関西地区に仕事にいくときには、いつも飛行機にするか、新幹線か迷います。大阪まで飛行機でいくことで、意外とイベントに影響を受けず、席がとれたりするからです。
新幹線ですと、切符を買う段階になってはじめて込んでいることがわかり(切符を買うサイトの利用を早くしようと思っています~)、満席をみながら立っていることが多くなります。とりわけお盆のときはそうですよね。今日も奈良から京都、京都から新幹線というルートで東京に帰ってきたのですが、やはり京都からは立ちっぱなしでした。
しかし、先週名古屋にDPCセミナーで行ったときはまさに名古屋までずっと立っていてすごくつらかったことを思い出し、まさかね~東京までたちっぱではないよね~とか思いながら立っていました。前回は客室ではなくトイレの前であったところ、今回は自由席の通路にいることができたので、少し気持ち的に楽でした。思った通り名古屋で大量の乗客が降車したので、なんとか座れましたが、飛行機にしておけばよかったと京都で近鉄を降りたのち、走って新幹線の券売機の前に立った時に思いました。
飛行機は席をとっていたのを直前に大阪伊丹に行くのをやめ、ノーマルな京都経由で東京に帰ることにしたことを悔いたわけです。飛行機に乗ると表参道の東京事務所に着くのが1時間遅くなる便しかとっていなかったのが原因です。どこかに立ってても早く帰らなきゃとう思いをもっていたのも事実です。
結局、京都での乗換えが5分でうまく新幹線に乗れたため、立っている時間はあったものの、事務所での時間をながくとることができ、すごく得した気がしました。
その後事務所から練馬のN医師の診療所に訪問し、特定健診や増患について話あうこともできたので、まぁ早く帰れてよかったです。N先生はとてもすてきな医師で、いまは仏教を学んでいます。
生死の場面に出会う医師として、ナレッジワーカとしてはいつも患者さんを救えなかったことをとても悔いるそうです。もっとこうしたらよかった、これがなぜできなかったのだろう(N先生の診療所は透析50床と一般病床16床です)といつも悩み、つらい思いをすると話をつづけました。医師であるからこそ哲学や宗教が必要だ。
人間としてはその人の運命についてよく考える。自分の運命も考える。そのなかで仏教に深く傾倒しているということでした。話をしてみるととても勉強していて宗教すべてについての造詣はすごいものがあります。仏陀、キリストについて議論し、そしてイスラム教の現状、これから、といったことまで話が進みました。
さらに教育から政治まで話が及び、とりわけ日本人がなぜ不活性なのかについて議論しました。
私は日本人は一般的にいって、もっと成果をあげるために働くべきだという主張をしました。
経済を活性化するだけではなく、価値を提供するという点からいえば、好きなことやうまくできることを懸命にしていけば価値がうまれる。それは必ず評価され、あるものはビジネスとして成果があがるし、あるものはそうではなくとも多くの人に喜びを与える。それが影響し大きな輪になり、社会を活性化することにつながるという趣旨の説明をしました。
教育にも言及し、道徳の時間はあるのか、ないのかわからないがあまりにも常軌を逸した大人が多すぎる。人としてできあがっていない大人が子供を教育できるはずがないということになりました。日本では人に迷惑をかけない人間になれと教えるが、インドでは、人はたくさんの人に迷惑をかけるということを知らなければならないという教えをしているとN先生は話ました。
そこからして日本人は利己的になっているのではという議論が始まりました。N先生は、人間はもともと利己的だ。なの不思議もない切って捨てました。しかし、じゃどうしたらいいの、ということは結論がでませんでした。
といった具合に、久し振りにお会いしたので、話は尽きませんでした。
勿論、診療所の経営や患者の動向、健診で多くの患者さんをゲットしたこと。スタッフのこと。勤務している医師のことなどなど、本業についても報告を受け、うむふむと話を聞きました。
でもって、最終的には、そして結局は弊社が10月にオープンするホームドクターのための支援サイトに、人は宇宙の一部であるという思いをもとに、医師としての哲学を語るコーナーをつくるので、コメントを書くということと、先生のブログにリンクを貼るということ。そしてこれからN先生がつくっている特定健診の申込をするモバイル用サイトをつかう医師ネットワークを弊社が構築支援するといったこと、が決定しました。
飛行機のようにひととびというわけにはいきませんが、新幹線のようにスピードをもって活動していこうと誓い合った夜でした(先生は240日病院に当直で泊っているんだよと話ました。私は出張が240日はありますと話、日数的には同じようなものですね[24時間患者さんのために仕事をする医師の仕事の内容からすれば私は足もとにも及びませんが]と二人で笑苦笑いをしました)。