よい病院、よくない病院の見分け方[石井友二]

マネジメントの巧拙が、病院の良し悪しを決めます。多くの病院コンサルティングの成果をお伝えし、自院の運営に役立たせていただくことを目指します。職員がやりがいをもって働ける環境づくりも、もう一つの目的です

イノベーターの4つの条件

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「イノベーションの作法」という本を読んでいます。ナレッジマネジメントの野中郁次郎と勝見明が著者です。この本は、過去の常識にとらわれずブレークスルーを行いイノベーションをした事例をいくつもあげて、その背景に流れるものを整理し体系化しています。

ケーススタディとして、少し古いですが、マツダロードスター、サントリー伊右衛門、北の屋台、近大水産研究所クロマグロ完全養殖、新横浜ラーメン博物館などがあがっています。まだ途中なので、これから何がでてくるのか楽しみですが、まず一瞥して把握できることは、

  1. 情熱をもつ
  2. 新しい発想をもつ
  3. 組織をつかう
  4. 諦めない

ということです。
 
とにかく、何かを成し遂げた人の仕事の仕方は生半可ではありません。すべてを仕事に集中し、ありとあらゆる角度から考察し、新しい価値を生み出している。

何かを決めていくきっかけは、必然のこともあるし偶然のこともある。しかし、ぶれない情熱から生まれる気迫がそれぞれのケースにはみなぎっています。

新(新しいタイプの意)イノベーターの条件を著者は、
  

  1. 真・善・美の理想を追求しつつ、清濁併せのむ政治力も駆使する
  2. 場づくりの力を持つ
  3. ミクロの中に本質を見抜く直観力とマクロの構想力をもつ
  4. 論理を越えた「主観の力」を持ち「勝負師のカン」を磨く

といったことをあげています。

 

特に清濁あわせのむ政治力やマキアヴェリ的(どんな手段や非道徳的な行為であっても、結果として国家の利益を増進させるのであれば許されるという考え方)なリアリズムに注目し、また個人の主観や直観、感情、勝負師のカンといったノイズ的なものが重視されるとし、帰結として分析至上主義に決別をという文脈になっています。

実は戦後日本が復興したときの経済発展は、松下さんにしても盛田さんにしても、あるいは稲盛さんにしても、本田さんにしても、そして村田さんにしても潮田さんにしても、そして伊藤さん、安西さん、池谷さん、江副さん、飯田さんにしても、そうしたところから事業を興してきたと思います。

そののちMBA的なマーケティングや競合分析を主体とした商品、ものづくりが跋扈するようになり、何かを生み出すときの原点から乖離したものづくりが行われるようになってきたのではないかという仮説が著者にはあるのでしょう。

もちろん全的に否定は出来ないとは思いますがら濃淡はあれ、分析的手法だけでビジネスが成り立つわけでもなく、実はありとあらゆる事業を作り出した人たちは、皆多かれ少なかれここであげた条件をもった新イノベーターであったのだと考えています。

 

そうではないビジネスは成果をあげられないということを、私たちは現場で毎日のように見ています。
 

  1. 情熱をもたない
  2. 新しい発想がない
  3. 組織をつかえない
  4. 諦めてしまう

という経営者達です。

 

彼らのビジネスは、NO2や組織に支えられてなんとか維持できているものの、トップがそれでは早晩ダメになることは明らかです。

 

こうした人達に共通することは次のことです。

  

  1. 唯我独尊である
  2. 感動しない
  3. 組織を動かせない
  4. 移り気である

そもそも、ビジネスはシャープで、リーン(ムダのない)で、きれいな形をしていて、論理的で、ロジカルで、モデルに依存して、かたどおりに行われているものではありません。

一定のルールやフレームワークはあるものの、いつもどろどろしていて、トップの戦略や異能のスタッフのなかから生み出されています。

組織に異能の人がいても、彼らが活かされていないことがありますが、大きな組織であれば分母が大きい分だけ、彼らが活かされる可能性は高くなります。

 

中小企業にはそうした人たちがそもそも少ないのと、分母が小さいので、やはりトップが切り開いていかなければならないのでしょう。


いずれにしても、科学的な分析手法だけではうまく成果をあげていくことができないのだと思います。

著者も13のケースをあげて整理をしていますが、他のありとあらゆる成功ケースを分析してみると、ここであげた条件をほぼクリヤーしていることが解ります。

私も今の仕事での戦略構築や仕事の進め方について疑問をもち小さな変革をしてきたつもりでしたが、この本を読みつつあるなかで、まだまだ突き詰めていない、あるニーズがあったときに、さらに画期的なアプローチやサービスを開発していかなければならないのだと、より強く認識しました。

 

人は、何かを求め続けて一生を終わるとすれば、常にイノベーターとしてあり続けられるよう努力しなければならないのだと思うのでした。

権限と責任

 

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 組織は人により構成されます。役割により、職位は管理職、監督職、一般職に分類されます。

 

病院であれば、理事長、院長や副院長、事務長や看護部長、診療支援部長といった者が管理者に該当します。その下位に師長や課長などの中間管理職(監督職)があり、一般職員が配置されるという図式です。

 

それぞれの階層は、病院の運営に対し、その目的や目標を達成するため責任をもち行動しなければなりません。組織構成員全員が組織の運営をそれぞれの役割として担っています。

 

役割を与えられた者は、その役割を果たす責任を負わなければなりません。ここで役割を規定するものの一つを権限といいます。

 

権限とは、個人がその立場でもつ権利・権力の範囲をいいます。また、果たすべき責任とは、立場上、当然負わなければならない任務や義務をいいます。権限を得るときには同時に責任をちます。権限を行使するためには責任を伴う、ということの理解が必要ですね。

 

病院職員は、自分がどのような権限と責任をもつのかについて知り、日々の業務を適切に行うことが求められています。

 

権限は、起案、審査、承認、(実施)、報告という行為に区分されます。

 

「起案」は何かを提案すること、お伺いを立てること、そして「審査」はそれが組織のルールや目的に合致したものかどうかをチェックすること、さらに「承認」は、審査を経て上程された事案の実施を許可することをいいます。

 

組織におけるすべての業務はこの3つの段階を経て実行されます。さらにその結果がどうであったのかを、最終権限者に「報告」することで、ある業務が完結します。報告を受ける権限ですね。

 

権限の行使をこのフロー以外で行うことはありません。特定事項において上記の何れかの権限を有するものが責任をもち、それぞれの行為を行い、業務を遂行します。

 

組織は、すべての仕事を洗いざらい抽出するとともに、責任者を列挙し、上記権限を誰が、いつ、どこで、どのように行使するのかを決定する必要があります。

 

そして決めた権限の行使の形態を権限規制に取りまとめ、組織に開示することにより権限(=責任)を明確にします。

 

権限を決定し開示、それを遵守させることが組織運営を的確に行うための要諦です。

 

実際には、権限や責任が曖昧ではあっても、実務で慣習化した不文律で動いていることが多くあります。上司だからその権限を持つと推測して指示に従うこともあります。これだと組織が意図していない権限行使が行われる可能性が高く危険です。

 

また、例え権限と責任を文章(規程)化した後、そ毎回見ないで行動するケースも多くあります。途中で規程を変えることもあり、慣習を正しいとするのも問題です。

 

しかし、規程があれば、現実が規程に合っているか、また規程に書かれている内容が現実に合っているのかどうかについて直ちに検証作業を行えるので、規程があることは有効です。

 

権限規程をつくる→業務を行う→時々検証する→(現実にそぐわなければ)改定する、というながれをつくり、そのサイクルを繰り返すと、組織の意図した権限行使、組織運営が行われると考えています。

 

当たり前の話しではありますが、組織目標を決め、役割分担を行いながら成果を挙げるのが組織維持・発展の基本的な活動とすれば、組織構成員が役割に応じた権限と責任をもち仕事を進めなければならないことは自明の理です。

 

地味なテーマではありますが、リスクアプローチから業務フローや内部統制を見直すなかでの権限規程は、実務ではとても大事なものだと私は考えています。このことは、医療のみならず全ての事業において検討されるべき事項です。

 

曖昧な業務フローや(権限が的確に行使されない)内部統制である組織は、不効率だし事故も起こり易いことが証明されています。

 

あらゆる組織は、屋上屋を重ねることなく必要十分な権限課程を作成し、規律をもって円滑な業務が行えるよう努力し続けなければなりません。

 

 

 

病院改革の考え方

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体系的な病院マネジメントの必要性が理解されてきました。

 

それは病院の医師やスタッフを懸命に働かせるためにあるのではありません。病院マネジメントは、

  • 地域のマーケティングを行う、
  • 病院のSWOT分析を行い、どこに進めばよいのかについて強みを伸ばす方法を検討し、
  • 戦略化し、
  • 医師とコミュニケーションを図りながら、
  • 人が人として医療従事者が医療従事者として、心から医療の必要性と自らの使命を感じることができるリーダーシップをとり、
  • 職員全員の力を一定の方向に収斂し、
  • 与えられた社会資源のなかで最大の成果をあげること

などのシステムを意味しています。

 

企画室や事務長が軸となり仕組みを作ったり、プロジェクトをその都度つくり、活動することも有用です。

 

病院としてどのようなマネジメントシステムが必要であるのかを考え、それを具体化していく必要があります。マネジメントシステムは、病院をうまく管理したり、人の思いを具体化する仕組みであり、また、組織の挙げた成果をモニタリングする仕組みです。

 

人は、心のどこかで目標を持ち自己実現したいと願っています。

 

その前に組織に帰属したい、自分が評価されたい、という欲求もあります。マズローです。もちろんマクレガーのXY理論のY理論にいうように「人間は生まれながらに嫌いということはなく、条件次第で責任を受け入れ、自ら進んで責任を取ろうとする」という性善説で仕事をする人ばかりではなく、X理論「人間は生来怠け者で、強制されたり命令されなければ仕事をしない」の性悪説で働く人も多い可能性もあります。

 

でも、私は違うと思います。

 

よほどの原体験があり、どうしても社会に馴染めない人についての議論は別途行うとして、真摯に胸襟を開いて話をすることで、何が仕事の阻害要因なのかを明確にすることや、それをできるだけ解決していくことができれば、組織とともに成果をあげることに積極的に反旗を翻す考えをもつ人は少なくなると考えます。

 

要は、リーダーが本気で価値を生み出そう、良い医療をしようと考えていさえすれば、彼ら変わり、同じ方向に進めます。

 

月並みな話でいえば、過去の環境や教育、体験により人格が形成されている人間が、さらなる経験や体験をすることで自分を変化させることができない筈はないと考えているのです。

 

結局は思いをもって真摯にコミュニケーションをとり、懸命に仕事をする、質の高いものを提供できるよう努力するという一線を外さなければ、皆一緒の方向に進んでいけるのです。

 

組織では、なかなか言えないことも人や組織との衝突もあるでしょう。我々のように外部から組織をみる仕事をしているところからは見えないこともあると思います。しかし、勇気をもって話をすれば相互理解のなかに新しい方向を見出すことは経験上可能だと思います。

 

常に創造し、価値をつくりだそうという意識をもったたくさんの現場のリーダーが育成され、体系的なマネジメントが行われれば、病院改革は必ず成し遂げられると私は確信します。

 

なお、この考えは医療のみならずあらゆる職種のマネジメントにおける基本的な考えです。同様の活動が多くの組織で行われる事を期待しています。

成功のための6つの視点  

 

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思いをもち、やりたいこと、やらなければならないことを決め、その実現のために力をつけるとともに、多くの人々の役に立つことで、彼らから支援を受け、成果を挙げるのがビジネス成功の要諦です。

 

ビジネスパーソンは自分を鍛え得意分野をつくり、他者との関係づくりを怠らず日々活動しなければなりません。自立しても独りでできることは限られているからです。

 

自立と連携(independence & cooperation)がキーワードになります。

 

このとき、ビジネスパーソンが目標を決めて力をつけ他者との関係性を拠り所に、ただ、闇雲に動くのでは成果を十分に得られない可能性があります。

 

どのような視点をもって、やりたいこと、やらなければならないことへの計画を立て「自立と連携」に基づいて行動すればよいのかを考えることが、必要です。

 ここでは、

  1. 成長(growth)
  2. 進化(progress)
  3. 協働(collaboration)
  4. ベンチマーキング(benchmarking)
  5. 支援(support)
  6. 創造(creation)

の6つの視点を検討します。

 

自立と連携について、まずは自立を考えます。自分が自立し、「この分野は彼に任せられる」といった一定の力をつけなければ他者との連携は行えないからです。

 

もちろん、一足飛びに自立できないこともあるため自立しきれないままでの関係性づくりは大切です。しかしある領域においての自立がなければ、他者から認めてもらえません。

 

成果を挙げるためには、思いや信念、技術技能、人間力、コミュニケーション力が必要です。「いい奴だという評価」だけで仕事を行い続けることには限界があります。

 

自立しつつある場面においても、また一端ある領域で自立した後にも、常に意識しなければならないことがあります。

 

それは、成長進化です。

 

今の領域で経験を積み学習し鍛錬することで、より大きな自分をつくりあげていくこと(成長)を忘れてはなりません。自立しよう、自立しているという自覚と客観性をもって仕事をしていくとしても自立には終わりはありません。環境や時代の変化もあり止まれば遅れます。「成長し続ける」という視点をもち行動しなければなりません。

 

そして進化。進化は新しい分野への展開や、能力開発、そして技術革新を行うことで成立します。今の領域を越え、自分を進化させる計画的取組みやチャレンジを行っているかどうかが問われます。

 

他者との関係性は、「この人は成長しているな」、「進化しているよね」、という状況において、より強固になり、また拡大すると考えているのです。

 

次に連携です。連携を行うこと、すなわち関係性をもちその質量を拡大するためには、協働ベンチマーキング支援、そして創造の視点を持たなければなりません。

 

協働がなければ関係性は成立しません。同じ目標のため同じ仕事をすることや、指示のもとに動くこと、役割分担を行い成果を得ることも含め、力を合わせ両者で活動します。協働が連携の重要な部分を占めています。

 

ここには相互に人や取引先を紹介し合い人脈やネットワークを広げることで新たな取引を始めたり、クロスセリングを行うことも含まれます。

 

協働において、ただ自分が能力を発揮するだけではなく、相手の仕事の仕方、方法、手順、システムについて良いところを吸収しながら仕事をすることが必要です。せっかく一緒に仕事をするのであれば、相手の知りうるすべてを相互に観察し、優れたポイントを学び、自分のものとする活動が有益ですね。

 

「なるほど、このやり方はいいな」、「この仕組みは勉強になる」、といった具合にベンチマーキングを行いながら仕事をするのです。

 

協働による経験はその人の知見となり知恵となって身体に蓄積され、成長の糧になることは間違いありません。一方、相手も自分をベンチマークできるよう、能力を高め比較優位性を身に着ける努力をしなければなりません。

 

なお、双方に「背中を見て育ってね」、というのではなく、相手から申し出があればノウハウを快く提供し、相手が自分のマネをし易いよう支援するのも大事です。

 

もちろんビジネスなので連携における取り決めはしっかりしておくことは前提になりますが、連携し目標を一にして行動する限り、守秘性をもつ事業の根幹にかかわるシステムやノウハウで、どうしても提供できない情報を除き、「いやそれは教えられない」、「真似するは違反だ」のような対応をしないことが真の連携をつくりあげるポイントの一つになります。

 

そして創造です。連携、ベンチマーキング、支援の帰結は共同してビジネスを立ち上げたり、新技術の開発、事業領域の拡大などを行うことです。イノベーションという大げさなものではなく、両者のリソースを出し合い、新しい何かをつくることから始めれば、さらに大きな連携の成果を得られます。

 

自立を前提とし連携することで、ここで示した協働、ベンチマーキング、支援というフェーズを通り、協力して新しい価値を創造できれば、自立のレベルも上がります。

 

自立が連携を誘導し、連携が自立の強度を増す。そして高いレベルでの自立が次のステージでの連携を生む、といった理想的なスパイラルに入れるのです。

 

厳しい時代を乗越えるため、自立と連携を通じ、自らの思いを遂げ、達成感を得られるビジネスパーソンが多く生まれることを強く願っています。

組織一丸となって

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病院の経営は、マネジメントサイドが行う、という思考ではなく、前提として一人ひとりの医師の思いとのすり合わせ、あるいは議論が必要だと思います。従来からマネジメントサイドが病院の戦略を決め、枠組みを設定し、そのなかで医療を推進するという手法が正しいと考えられていました。
 
医師の思いなしに決まった枠組みのなかで日々の診療活動を行うということでは、彼らは力を発揮できません。いくつかの病院で、医師と面談をしていると、
  • 医師がやりたい医療を説明する機会がないこと、また
  • 医師がやりたい医療を行いたいと思っても、受け入れてもらうことができない
という事案によく出会います。
 
ある外科の非常勤医師は、痔ろうの権威をもつ先生のスタディグループで技術を学んでいましたが、それを週3日来院する病院では表に出す機会もなく、悶々としていたという事例や、本来やりたくない認知症医療を無理やりやってた精神医などの事例、さらには、どのような医療をしたいのかのヒヤリングもなく、野放し状態になっているなかで、外科をまとめている外科部長などがその事例です。
 
ガバナンスがないだけではなく、コミュニケーションや、一人ひとりの意欲を喚起しようというトップマネジメントがいない病院では余計にこうした問題が浮き彫りになります。
 
各診療科からヒヤリングを行い、各医師の思いを掌握。そのうえで病院が行うべきスクリプトと合せて診療内容を明確にする、といったながれが必要になります。
 
医師の思いや胸襟を開いた議論から生まれる方向性を戦略として、病院運営との整合性を図りつつ戦略を打ち出すといったプロセスをとっている病院がどれだけあるのか心配です。
 
もちろん、ボトムアップ、というかミドルアップというか、医師の意思が明確であり、各診療科別に自然に前に進む環境があり、その集合体として帰納法的によい結果が生まれているケースもありますが、それにしても、こうした医療をこの病院は行う必要があるという方向を示すことが大切です。
 
そのうえで、現場の意見を聴取し、あるいは医師一人ひとりの思いを斟酌したうえで、病院としての戦略が決定されることのほうが、より病院一体となって事を進められると理解しています。
 
ただ、医師がマネジメントに参画したくない、「やりたいように医療をやらせてくれ」という思いがあり、それをすべて受け入れて医療を進めるやり方は、組織全体の動きとの整合性がとりづらく、その医師が組織で医療を行うことのメリットを受けられない可能性もでてきます。
 
やはり明確なベクトルを示し、相互に納得したうえで、病院サイドとしては、医師の思いを理解し、医師のやりたいことは本来病院として行うべき戦略の一部であるという位置づけを行い、(意外と大変ですが)医師間の調整を行なった上で、達成支援を行いつつ成果を誘導していくというながれをつくる努力が必要です。
 
単に話をすればよいというレベルのコミュニケーションではなく、組織運営ルールに則り、粛々と手順を踏み、一つひとつそれらをクリヤーしながら成果を得ていくことが適当です。
 
マネジメントの考え方や手法を理解したトップマネジメント、そして彼らを支援する企画スタッフが必要な所以です。
 
いずれにしても厳しい環境を乗り越えるためには、組織一丸となるという発想を欠かせません。
 
そのために病院の方針と医師の思いを軸としたマネジメントが行われ、各部署がチームとして協力し合いながら、成果をあげていく仕組みが組織内につくりあげられなければなりません。
 
なお、先ほどの例でいえば、痔ろうの得意な先生の希望は、我々の橋渡しで、しっかりと理事長、院長に伝わる機会をつくり、肛門科が生まれましたし、外科部長とは単孔の腹腔鏡の手術件数を伸ばすための活動が行われました。
 
さらに、精神科の先生に対しては医局会の決定により、認知症病棟が別途設置され、専門医が配置されることで、やりたかった統合失調症の患者や欝の患者を十分に診れる体制をつくることができました。
 
継続して経営会議と医局会の相互協力により、マーケットに合致した、そして個々の意思や診療科の思いを達成することのできる戦略が常に立案され、その実行計画が診療会議に落とし込まれ、各部署に伝達、実行支援が行える体制ができ機能しています。
 
組織の活度が増し、それぞれが役割をもって、個々の成長を感じられながら組織が動き成果をあげる状況が生まれたのです。仕事冥利に尽きる場面です。 
 
医療以外でも同様の取組みが必要です。
 
企業の進む方向と幹部や社員一人ひとりの思いを擦り合わせつつ、コミットメント(約束)を取り付け、彼らが達成感を得られるよう支援しつつ成果を挙げる手法の導入が有効だと考えています。
 
 
 
 

医師と病院マネジメント

 

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私には尊敬する医師が数多くいますが、そのなかの一人と話をしたときに、マネジメントが話題になりました。

 

ある医師は、ながく院長経験をもち、成果をあげようと努力をするプロセスにおいて、自然と病院マネジメントはどうあるべきかを考え行動して、もともとの人間性とも相まって、驚くような改革を成し遂げました。

 

病院事業管理者として新病院建設及び病院改革に成果をあげ、2期目の任命を受けました。今は、別の民間病院の院長になっています。その医師のように、経験をもって自らが学び、病院経営者として、リーダーシップを発揮し、成果をあげている医師がいます。

 

医師は医療全般において間違いなくリーダーとしての存在ですが、病院という大きな組織を運営するためには、多くの人を束ねていくためのマネジメント能力に長けている必要があります。

 

マネジメント能力はその人が持っている経験や感性から得られるものと、知識から得られるものがあります。まずは、経験や感性があり、それが知識により裏付けられるというアプローチと、逆に知識をもって経験や感性を磨くとうアプローチもあります。

 

別の病院の院長が、東京で行われていた院長マネジメント講習に参加したあと、見違えるように発現が変わり、病院があるべき方向に進んだと聞きました。マネジメントの知識、そこからの気付きが大切であることの証左です。

 

院長に近い職位にある何人かの医師からは、病院マネジメントをどこで学習すればよいのかという相談も受けます。医師としてマネジメントを学ぶ機会がないなかで、我々にも、その機会をつくりたいという思いがあります。

 

カリキュラムは以下のようになると思います。

  1. 計画的行動
  2. 財務会計
  3. キャッシュフロー
  4. 管理会計
  5. 金融
  6. 人事管理
  7. 問題解決手法
  8. 組織論
  9. リーダーシップ
  10. 医療制度概要

 これだけを各レクチャー1時間で終了することができます。

 

 計画的行動では、物事はPDCAで回す。そのために何をしたいのかを整理し、現状分析や到達点の決定を行い、ギャップを認識、解決策を検討することを学習します。

 

財務会計については、簿記を行う必要はありませんが、会計の基本的な考え方を理解し、病院経営がどのように財務諸表に反映するのか、そしてそのうえで営業キャッシュ、投資キャッシュ、財務キャッシュフローの考え方、「利益は意見であり現金は事実である」という発想も容易に行えるようになります。

 

また、部門別損益計算や患者別疾病別原価計算、設備投資に関する判断に影響を与えます。特殊原価調査といわれる経営意思決定のための会計を簡単に学習することで、病院の係数的な把握がよりリアルにできるようになります。

 

戦略を明確にした中期経営画立案の背景や手法、ローリングシステム、そして事業計画や経営方針にどのように反映させるのか。また、日頃院内で扱っている指標がどのように財務につながっているのかを理解できれば、病院全体を瞬時に把握することが可能です。

 

 さらに、資金調達についての基本的な考え方やスキームが理解できればスタッフからの提言に対しても自分自身の意見を述べることや議論を行うこともできます。

 

そして人事管理では、採用、配置、教育、評価、処遇、退職というながれを簡単に理解することができ、その前提としての目標管理制度や人事考課制度について、どのような手法があるのかについて理解すれば職員全員をどのようにリードすればよいのかも判ります。

 

現場における問題解決手法にはさまざまなものがあり、その手法を理解することで、院内での問題解決や改革にも指示を出すことができます。まず、何をすべきなのかについてポピュラーなものを学習することになります。

 

組織論については、人はなぜ働くのかについての学問の変遷を理解するだけで、現代どのような考え方が一般的なのかを知ることができます。病院は多職種で運営されており多職種の連携のなかに価値を生み出す必要があります。

 

多岐にわたりますが、問題解決手法を理解したうえで、どのようなモチベーションを職員に提示すればよいのかが実務に役立ちます。

 

なお、在庫量を減らしたいというときの解決方法として在庫の経済発注点分析を学問として学習するのは骨が折れますが、少なくとも、その意味を理解すれば、あっという間に病院の在庫量を低減させることができるかもしれません。SPD(Supply Processing Distribution=院内物流システム)を入れているから大丈夫といった発想ではなく、知識の片鱗を理解しておけば現場に適切な指示を出せるようになります。

 

リーダーシップはどのように行使されるのかについても、その組織の文化や風土に影響を受けます。しかし、「あるべきかたちはこうである」という考え方を知ることにより、自らが病院幹部としてどのようにふるまえばよいのかが認識できれば、望む通りの成果を誘導することができるようになります。

 

もちろん病院統治(ガバナンス)の仕組みについても、同時につくりあげるし、人事管理で認識した教育の多様な活用による人材育成を行うことが不可欠です。リーダーが優れたリーダーシップを発揮するときには、指示通りに成果をあげる職員の存在が与件となります。それが崩れれば、成果をあげることは困難であり、やはり優秀な、達成意欲の高いスタッフを育成し、各部署に配置していなければなりません。

 

診療報酬体系の理解は直ちに行えるものの、医療制度のこれからについて、あるべき想定を行うためには、医療制度改革がどのように進んでいくのか、それに対応するための戦略や組織はどのようなものであるべきなのかといったところに焦点を当てた理解をする必要もあります。

 

この考え方は将来戦略を考えるときにとても重要です。病院戦略の基礎をつくりあげるためにも、常に学習していなければならないポイントです。

 

最後の部分については日常のなかでの情報収集に長けていればそれで済む話ではありますが、それ以外1から9については行動の拠り所となるものであり、どの医療現場でもリーダーであり続けるリーダーはこうした知識をしっかりと習得しておくことが期待されています。

 

ただ、上記分野の知識を得ようとして、とてつもない時間をかけたり、表面的な知識を身に着けても、現場では役に立ちません。医療現場に即した具体的なケースで上記を簡単に学習することが有効です。

 

何れにしても、我々がお会いしている医師は、少しだけ知識をもてばあっという間にそこから敷衍してさまざまな理解や実践を行うことができる人々です。もちろん、病院マネジメントが知識を得れば病院運営がすべて完璧に行われるということではなく、きっかけとして、そうした知識をもつことも有効であるという話をここではしています。

 

ところで、随分前に、ある医師が院内でドラッカーの書籍を毎日読み合いしているところをTVで放映していました。まずはマネジメントへの思いや共通した知識を身に着けて行動しようという試みです。

 

最終的には、幹部幹部、欲をいえば職員すべてがそうしたマネジメントの考え方を基礎として仕事をできるようになることが、厳しい医療環境を乗り越える大きな原動力になるのではないかと考えています。 

新宿の雑踏に生まれ、育ち、生きる

 

 

f:id:itomoji2002:20210619102221j:plain私が生まれたのは、歌舞伎町にほど近い明治通り沿い、職安通り近くの、今はオフィスビルになっている日赤産院でした。

 

当時のことを詳しく覚えている由もありませんが、小学生の頃から歌舞伎町の雑踏に足を踏み入れ、中学校の頃には友人が多かった新大久保の近くで育ち、そして高校から大学に通うなかで、歌舞伎町に親しみをもち、歌舞伎町でアルバイトをするなど、随分とお世話になった気がします。

 

コロナになる前から足が遠のいていたので、今がどのようになったのかはよく知りませんが、昔あったコマ劇場の奥を右に回り、まっすぐ歩くとぶつかる風林会館という区役所通りの真ん中にある雑居ビルは、歌舞伎町の象徴のような場所だったことを記憶しています。

 

学生の頃はその近辺やゴールデン街の飲み屋で飲んだり唄ったり、またよく遊びました。

 

会計士試験を受験している時代に、仲間と朝まで風林会館でビリヤードに興じたことや、ゲーセンで夜を明かしたこと、ホストならないかとスカウトされたり、友人がボッタクリの店で軟禁され、飲み代を持って駆けつけたのも、今から思うと懐かしい思い出です。

 

歌舞伎町で生まれ、近くで育ったことは、私の人生に何の連関もないように思えますが、当時周りにいた新大久保や歌舞伎町で働く友人との付き合いのなかで、水商売のことを知ったり、歌舞伎町で学生時代に経験したことなど、人の本性が垣間見える生き様や街から感じた活力が、自分の考え方や行動に随分と影響を与えているのではないかと思います。

 

ただ、どこか混沌としていドロドロしたところに馴染めなかったのか、そのまま歌舞伎町に居つくことはありませんでした。

 

それが、良かったのか悪かったのかは分かりませんが、ここでの付き合いや経験が人生に大きなインパクトを与えたことは間違いがありません。

 

生きていくことの易しさや難しさ、単純さや複雑さ、軽さや重さ、そして哀しささや楽しさ、人の冷たさや優しさ、夢を見て生きる飾りのない人間の本能や真実を教えてくれた街であったと思っています。

 

そもそもが人生は本人が選択すれば、何事も無く無事に過ごせるかというと、そうではありません。普通に生きることすら難しい時代になりました。さらに思いを持ち自分なりに何かを成し遂げようと思えば思うほど、目の前にいくつもの壁が立ちはだかります。

 

壁を乗り越えるためには、色々な属性や考え方を持つ人達と関わらなければなりません。膝を抱えて一人で部屋に閉じこもる、といった世界では生きられないのです。

 

そう考えると、人生は自ら求めて、行き交う人々と肩が触れ合う程の雑踏を、喜怒哀楽を感じながら醜くも美しくも、仲間とともに歩き続けるようなものかもしれません。

 

歌舞伎町での出来事は、人生の縮図だった事に気付きます。

 

自分が、どう生きなければならないのかを考えるとき、ふと新宿や歌舞伎町のことを思い出します。新宿はこれからも私の好きな、慈しむべき街の一つであり続けるだろうと考えています。