせいか、妙に愛着がわく。

 しかし、桜はある意味自己犠牲の花であり、華と散るということばあるように、どちらかというと美しくぱっと散るところに、桜の意味を置いている。

 桜散るというのは試験に落ちたことを表すものであったり、また、戦争での特攻隊が使う表現であったりする。昔雑誌や教科書でみた、丸い感じの特攻機は確か桜花という名前がついていた。

 武士道的な感情を移入して桜をみ出したのはいつごろからなのだろうか。

 考えてみれば桜に責任はない。日本人が勝手にそう意味づけただけなのだから。

 とはいっても、そう教え込まれてきた我々は、きれいだなと思う反面、ついつい背景を思いだす。
桜を純粋に美しいものということだけでは捉えられなくなっているのである。警察が紋章に桜を使うのは
国民のために命を捨てるちうことだということだそうだ。

 桜ほど不幸な花はないのかもしれない。

 しかし、ワシントンの桜のように、日米両国の友好親善のシンボルになっているケースや、花見で、花弁を、体中に浴びながら泥酔する御仁に、そうした非想観はない。

 美しいものは美しい。華やかなものは華やかである、そう思うことが自然である。

 昔銀行員のときに、戦略講座というものを受講したことがある。一日一驚(きょう)、すなわち、毎日何かに感動することで、物事に対する思いやりや気遣いを学べといったことであったと思う。
 桜の美しさに無心で感動し、心を癒す。美しさのなかに浸ることで、精神を開放する。

 美しいものは美しい。美しいものに意味をもたせ、悲壮な思いを重ねてはならない。

 あらゆることに、そのまま感じることができる自分を、つくりあげていかなければならないのである。

 東京八重洲を通りかかったとき、ふとみると、散りかけてはいたが美しい桜がまだ頑張っていた。
やはり、美しい。
 
 ほんの数秒足を止めて、桜と自分を一つにすることができたと思う。