よい病院、よくない病院の見分け方[石井友二]

マネジメントの巧拙が、病院の良し悪しを決めます。多くの病院コンサルティングの成果をお伝えし、自院の運営に役立たせていただくことを目指します。職員がやりがいをもって働ける環境づくりも、もう一つの目的です

達成感を求め前に進む

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決めた何かを成し遂げ達成感を得た時が最も幸せだと私は考えています。達成感をどれだけ得られるのかにより成長の度合いも決まります。

 

慌ただしく過ごしていると、ときに混沌とした毎日を乗越えたことだけに小さく納得し、残るものが少ない日々の気怠さに身を任せていることに気付きます。「こんな時代だから」を免罪符として、やるべきことをやらず懈怠に魂を売り渡した人生から抜け出さなければなりません。

 

明確な目標(実現、達成をめざす水準・行動の目印)が重要な理由です。

 

目標には自分で決めた目標と、他者から与えられた目標があります。

 

社会人であれば、他律的な目標は、一定の期間に達成すべき組織目標や、日々の仕事において発生するすぐにやらなければならない目標等、毎日のように決められます。

 

もちろん、仕事の中で上司から指示があり決まる目標だけではなく、仕事の中で自分がやらければならない又はこれをやりたいと能動的に決める自律目標もあります。

 

なので、目標は、

  1.他律的目標

   a付与目標

   b準自律目標

  2.自律目標

に区分できます。

 1-bから2.が生まれることもあります。

 

他律的に決まった目標でも達成すれば満足をできるものもあります。しかし、やはり自分が強い思いを持ち絶対にこれをやろうと自分で決めた事を成し遂げた時の達成感はひとしおです。

 

ということで、何かを成し遂げて達成感を得るためには目標が必要です。ここでは自律的に目標を決めるケースで話をします。

 

まず、自律的な目標があるのかないのかを振り返ります。なければ何をするのかを決めなければなりません。

 

自分は何をしたいのかについて、徹底的に思考し、目標を立てます。こうなりたい、これをやりたい、これをやらなければならない、ということです。ランダムに書き出してみるといいですね。

 

すぐできることや優先順位を考えて順番を決めると、自分の思いを整理できて、新たな発見があるかもしれません。

 

なお、実は自分には目標があるにも関わらず、前に進んでいないと考える人もここでのプロセスを実行し、なぜできていないのかを確認してみると良いと思います。

 

やりたいことが整理できたら、次に現状はどうであるのか、を分析します。目標は決まったが、その目標と現状すなわち決めたことが何とかできるのかどうか、にはどれくらいのギャップがあるのかを測定します。

 

いくつかの項目に分けて考えるとよいでしょう。例えば、能力、情報、時間、環境、金銭等々考えてみると、各項目について、どのようなギャップがあるのか判ります。

 

なお、大事なことですが、現状を踏まえたうえで、こんなことはできないと心のなかで制限をしてはいけません。

 

心を解き放ち、思いのままに何をしなければならないのか書き出し、それを読みながら、その考えは正しいのか、他にもっとよい考えはないのか、絶対的に追及すべき、自分の思いなのかについて振り返りし、考えを煮詰めていきます。

 

能力がないという答えはもう少し落とし込みどのような知識がないのか、考え方ができないのか、姿勢ができていないのか、それはどうすれば得ることができるのか。

 

また、情報や時間がないのであればどのように情報を入手したり、時間をつくればよいのか、環境が悪いのであれば、どのように環境を変えるのか、誰に助けてもらうのか、手伝ってもらうのか、整理してみるのです。そして目標に取り組むために金銭が不足するのであれば、どうするか考えます。

 

これが解決策です。それぞれの項目は、他の項目が影響を受けるので、絶対的にお金が必要であれば、それを得るまで他の項目をどのように並行して進めていけるのかといったように活用していきます。

 

やりたいことをするためにお金がないが、それを稼ぐまでの時間はどのくらいかかるのか、並行して知識を身につけられるのか、誰かに支援してもらえる環境をつくれるのか、といった具合です。

 

サポートしてくれる誰かがいる事で、サポートがない時と比べて目標達成が数段容易になることもあります。日常から支援してもらえる自分作りや、利他の活動が大切なことが分かります。

 

解決策ができたら、その達成のためのスケジュールを決めます。

 

スケジュールは、何を、いつまでに、どのように、いくらで実行するのかということですのね。とりわけ何のためにいつまでには大事ですね。大義のない哲学のない目標は何処かで見透かされ上手くことが進まないからです。

 

このようにして計画を立てPDCAを回します。Pをつくるためには、説明した取り組みを行うことが大切であり、やりたい事を目標化(ショートカット)するのでは的確な行動が生まれないと理解しましょう。

 

目標設定(Attainment)、現状(Stait)、ギャップ確認(Comfirmation)、解決策(Solution)、(このプロセスをASCS[アスクス]といいています)を検討し、そのうえで、目標設定、実行、チェック、修正というながれをつくります。

 

もちろん、修正から解決目標設定そして実行、チェック、修正と目標を達成するまでPDCAサイクルを廻すことはいうまでもありません。

 

当たり前の考え方ではありますが、日々の生活や趣味、そして仕事、すべてに通じるロジックですから、ASCSとPDCAを覚えれば使い勝手がよいと思います。

 

決めた目標に立ち向かい、満足しながら目標達成ができた時の喜びは最高です。混沌としたコロナ禍の時代(ニューノーマルの時代)において多くのの制約はありますが、日々精進し、出来るだけ多くの達成感を得られるよう頑張っていきたいものですね。

 

 

大好きなカフェとレストラン

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香港にはリパスルペイという場所があります。九龍と向き合う香港島の裏側です。定宿のある尖沙咀(チムサーチョイ)からMTRで行くか、少し歩き船乗り場からフェリーを使い中環(セントラル)へ。

 

そこからタクシーで20分程度走るか、交易廣場三期 (Three Exchange Square)というビルの一階にあるバス発着所のNO6か、NO6Xの2階建バスに乗り、細いくねくね道を木の枝に当たりながら勢いよく疾走し、たどり着く場所にあります。

 

20年以上前に香港の友人に連れて行ってもらってから、香港に行く度に数えきれないほど訪問している大好きな場所です。

ここ迄の道は、いわゆる富裕層の高級住宅が立ち並ぶエリアですが、リゾートのような雰囲気があり海岸にはたくさんのヨットやクルーザーが係留されています。高層マンションのガーデンは住居になっていて、下にある元ホテルにはカフェ(写真上)があります。

カフェは12時からオープンしますが、店内ではなくパラソルの元での食事は太平洋の風を添えものとて、とてもおいしくいただくことができます。観光客はここのカフェでお茶を飲むツアーが組まれていないことから、あまり知らないかもしれません。

しかし、ここで吹かれる太平洋からの風があることで香港のすばらしさがさらに追加されます。

休日に、カフェの裏の中庭にあるパシフィックカフェカンパニーの店内外でコーヒーを飲みながらガーデンに住む奥さん達がテニスウェアで談笑する姿や、子供を連れたメイドさんが静かに本を読んだり、グループに入らない奥さんが子供を遊ばせているのはとてもほのぼのしています。現地の日常生活を垣間見ながら友人と未来を語るのが大好きでした。

ガーデンの住人はほとんどが金融関係の白人の家族であり、稀に日本人や中国人の実業家や弁護士が生活をしています。

ここは本当に香港にありながらも別世界の色合いが強く、喧騒なざわついた香港にいるということをすっかり忘れることができます。

コロナが終息し香港に行けるようになったときには一番始めに行きたいところのひとつを紹介しました。

 

なお、日本人の集まる会合で最も大きな八日会が開催されることで有名ですが、東尖沙咀の海岸近くにあるロイヤルガーデンホテルのサバティーニ(写真下)のそれほど高くないランチも涎(よだれ)ものです。夜は高級すぎて行けませんが昼で十分です。

 

とりわけ食べ放題の生ハムとチョイス出来るデザートのケーキは逸品です。ただ食事をしていると同じく昼の会食で来店するスーツ姿のビジネスマンが多く、早く日本に帰って仕事をしたいという気持ちになってしまうので、ここで食事をするのも善し悪しかもしれません。

 

2019年10月に訪問したのを最後に、コロナで香港に行けない今、この2つの大好きな場所を思い出します。本当に早くコロナが終息するとよいですね。

組織活力の源泉は、満足を求め覚醒した個人である

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人生は、ながいようで意外と短いと思います。最期のときにならないと気が付かないことだとは思いますが、若いときには感じられなかったことが、年齢を重ねることで、より実感をもってそう思うようになりました。

 

今日より明日、明日より来月、来年となれば、その感覚はより鮮明になってくるのだと容易に想像できます。

 

人生をどのように過ごすのかは個人の自由ですし、価値観に依存します。人生のプロセスにおいてさまざまな出来事があり、環境が変わり、他からの影響を受け、そのつど価値観は変化するし、行動も変化するのだと思います。

 

諦めたり、頑張ったり、挫折したり、成功したり、また失敗したり這い登ってきたりという、繰り返しのなかで、思いを変え、価値観を変え、何をして、どのように生きるのかをその都度決めながら人は時間を紡いでいきます。

 

仕事においても社会にでてからずっと同じ仕事をする人もいるし、違う仕事をする人もいます。いくつかの仕事を転々としたしながら経験を積み重ね力をつける人もいるし、そうではない人もいます。

 

これもすべて自分が最終的には決めてきたことで、何がよいのか、すごいのか、よくなかったのかどうかも自分でしか判りません。いや自分でもわからない方の方が多いかもしれません。いわんや他人からとやかくいわれることでもありません。

 

なので、大切なことはその都度自分の思いをしっかりともち、信念に変えて人生を生き抜いてきたかどうかということだと思います。

 

その都度、自分は満足できてきたのかどうかという問いに対して、YESといえることが大切だと思います。満足=成功したことであるとと私は考えているからです。

 

もちろん、自己満足だけではなく、小さなことでもいい、何かをやりきったことで何等かの成果を挙げるプロセスや、達成により満足できるし、更に他者からも評価されれば素敵なことだと思います。

 

悔いないよう頑張ったけれどもゴールにたどり着けかった、ということもあるかもしれませんが、プロセスでの満足もあるし、そこに自分の成長が必ずある筈です。頑張って成長できないことはありえないと考えています。

 

何等かの活動を思いをもって、懸命にそして必死に挑戦すれば、信念が強くなり、その事項に対する知識や技術技術は高まります。もちろん、プロセスで多くの人に接することもできるし、教えを乞うことや、学ぶなかで謙虚になれたり、勇気をもらうこと、助けたり助けられたりする経験を積めるのです。

 

自分のやりたいことを設定し、思いを強く、信念を強く、学習を怠らず行動する。信頼される自分をつくりながら、他者と接し影響を受けたり与えたりしながら行動することで間違いなく成長できます。

 

いま、人類が経験したことのない大変な時代を迎えています。全てのリーダーは多くの叡智を糾合し、それぞれの地域で、しっかりと自分を磨き組織を護っていかなければなりません。

 

個人の価値観はさまざまですし、生き方もさまざまです。しかし、誰もが満足し生きるために、人は自己研鑽を続けていくのです。

 

いま取り組んでいることは自分にとって本当に満足できるものかどうか。そうではないかの見極めが必要です。

 

できることは限られているけれども、時間を有効に使えばやれることは無尽蔵にあります。目標を決め、一つ一つクリヤーしながら、成果を挙げていくことを怠らないことが大切、と自らに言い聞かせ、従業員を巻き込んで前に進みましょう。

 

強い思いをもち、限られた人生を懸命に生きていくことができる人が数多く存在する組織は強く、活力のある組織です。組織活力の源泉である個人の情熱を枯渇させないよう、また彼らの行動を阻害することのないようにしなければなりません。

 

多くの従業員が仕事において満足し、実質的な組織活力の源泉となれるよう、リーダーは未来を語り基盤づくりを怠らず、果敢に挑戦していけるとよいですね。

成果を挙げる3つの行動様式

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 エレベーターとエスカレーターを観察すると、二つにはいくつかの違いがあることに気付きます。

 

エレベーターは目的の場所を決め、一気に駆け上がれますが、エスカレーターは環境を眺めながら、どこでも下りたり乗ったりと柔軟に対応できます。

 

速度はエスカレーターのほうが早く優れていますが、環境変化を認識できないという視点からは劣っています。エスカレーターは比較的ゆっくりしていますが、こんな所にこんなものがあったんだと、あれこれ情報を仕入れながら意識を高め、ターゲットを変えるということに長けています。

 

エレベーターでも途中で降りて、目的意外の場所で何かを始めることは可能ですが、外が見えていないだけに、いきあたりばったりという状況を受容れる必要があります。また、エレベーターはエレベーターに多くの客が乗っていると、次のエレベーターが来るまでの時間待たなければならないリスクもあります。

 

エレベーターは客が途中どの階で乗るか降りるのかによっても、自分の降りる時間は影響を受けます。エスカレーターは、ずっと動いており、順番をあまり待つこともなく、他の客に邪魔されることもなく上に上がれます。

 

何度も乗り降りができるということについてもエスカレーターが便利ですね。

 

エスカレーターのほうが、スピードは劣るものの、エレベーターモデルよりもアベレージ的には効用が高いのではないかと考えます。

 

人間の行動様式も、エレベーターなのかエスカレーターなのかに区分できます。

 

経営はスピードであるといわれます。ただ、成功する企業は一足飛びに成功するのではなく、目標を決め、仮説を立てて行動するものの、はじめから全てを見通せるわけではありません。失敗したりうまくいきながら徐々に成功の道を捜し、目標に到達する、ということを考えると、エスカレーターモデルによって行動することがよいのではないかと考えています。

 

目的が明確で間違いがなければエレベーターモデルですね。

 

いったい自分はどちらのモデルなのか、どうあるべきなのかについて考える必要があります。

 

ただ、何をするのか、どのように行うのかにより、どちらを採用するのかを変えて対応することが良いと思います。

 

テーマが明確なときにはエレベーターモデル。方向や目標はきまっているし、やることも決まっているけれど、まだビジネスモデルに不足するところがあるな、というときにはエスカレーターモデルでの対応が有効という結論です。

 

エスカレーターモデルでは、上にいくことは明確だし、到達するフロアーに目的のものがあると分かりつつ、各フロアーの様子をみながらマーケットを予想したり自分のやるべきことへの参考にする。場合によれば目標を変えることもあるという具合です。

 

何かことを起こすときに、「今回は、エレベーターかエスカレーターのどちらを採用するのか」について、イメージしてから何かを始める癖をつけると良いですね。

 

そうそう、自分の足で一歩ずつ前に進む階段モデルもあります。結構力はつくかもしれませんが、なかなか陽の目をみないかもしれませんね。ある程度までは階段モデルでステップアップ、成果があがればエスカレーター、最後は一気にエレベーターで、という行動もあるかもしれません。

 

これらモデルの特性を理解し現状認識した上で、

今はどのモデルを採用するのかを決め、やるべきことをしっかり行い適切に行動して成果を挙げていく必要があります。

人生とは、空気を読み続けること

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「空気を読む」。よく使われる言葉です。

 

これは「その場の雰囲気や状況を察する」こと、「自分が置かれている場の状況を把握することや、場に存在する人の思いを読取り、自分が適切に行動する」という意味です。

 

場や相手、そして自分について客観的に情報を収集整理し、やろうとすることが達成できるよう適切に行動することが「空気を読む」ことですよね。

 

ここでは場、相手、自分が空気を読むの対象となります。

 

とりわけ大事なのは自分です。自分がプレイヤーとして参加していない状況では、空気を読む必要はありません。環境を理解し情報の一つとして把握しておけば足ります。

 

自分が置かれている状況を把握し、適切な行動をとるために行う行為が空気を読むということなんですね。

 

人は一人で生きているのではありません。環境や他者とのやりとりのなかで生活をしています。自分が見えない環境や他者もあるし、目の前の環境も他者もあります。

 

広義においては見えない相手に対する空気を読み、自分が適切な行動をとることも含むと思いますが、一般的に空気を読むときには自分がその場にいることを前提としているのだと理解しています。また、空気=雰囲気といわれることがありますが表面的です。ここで説明する対象を指すと考えています。

 

なお、葬儀に喪服を着る、会議では他人を尊重し自分の意見を述べる、感情的にならない、和を乱さない、など、空気を読む、という定義に常識的に行動する、ルールを守る、皆と一緒に行動する、といった意味を含める人もいます。

 

常識的に行動できない人は、「常識のない人」であり、空気を読む読まないではないですよね。誰でも判断は同じになります。それまでを空気を読めない人に含めると、本来行うべきことから逸脱しても、空気が読めない人だね、として処理されるだけになり、空気の読めない人の定義が広がりすぎます。

 

以前転職して銀行に勤務していたとき、真夏の暑い日に半そでのシャツを着て出勤してしまったことがあります。当時は銀行で長袖以外はご法度のような雰囲気があり、夏でもスーツ・ネクタイが暗黙のルールでした。昼に外資系の金融機関の方々との会食に呼ばれたとき、皆長袖であり私だけ上着を脱げず恥ずかしい思いをしました。これは常識のない人の部類ですよね。

 

「常識がない人」を「空気を読めない」に含めないことで、「空気を読む」の範囲を明確にして、人が適切な行動をとりやすくできます。

 

空気を読むとは、「自分がある場にいるとき、置かれている状況を把握し、その場で相手に適切な行動をとる」ことと定義したいと思います。

空気を読むためには、対象となるあらゆる状況や背景を分析し行動しなければなりません。

 

  1. 場の意味、状況、そこにいる目的
  2. 他者の真意、
  3. 他者の属性、性格、言葉、表情、そして
  4. 自分の相手からみた印象や能力、言動

をすべて網羅的につかみ、そこで

 

  1. 物事がどのように進むべきか(どうあるべきか)、
  2. 現状はどうか、
  3. 乖離はどのくらいあるか、
  4. 乖離が生まれている要因は何か、
  5. それは修正可能か、
  6. どう行動すればよいか、
  7. 行動しないでもよいか

を判断し対応することが必要です。

 

何か大げさな話になっていますが、それほど難しくはありません。

 

例えば、上司にこうしたほうがよいと思いますと意見具申したときに、上司がその意見を言下に否定したとします。

 

そのことをすべて上司が悪いとするのではなく、上司の置かれていた状況、性格、立場、自分との関係性、意見具申をしたときの場所、自分の意見の内容や適切さ、自分の言い方、意見具申までのプロセスを考え、自分なりに把握、どこに課題があるのかを考える。次にどのようにリカバリーするかを計画し修正。次のチャンスをつくり、計画し、行動する、と言ったプロセスをとります。よくある話しですよね。

 

もうお分かりのように、はじめから結果を想定し、先回りして戦略を練り、ここでは説明できない微妙な駆け引き(やりとり)も含め行動していれば、自分の意見がすんなり通ったかもしれません。

 

空気を読むというのは、「その場の雰囲気や状況を察する」ことであり、場や相手、自分を含め、どう求める、求められる成果を得るのか、ということと同義です。

 

自分の参加する事柄において成果を挙げるため、常に予測し、行動できるか、また突然その場に出くわしたときにも、全体を瞬時に予測、把握し適切に行動できるか、ということだと分かります。

 

「空気を読む」は、お前空気よめねーな、といった軽いトーンで使うだけではなく、人の行動規範のひとつとするものです。

 

人が生きている限り、空気を読むということがいかに重要で、かつ難しいことであるか。しかし、空気を読むことに長けていけば、必ず仕事も社会生活もうまくいくと思います。

 

この言葉「空気を読む」に触れて、常識をもち、相手を知り、相手を思う。また、自分を知り、客観的に理解する。何が正しく、何が正しくないのか、どう行動するのがよいのか、よくないのかを見極める知見と人間力を高めながら、生きていかなければならないと考えています。

 

空気を読み続けることが人生なのかもしれませんね。

支え合い(Support each other=SEO)

 

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誰もいなくなった街で一人で生活するストーリーの映画を観たことがあります。

 

もちろん、映画なので、実際にはどこかに人々は隠れていたり、住んでいたりして、最終的には一人ではなくハッピーエンドで終わるのですが、私も朝早く電車に乗るため駅にくると、誰もいない自分一人だけだという錯覚に陥ることがあります。

 

人はいるけれどもまだ本格的に活動していない。そんな時間帯はまったく人が存在していないのと同じ状態です。この駅のホームに着いたときも、そんな感覚を一瞬だけもちました。


世界が最期を迎えるとき。

たぶん、よほどの飢饉や戦争により地球が人為的に破壊されないかぎり、太陽の崩壊とともに地球の寿命が尽きるのは、ほぼ50億年後です。

 

そのときには、容易に想像出来ますが、驚くべき科学が発達していて人類は別の天体で生き抜いているかとも思うものの、もし急に人がいなくなれば、こんな感じになっているのではないでしょうか。

 

で、訳がわかって誰もいないのと、あるとき気が付いたら自分以外突然誰もいなくなっているのでは随分と状況は異なります。朝起きてみたら急に誰もいなくなったら恐怖以外の何ものでもないですね。

 

実際、発電所に人がいなくなれば電気はしばらくすれば止まりますから、駅が明るいはずもありませんが瞬間に人がいなくなればここで観ている状況なのでしょう。ゾクっとします。

 

すぐに我に帰り、自分は一人ではなく多くの人とともに生きていることのありがたさを知ります。

 

しかし、よく考えてみると、いま多くの人々に支えられて生きてはいるものの、結局は最期は一人で判断し、一人で行動しなければ誰も助けてはくれない、という状態に私たちは置かれています。逆に自分は実は一人である、という自覚と覚悟があるから多くの人々の支援はありがたいし、優しい気持ちが身に染みるのだと思います。


他者から受ける支援や、他者と自分との関わりが当たり前であると思ってしまうところから不満や不平、そして自立できない自分が生まれるのではないでしょうか。


人として規律と責任を持った行動がとれる人間力をもつ。自立し自我があるからこそ、他者との関わりが意味をもってくるし、そうした自分を意識できることでメリハリのついた(自立した)他者との関係(連帯)ができあがるのだと思います。


依存するのでも頼るのでもなく、まずは自立し人の役に立つ。その後成長し進化しつつ、相互にフラットな関係をつくりあげるからこそ、他者との関係は長続きするし、切磋琢磨も成り立つと思います。

 

何の利害関係もない家族や友人との関係を考え支え合う気持ちを醸成し、プライベートやビジネスでの関係を考えると、よりよく相互関係が構築できると思います。 

 

仮に利害があったとしても自分の役割と責任を果たすことで利害を超えて相手の役に立ち、まだ高め合えるからです。

 

それが相手に伝わり信頼が生まれ、「支え合う」関係が生まれるのではないかと考えています。「支え合う」(Support each other=SEO)のは、決してgive&takeのような「あげるね」(giver)「あげるのと、もらうのをバランスしよう」(matcher)というギスギスした関係ではありません。

 

ビジネスでいえば事業の利益を確保しつつも、相手にとって最適解は何なのかを常に考え、最大の行動をもって目的を達成する。時には利益を度外視して懸命に支援することもある。ある時には逆の立場になることも、ならないこともあるけれど、制約の中でそれができる自分の成長や進化に喜べる。「支え合い」はそんな状態を意味しています。

 

先の見えづらい環境、SEOのより一層の強化でニューノーマルを乗越えていく必要があります。

 

何にしても自立できなければ「支え合い」による関係(連帯)は成立しません。

 

自立し続けるための、課題をもった日々の戦略的な自分づくりが求められているのです。

 

ホームに立ち、ほんの少しの時間、そんな思いが脳裏に浮かびました。いま、清々しい一日が始まります。

 

人が創り出す美しさ

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日本にはどこにでも山があり川があり、木々が無秩序に又は整然と生え草花が群生しています。自然の創り出す造形美には目を見張るものがあります。自然は美しいですね。

人はその景色をみて心を動かします。それは、遺伝子レベルで身体すべてが受ける感動といってもよいでしょう。その思いを人は綺麗であるとか、美しいという言葉に置き換えて表現します。ほとんどの山河は意図されず造られていて自由で奔放です。

しかし、人のつくった造形物のなかには明らかに一定の意図をもち秩序立てて、人に美しさを感じさせようとする試みがあります。色具合や形状から作者の思いが伝わってきます。

また、表立った人工的な美しさはないけれど、自然との調和をつくりだす意図をもちながらも、できるだけ人の手を意識させないで目的を果たそうとする物もあります。

新宿のビルやホテルが立ち並ぶ、レストランの前にあるモニュメントは、機能的には何の意味を持ちませんが、よくみると統制された美しさのなかに、はっきりと店のコンセプトを明らかにしようという設計者の思いが見え隠れしていました。

普段道を行きかう人や店を利用する人々が気がつこうが気がつくまいが、まったく構わないといった落ち着きをもって、しかし確実に店への誘導や、その店が客の目的を達成するに足る場所であることを主張していました。

その精緻なデザインには目を見張ります。小豆色の石が普段みかける石に挟まれていることで、清潔さやが規律が示されているし、安定と安心が物語られています。それは店の軒まで伸びて店の壁と一体となり、建物自体をその思想により統制しているようでした。

一見不必要なこのモニュメントが実は店の哲学であり、店の環境であり、また空間であることを教えてくれています。

無機質なビル街にありながら、木々の緑の横にひっそりと客を待つ、くつろげるけれども刺激のあるレストランとしてのけじめをつけているのが分りました。

そしてもうひとつ、店の前から広がる緑の淵には、自然に見せかけながら一定の規律のなかで、人工的な美しさを露出する木々の根本を覆う輪が並んでいます。横にはビルにつながる川に模した流れや、池を模った構築物があり、そこにつながる水路を水が静かにながれていました。

このエリアをつくりあげた誰かが、これは私がつくった統制され、姿勢を正している物だけれど、この路にフィットする意図された「自然」なんですよ、と伝えているようでした。

人が歩いているとき、人工でありながらもいつでも自然らしさを感じ続けられる、工夫された造形美がここに存在しているのです。

さて、人は誰でも意思をもち何かを成し遂げようと活動しています。

人に気付かれようと気が付かれまいと、自分の能力を最大に発揮し、価値のある何かをつくりあげようと努力しているのです。こうしてみると、ありとあらゆるところで人が成果を上げている場面に遭遇します。

大がかりな仕掛けのときもあるし、そうでもないときもあります。しかし、どこにでも気付くと人の命が息づいているのだなあと感じられ、とても心が温かくなった時間でした。

私も、こんなに目立たないとしても思いを持ち、有形、無形の成果を挙げて毎日生きていることを実感できるよう、日々精進していきたいと思ったのでした。