よい病院、よくない病院の見分け方[石井友二]

マネジメントの巧拙が、病院の良し悪しを決めます。多くの病院コンサルティングの成果をお伝えし、自院の運営に役立たせていただくことを目指します。職員がやりがいをもって働ける環境づくりも、もう一つの目的です

病院の教育について

 会社は学校ではない、といった著名な経営者がいましたが、病院には教育制度は不可欠です。病院の職員は医療に携わる専門家であり、それぞれの領域で専門知識が必要な職についているからです。

 医師は言うに及ばず、看護師、コメディカル、そして本来は事務職員にいたるまで専門知識を常にブラッシュアップしていかなければ、ならない仕事をしていると考えます。

 医師はあらゆる領域での自己研鑽を行うことが常態ですので、ここでは議論の埒外として、病院がどれだけ看護やコメディカル、事務スタッフに教育を行っているかということになると病院によりたくさんの相違があることがわかります。

 もちろん、病院においては自ら学習しなければ業務についていけないことや、常に新しい何かが生まれ、それに対して取組を行うことが仕事の一部となっているため、教育が自然と行われているということもいえます。日々の業務自体が多くの教育を含んで成り立っているということもいえます。
 
 看護部では、プリセプター制度や卒後研修、ラダーといったシステムがあるだけではなく、常に他部署と同様にマニュアルの運用による教育や、リスクマネジメントや感染対策、記録委員会や業務手順委員会、さらには教育委員会があり、それぞれミッションをもって動いています。コメディカルについても新しい機器が導入されたり、新しい検査機器導入や新たな技術が導入されることがあり、その都度学習しなければならないし、技術習得を行わなければなりません。

 もちろん、薬剤であればさらにDIや自院が扱う薬剤や禁忌についての学習は必須ですし、リハでもME、栄養課でも学習研鑽は日々の仕事の基礎となります。ただ、事務職については、医事や診療情報管理が。いたしかたなく点数や制度自体の改定があるため、知識を得なければならないということがあることを除き、意外と教育が用意されていないことが多く、そのままの状況で専門的に業務が行われている傾向があります。

 しかし、それは業務の必要に求められ行われているものであり、意図的に制度として病院が提供しているのではありません。他職種により行われる院内研修や接遇研修、講師をよんでの勉強会といったものを行っている病院は多くありますが、このようなヴィジョンで、こうした病院になる。そのためにはこういう人材が必要だ。

 あるいは組織運営が必要であるという意図のもとに計画された教育が必要だと考えています。こうした人材が必要であるという領域において、さまざまな専門資格をとることはとても大切ですが、それ以外にも、例えば、実務に活かす教育の一部として、(実質的に機能する)リーダーシップ、意思決定理論、マーケティングナレッジマネジメントタイムマネジメント、問題解決手法、管理会計、考課者訓練、医療制度、心理学といったものが俎上に乗ります。

 リーダーシップ研修は看護部でよく実施されていますが、集合教育が中心となり現場に定着させていない病院がよくあります。そもそも職務基準が整備されておらず、権限規定が作成されていなければ、なかなか実務においての役割が明確にならないし、それ以前に管理者の日常的な役割や監督者の仕事がなかなかしっかりとは峻別できないところもありますし、それ以前に、明確な目標が立案され常に達成に向け行動されていなければリーダーシッを発揮する場がないとも言えます。

 他のものについても、マーケティングにより、どのように当院に対するニーズを知るか、またニーズを生み出すために何をすればよいのか。待つ医療から出向く医療のためには、どのようなサービスを提供すればよいのかといった、具体的な戦略につながる各部署の役割が認識できるようにしていかなければなりませんし、パスもリスクマネジメントもマニュアル作成・運営もすべてが業務改善である。

 仕事の仕組みを変えて医療の質を高めるためにある、という考え方を根底から理解してもらい、一つ一つが根のところで同じ活動をしていかなければならないことを周知しなければなりません。教育はとても大きな領域があり、ここで書き始めたことを後悔していますが、職場内での教育、集合教育、そして自己啓発一気通貫で意味のあるものとしていくことと、病院がどのような人材や仕組みを求めているのかということをセットにして、教育の体系をつくりあげていくことが必要です。

 なお、個人の側からいえば、しっかりとした基準のもとで人が評価され、現状と到達点のかい離を教育の対象とするといった考え方のもとで個人が体系的に教育される場を病院がつくりあげていかなければならないという視点も忘れてはなりません。